第7話 暗雲

 セアラがアルの下に来てから一カ月程が経過した。相変わらず二人の仲は進展しておらず仮の夫婦のまま。もっともセアラからすれば、大分打ち解けることが出来たように思っている。

 アルとセアラは朝食を終え、いつものように二人で片づけを行うと、その最中にセアラがアルに尋ねる。


「アルさん、今日のご予定は?」


「昼食後にモンスター狩りに出る」


 アルの言葉に少しセアラが寂しそうな様子を見せる。


「そうですか…それでしたら私はお留守番をしていた方がよさそうですね」


「そうだな」


「遠くまで行かれるんですか?」


「遠いと言えば遠いが、軽く走って十分あれば着く」


「アルさんの軽くはすごく早そうですね」


「まあ、そうだな」


「簡単な夕食でしたらお作りしておきましょうか?」


「……なら頼む」


 片付けが終わり、アルは狩りへと出かける。アルが狩りを行う場所はこの森の深部。この森はどこの国のものでもなく、それゆえに人と関わりたくないアルはここで住むことに決めていた。

 アルとセアラが住んでいる場所は比較的森の浅いところにあり、アルが伐採したこともあり光も良く届く。対して森の深部は巨大な木々で鬱蒼としており、光は届きにくくモンスターのレベルも高い。

 それでもかつて勇者であったアルにとっては、欠片も脅威にはなり得ない。アルの戦闘能力は桁外れに高く、勇者パーティだったメンバーが束になったとしても勝つことは出来ない。魔王討伐時に背中を斬られたのは疲労と魔王を倒した直後の気の緩みからだった。


「この辺でいいな」


 アルが辿り着いたのは家から十キロほど森の奥に入ったところで、周りには多数のモンスターの気配も感じられる。今日のアルの目的は一角ボア。

 一角ボアは名前の通り大きな一本の角を持ったイノシシで、角と毛皮は高級素材。肉はその辺りの上質な豚肉でも比較にならないほどの美味しさと言われており、何度か食しているアルもそれには同意している。しかしそこまで食に対して拘りのないアルは、普段は普通の豚肉を食べており、こうして素材を取る時にだけその肉を食べる。そして今回は金の為もあるが、セアラに食べさせてやりたいという気持ちも少しはあった。


「『索敵』……あっちか」


 少しばかり歩くと水場に一角ボアの姿が見える。水を飲みに来ているところのようだった。

 アルが一角ボアに向けて殺気を飛ばすと、水を飲んでいる途中のそれがアルに気付き、巨大な角を向けて猛スピードで突進してくる。アルは手慣れた様子でその突進をかわし、すれ違いざまに胴体を殴りつけて絶命させる。アルは解体は自分でやらずにギルドの解体屋に頼んでいるので、下手に刃物を使って毛皮の価値を落とさないようにという配慮だった。

 本来一角ボアは高位の冒険者であるBランクパーティが狩るようなモンスターの為、単独での討伐となるとAランク以上の冒険者でやっとというところだ。アルはギルドに登録してこそいないが、間違いなくギルド最高であるSSランクの実力を持っている。


「さて、もう少し狩るとするか。ん?……なんだこの気配は?」



 少し時間はさかのぼり、アルの家ではセアラが夕食の献立に悩んでいた。


「調子よく夕食を作ると言ってしまいましたが、どうしましょうか……」


 セアラは何もせずにアルの帰りを待つだけなのは嫌だったので、夕食の用意をしたいと申し出た。しかし彼女も上達してきたとはいえ、いつもアルの手伝いがメインで、献立など考えたこともない。尚且つ料理のレパートリーも少ない彼女からすれば、それは超が付くほどの難問だった。


「メインはアルさんから渡された牛肉を焼けば良さそうですね。そうなると付け合わせとスープを用意すれば……」


 牛肉と野菜を前にうんうん唸っているセアラ。意を決して調理を始めようとすると、珍しく来客の声がする。


「すみませーん、お届け物です」


「お届け物?アルさん宛ての何かでしょうか?」


 ここに来てから初めてのことだったので戸惑うセアラ。とはいえお届け物ならば受け取らなければならないと思い、不用心にドアを開ける。


「はい、どなた宛っ……!」


「大人しくしろ」


 ドアを開けた先にいたのは三人の男。カペラの街で見かけたような冒険者のような風体をしている。ドスの効いた声でセアラを脅して刃物を突き付け口をふさぐと、手際よくセアラの手首を縛りあげる。


「お前ひとりか?もう一人男がいるはずだろう?」


 叫んだら殺すからなと脅されてから、塞がれていた口を自由にされるセアラ。その顔は恐怖に染まり、涙が流れている。


「……あ、今は……狩りに……行かれています」


 セアラの言葉を聞くと、三人がぼそぼそと話し合いを始める。やがて三人がセアラに舐め回すような視線を向けてくる。


「どうせ夕方にならねぇと帰ってこねぇんだろ?俺らとちょっと遊ぼうぜ」


「いやぁっ!アルさ……」


 いくら元王女とは言え、その意図くらいは理解出来る。セアラが大声で叫ぼうとするが口を塞がれてしまい、男が馬乗りになる。そしてセアラは襟元から服を破かれ、下着があらわになる。


「おお、顔もいいしスタイルもいい。こりゃあかなりの上玉だな!役得ってもんだな!」


「んーんんーー!」


「なあ姉ちゃん、折角だから楽しめばいいじゃねえか。経験が無いわけじゃ無いんだろ?」


 下卑たその言葉にセアラは必死で首を横に振る。だがそれが相手の嗜虐心を更に煽ってしまう。


「はあ?こんだけ上玉で初めてだって?一緒に暮らしてる男は何してやがんだ。おまえ女として見られていねぇんじゃねぇのか?」


 その一言はセアラにとっては、この上なく残酷なもの、心を抉られるようなものだった。先程まで以上に涙があふれて止まらなくなる。自分でも薄々感じていたことを他人に指摘されるというのはやはり堪える。

 抵抗することも出来ず心まで折られたセアラが、もはやどうにもならないと諦めて目を閉じた瞬間に男の悲鳴が聞こえる。


「お前ら……何をしているんだ!?」


 一人の男は既に昏倒しており、残りの二人に向かってアルが声を掛ける。いつものように無表情だが、その声には確かに怒気が含まれており、殺気を微塵も隠そうともしない。

 セアラは心の底から待ち望んでいたその人が帰ってきたのを見届けると、安心して意識を失う。


「うるせえな!不意打ちで一人倒したくらいで調子に乗ってんじゃねぇぞ!」


 馬乗りになっている男とは別の男がアルに向かって剣を振り下ろす。ただの暴漢にしてはなかなかの腕を持っているようで、その剣閃は鋭い。だがアルはその剣を避けることなく、魔法によって硬化した手のひらで受け止めてへし折る。よほどの魔法の練度でなければ出来ない芸当だ。

 殺ったと思った一撃をいとも簡単に止められ、男の顔が驚愕に染まると、次の瞬間には目にもとまらぬ速度で顎を撃ち抜かれ意識を刈り取られる。


「てめぇ!この女がどうなってもいいのか!」


 最後の男が気絶したセアラを後ろから抱えて刃物を突き付ける。セアラが気に入っていた服が破かれているのを見てアルが激昂するが、怒りをセーブして男に話しかける。


「手を出してみろ。その瞬間お前は死ぬことになるがな」


 それは決してハッタリなどではない。アルはセアラが傷付けられる前に彼女を助ける自信がある。通常であれば信じられないその言葉だが、男にはそれが本当だと分かる。


「ぐっ……なら離したら見逃してくれるのか?」


「それはお前次第だ。ここには何の目的で来た?俺には魔法で嘘をついているか分かる。嘘をついたら殺す」


 本当はそんな魔法は無いが、恐怖に駆られた男にとっては効果覿面だった。男は逡巡するが、やがて諦めたように口を開く。


「……アルクス王国からの依頼だ。ここに住んでいる男を殺せという」


 アルはやはりかと思うが、無表情のまま質問を続ける。


「王国の誰からの依頼だ」


「それは知らねぇ。仮面で顔を隠した怪しい男が、酒場で飲んでた俺たちにいきなり金貨十枚渡して依頼してきたんだ。素性は分からねぇ。そんで成功したら金貨百枚くれるってな」


「お前たちは冒険者なのか?」


「……ああ、王都で活動しているBランクの冒険者だ」


 金で雇われただけの冒険者、嘘は言っていないようでこれ以上の詮索は無意味だと判断する。


「もういい、彼女を離してこいつらを連れていけ」


 アルは失神している二人に『軽量化』の魔法をかける。そのあまりの手際に男が驚愕する。


「……あんた何者だよ?」


「ただの人嫌いの変わり者だ。二度とここに近づくな、情報も漏らすな。さもなくば殺す」


 その言葉を聞くと男は恐怖に顔を染めて、失神している二人の男を担いで去って行った。


「セアラ……」


 その顔の涙を拭うと、思わず彼女の名が口から溢れる。セアラがここに来た時から、こうなる可能性を考えなかった訳ではない。むしろ十分にあり得ると考えていたにもかかわらず、自分を慕う女性を危険な目に合わせてしまった。自らへの怒りと後悔がアルの胸に去来する。

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