第314話 騎影は赤く染まる
メドン騎士団の大群が駆ける。
敵のねらいは第一騎馬隊か。
第一騎馬隊の隊長はボルアロフ。先頭にいた。
ボルアロフは即座に右手をふって指示をだした。第一騎馬隊がするどく右に曲がっていく。
追いかける敵のよこ、フラムの百騎がせまる。それに対応するかのように騎士団も、いっせいにフラムの隊へと馬首を曲げた。
おれは思わず息を飲んだ。騎士団の大群。その正面に小さすぎる百騎の騎馬隊。一撃で終わる。そう思ったが、フラムの百騎は急角度に曲がり逃げた。
これはあれだ。追いかける獅子と、逃げる三匹の山猫、そこに蜜蜂が一匹。そんな五匹の戦いだった。
血と肉をふきだしながら、五匹が戦っている。おそらくどちらも引かないだろう。
右の腰にさしていた馬鞭を、左手で引きぬく。なめし革を巻きつけた長い棒。じっと見つめた。
「ラティオ様、なにか」
「テレネ、いま双方の倒れた兵の数は?」
テレネは、戦場である野原のあちらこちらを見まわした。
「どちらも三百、いや、五百は減らしてしまったかと」
おれにもそう見えた。
いまは互角。だがおなじ数を減らしていけば、ある地点から敵の優勢にかたむく。敵のほうが総数において多いからだ。
そして双方ともに士気が高い。そういうふたつが戦えば、必然として激戦になる。兵の減っていく速度が、おれの予測を超えていた。
「さすが、というしかないな」
「聖騎士メドンですか」
「それに、メドンの作った騎士団もだ」
ここまで、あらゆる策で優位に立とうとしてきた。
アッシリアの王都をねらうと見せ、それをふせぐように相手の行動を縛った。
こちらは事前に準備をしている。
そして相手の数をこそぎ落とし、この原野での戦いにみちびいた。
地形はこちらに優位。そう見極めて、ここを戦場にさだめた。
ここまでしても、互角なのか。
「ラティオ様?」
テレネに呼ばれて、われに返った。
「すまん、考えごとで夢中になった」
「夢中というより、暗い顔をしておられました」
暗いか。そうだろう。
「奥の手をつかう」
馬鞭を頭上にかかげた。おおきくまわす。
味方の騎馬兵は、まだ気づいてないようだ。もういちど頭上でまわす。
ネトベルフが気づいたか。第二騎馬隊の先頭で駆けているネトベルフが、長剣を頭上でまわしながら、なにかをさけんでいる。
ネトベルフの隊へ、すべての騎馬隊があつまっていく。そのまま北東の方角へと駆けた。
メドン騎士団は反対だった。北西の方角に駆ける。
しばらくすると、野原の北側にどちらも移動を終えた。ふたつの固まりは、東と西でむきう形となっている。
むきあうふたつが駆けだした。正面と正面。
ぶつかる。そう思ったが手前で変わった。われらレヴェノア軍は三つに分かれた。
いや四つだ。百の小さな隊をあわせると四つ。
「フラム様の隊が!」
テレネが声をあげた。もっとも少数な百騎の隊、それをメドンが追う。
百騎は逃げるが、メドン騎士団の追撃も速い。
騎士団のかたちは楕円だった。先頭が早いのか細長くのびていく。そして弧をえがくように曲がった。騎士団の隊列が、三日月のような半円になる。
その三日月の反対側も動いた。まわりこむ。百騎の進路をふさぐ形だ。
「包囲されるされてしまう、フラム!」
テレネはさけんだ。ここから言っても聞こえない。
「フラムじゃねえのさ」
おれは百騎を見つめながら、テレネにむかって言った。
「あれはボルアロフだ」
「第一騎馬隊は、千騎のはず!」
「そっちを、フラムが動かしている」
さきほど固まったさいに変えていた。フラムの百騎に見せ、ボルアロフとその部下の百人。
「兵も馬も、疲労の極致。メドンも敵の顔ぶれまで見てる余裕はねえ。いままでの印象もある。
ボルアロフは包囲されても止まらなかった。三日月の中央、もっとも厚い部分に斬りこむ。
突撃のような、いきおいはない。それでも、ボルアロフの百騎は止まらなかった。
突撃する強さなら走撃の雄、ネトベルフが強い。馬のあつかいなら駿馬の雄、フラムが一番だ。
黙堂の雄、ボルアロフの強さはこれだった。止めた馬上の戦いなら、わが軍でもっとも強い。
この広大な野原で、たった百騎。それとその周囲の敵。この部分だけが激戦となった。
「割れる。メドン騎士団の隊が割れます!」
「それは、ねらいじゃねえ」
次々と倒れるメドン騎士団。だがボルアロフの百騎も倒れていく。そのなかから一騎だけが飛びだした。
「おれの最後の切り札は、いつもおなじだ」
「あれは、わが未来の夫!」
飛びだしたのは、ここまで騎兵の群れに隠れていた犬人。わが軍で最強の剣士。名はグラヌス。
騎士団の中央。いるのはとうぜん聖騎士メドン。
ここからでも見えた。白い羽織りの馬上。そこにグラヌスの騎馬がせまる。
白い羽織りがちぎれた。よけたメドンの羽織りが剣に巻きついたか。
一騎が駈けぬけていく。もう一騎がそれを追う。どっちがグラヌスなのか。
駆ける二騎はすさまじい速さだった。敵も味方も追いつけない。そのまま戦場の野原を西へと駆ける。
逃げるほうが、からだをかたむけた。馬から落ちそうなほど地面に手をのばす。地面に突き立つ長剣をひろった。
さらに野原の南西へと逃げていく。そのさきには神殿の遺跡。大きな石柱が四本と土台だけが残っている。さきをいく一騎は、そのうしろに入った。
追いかける一騎は馬の足を止めた。逃げていた一騎が遺跡のうしろからでてくる。
四本の大きな石柱の遺跡。そのまえで距離をあけ、ふたつの騎影がむかいあった。
西の太陽から光がさして見えにくい。ふたつの騎影だけが見えた。
同時に駆けだす。どちらも全速力だ。
石柱の遺跡、そのまえでふたつの騎影がかさなった。すれちがい駈けぬける。
片方の馬に人の姿はなかった。もう片方は、馬上で長い剣を水平にかまえている。
勝ったのはどっちだ。目をこらすが、西からさす光で騎兵の影としか見えない。
「メドン、討ち取ったり!」
グラヌスの声。戦場に歓声がわいた。
「全軍突撃だ!」
おれはさけんだ。ここしかない。だが歓声で消されて味方には聞こえない。
馬鞭を投げ捨て、両手で手綱をにぎった。馬を強くたたき走らせる。
「全軍突撃!」
さけびながら駆ける。ネトベルフが、まず気づいた。
「第二騎馬隊、固まれ!」
ネトベルフの隊が固まった。
「突撃!」
三日月の陣になっていた騎士団に突撃する。
騎士団の兵は、足も手も止まっていた。あわてて長剣をかまえる敵の騎兵が見えた。
「第一騎馬隊!」
この声はフラムだ。味方の兵士たちがあげていた歓声がやむ。
「掃討戦に入る。陣を固めよ!」
フラムのひきいる第一騎馬隊も、騎士団に襲いかかった。
わあっという多くの悲鳴が聞こえ、戦場は混戦になった。
敵の騎士団は立ちむかう者、逃げる者、それぞれだ。だが立ちつくしている者も多くいた。
馬上で長剣をだらりとさげたままだ。メドンが死に、どうしていいかわからないのか。
しかし白い服を着た甲冑姿だ。動いていなくとも近くにいれば敵だとわかる。あっという間にだれかが斬った。
ふいに背後から馬蹄の音がした。おれを追いこしていく百の集団。近衛兵だった。
ゴオ隊長のひきいる近衛兵は、大きく三つにわかれた騎馬隊のひとつにむかった。アトがひきいる隊だ。王を保護するためだろう。
四方八方へ敵の騎士団が逃げ始めた。こちらにも騎士団の一部が逃げてきた。騎士のひとり。むかっているのは、おれだ。
まずい。おれはなにも持っていない。敵は騎士団にいた兵だ。おれより駆けるのは速いと予想できる。逃げれば追いつかれ、背中を切られる。
斬られる寸前で地面に倒れこむか。それしかない。むかってくる騎士を見すえた。犬人の顔が見えた。円筒の
「おのれ、レヴェノア軍め!」
その言葉を吐いた直後、もんどりうって騎士は馬から落ちた。
「ラティオ様、おさがりを!」
うしろから駆けてきたのはテレネだ。ならば、さきほどのあれは飛刀術か。
わずか一日で、二回もおれを助けるのか。テレネはおれのまえに馬を立たせた。
さらにもう一騎。おれのまえに騎馬が立つ。こちらは、もと軍にいた諜知士のセオルスだ。
「さすが軍師。剣も持たず駆けますか」
よこを通るさいにセオルスが言った。嫌味が言えるということは、いまのこいつは余裕があるか。
セオルスに余裕がでるのも、とうぜんだった。戦場は終わりにむかっている。
王の姿をさがした。白い羽織りの姿を見つけたが、あれはマルカだ。
いや、マルカのそばにいる甲冑姿の兵士。あれがアトだ。周囲は近衛兵が守っている。
アトとマルカは馬からおりていた。すでに負傷兵の手当てをしているか。
「おれたちも、負傷兵の手当てをしよう」
まえにいるふたりに声をかけた。
剣のぶつかるひびきは、もはや消えている。終わった戦場に馬をすすめた。
地面でうめく味方を見つめ、テレネがすばやく馬をおりた。そして背負い袋をはずしている。さすが農家の娘。手当ての道具を持っているのか。
あちらこちらに、敵も味方も倒れていた。
野原の中央に、みょうな兵士の姿がある。
その兵士は、馬に乗ってはいる。だが上半身は、馬の首に抱きつくように乗っていた。かろうじて馬に乗っている。そんな姿だ。乗ったまま気を失っているのか。
馬を駆けさせ近づく。
馬首にもたれて乗る兵士、その顔が見えた。
「ボルアロフ殿!」
「待て、セオルス!」
駆けよろうとしたセオルスを止めた。
馬の
馬の背から、はらへ血は流れている。馬の胴体は真っ赤で、その血は地面にしたたり落ちるほどだった。これほどの血が流れた傷。助かる傷ではない。
ずるりと、ボルアロフが馬からすべり落ちた。
「動くな、セオルス!」
また駆けよろうとしたセオルスを止めた。
「しかし、軍師!」
セオルスは悲痛な声をあげた。近くにいた味方の兵士たちも気づいたか。手当てをする手を止めて立ちあがっている。
「軍師の命令である。ボルアロフ第一騎馬隊長に手だしは無用!」
おれはさけんだ。これは、この男と事前に取り決めた約束だった。
「使い捨てではないが、のぞむなら百騎の突撃という手がある」
おれがそう言ったのは、この戦いが始まるまえだ。ボルアロフとネトベルフ、それにフラム。三人の騎馬隊長。そしてグラヌス総隊長とおれ。五人で計画をつめているときだ。
その案を説明すると、ボルアロフは無表情で言った。
「・・・・・・それでいい。軍師、約束だ。おれを止めるな」
おれを止めるな。あのとき、この男は言った。それは、いまもではないのか。
地面に落ちたボルアロフは、よろよろと立ちあがった。馬のたてがみをつかむ。
ボルアロフの顔を見た。岩のような顔をした犬人は、血を吐いたか口のまわりが赤い。
こっちを見た。おれを見て笑った。たしかに笑った。
どう動かしたのか、馬が足を曲げてかがんだ。その背に
ボルアロフを乗せた馬が動きだす。どこにいくのか。
馬は西にむかって動いた。速くはない。駆け足ほどの速さだ。
戦場の原野、その西にも街道がのびている。アッシリアへむかう道だ。
ボルアロフは、アッシリアへいこうというのか。太陽がまぶしく、ひたいに手をかざした。
アッシリアではない。夕日だ。街道のさき、夕日が見える。ボルアロフは夕日へと、むかいたいのか。
ボルアロフを乗せた馬は、夕日にむかって駆けた。戦場をぬけ、街道に入る。その背中が、どんどんと小さくなっていく。
おれはその背中を見つめつづけた。
夕日に照らされた騎影は、見つめつづけていると豆粒ほどの大きさになった。その馬の背に、人の姿はない。どこかで落馬した。それがわかった。
「撤収するぞ、負傷兵を馬にのせ、レヴェノアの街へ帰る!」
おれは大声をあげ、そして夕日に背をむけた。
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