第309話 草むらで待つ
いくつか夜の森をぬけ、いくつか夜の荒野を越えた。
おれのうしろにつづくのは、弓を背負った歩兵別働隊の三百。
また森に入った。それほど大きな道ではない。しかも、うねるように右へ左へ曲がる。馬の駆ける速度を落とした。
道のさきだ。だれかがいる。うす暗いなかでも人だとわかった。
そのまま馬を駆けさせ近づくと、旅の者らしき人影だというところまでわかった。
右手をあげた。後続に止まれという合図だ。うしろから聞こえていた
用心しながら馬を歩かせた。男のまえで馬を止め見おろす。犬人の男だ。顔におぼえはない。
だが男は、服の右そでを肩までまくりあげた。肩にえがかれていたのは、黒い墨による羽の
「諜知隊の者か」
犬人の男はうなずいた。ならば、ここが馬をおりる場所か。
この戦い、考えたのはおれだが、動かしているのはヒューだ。
ヒューは、敵と味方すべての位置を知っている。そこから敵の動きを予想し、諜知隊をつかって指示を飛ばしている。
三つに分かれたレヴェノア軍が、ここまで敵と遭遇せずにこれたのも、ヒューの指示によるものだ。
馬をおり、手綱を引っぱった。
道のわきにある木に手綱をくくりつけようとしたのだが、馬が首をふって抵抗した。草むらに足を踏み入れるのが、いやなようだ。
「ラティオ様、わたしが」
おれの馬に近づき、たてがみをなでたのは犬人の女、テレネだった。
テレネはやさしく馬の首をなで、草むらに入らせる。
おれは東の空を見た。空が白み始めている。
「ここから、森のなかをぬける。もうすぐ夜明けだ。いそぐぞ!」
案内役である諜知隊の男を先頭に、森のなかを駆けた。
一刻ほど森のなかを走る。ときおり後続を確認したが、弓を背負った三百の歩兵は、すべて遅れることなくついてきていた。
「たいしたもんだ」
「農家ですから。足腰の強さは基本です」
おれのつぶやきに答えたのは、よこを走るテレネだ。
木々のあいだを縫うように走り、草むらをかきわけ進む。するとふいに、大きな道にでた。
「よし、ここだ。全体、止まれ!」
三百の兵が立ち止まる。道のうしろとまえを見た。人の気配はない。
森のなかの道だ。朝の太陽は見えないが、空は明るかった。すでに夜は明けている。
「ここに百名、道の片側に待機する。両側には立つな。同士討ちになるぞ」
テレネがすばやく動き、三百名のうちから百名を分けた。
わが国の隊長格がつける赤い羽織り。表が赤で、裏は黒だ。いまテレネは黒いほうを表にして羽織っていた。
羽織りを裏返したのは、これからすることが見えたからだろう。
「みな、聞いてくれ!」
視線があつまった。
「しげみに隠れ、敵を待つ。そののち、敵の騎士団が通るはずだ。それを迎え撃つ!」
三百名がうなずいた。
「ねらうのは、馬上の騎士じゃあねえ。馬と人、どっちが大きい。ねらうのは馬だ」
おれの言葉に、テレネが顔を曇らせて見つめてきた。
「馬に罪はねえ。それはわかるが、こっちは騎士団の数をひとりでも減らしたいんだ。それは人でなく、馬が減ってもおなじ」
気分はよくないだろうが、テレネはうなずいた。
「よし、百名はここ、残りはさきにいくぞ!」
兵たちが動きだした。百名は道のわきにある草むらに入っていく。
「無理はするな。敵が馬からおりて襲ってきたら、森のなかに逃げろ!」
草むらに入っていく兵士たちの背中に声をかける。
残りの二百人をつれ、道のさきに歩いた。
百名を分ける。おなじように道の片側、森のなかに配置する。
あと残るは百名。さらに半刻ほど道のさきへ歩いた。
最後の百名を配置する。
道のまんなかに立ち、はるかさきを見つめた。うまくいくといいが。
「三段の待ちぶせ、ですね」
となりにきたのは、裏返した黒い羽織りをした女。第二歩兵師団副長のテレネだった。
「もういないだろう、そう安心したところに、次の待ちぶせがあるというねらいだ」
草むらに隠れる兵士を見つめ、ひとつ思いだした。
「ふたり一組で前後になって隠れてくれ」
「ふたり?」
おれの命令にテレネが聞いてきた。
「前後でかまえ、交互に立って弓を撃つのさ。撃ったあとは、しゃがんで次の矢をつがえる。そうすれば連続で矢は放たれるので、敵からの反撃を受けにくい。」
テレネはうなずいたが、はっとしておれを見た。
「まえのふたつにも、言っておかないと!」
そういえば伝えていなかった。これは軍師のやりがちなことにも思える。全体を考えるので、こまかいことを伝え忘れる。
やはりどんな小集団でも、指揮する隊長は必要だ。駆けていくテレネの背中を見つめながら、そう思った。
道の左右を見ると、左のほうが腰ほどの高さの草むらがある。こっちのほうが隠れやすい。いま兵士たちは右の草むらだった。
「左に移動する。それから前後の二列にならべ」
ふたり組を作らせ、左の草むらに隠れさせた。前後ふたり、五十人の列だ。
おれは兵士たちの隠れたうしろに立った。
「さきほども言ったが、おれたちは防具をつけてねえ。敵が馬をおりて襲ってきたら、すみやかに逃げる」
麻布の服を着た兵士のひとりがふり返った。
「騎士団はいつごろでしょう?」
おれは近くに待機している旅装の男を見たが、男は答えなかった。さすがに諜知隊でも、そこまでは予測できないか。
「あと一刻ほどか、または昼ごろか。それがわからねえ。近くまでくれば馬蹄のとどろきが聞こえるだろう。それまでは、ゆっくり休んでてくれ」
おれも草むらに座り、待つことにした。
一刻ほど待っていると、人が走ってくる音がした。立ちあがり道のさきを見た。駆けてくるのは、テレネだ。
テレネはおれを見つけると、草むらをまわりこんで近づいてくる。
「伝えてきました。ふたりで前後にかまえ、交互に弓を放つと」
「すまねえな。ついでに騎士団はいつくるかわからねえ。馬の音がするまで気をはらず待てってのも、伝えておけばよかった」
林檎の戦乙女は、怒るかと思ったが笑顔を見せた。
「軍師は夜通しで、お疲れですわ。次にようすを見にいったさい、わたしが伝えておきます」
たしかに寝ずに動きつづけ、疲労も感じていた。
それからは、なにするでもなかった。一刻ほど待つ。騎士団がくる気配はない。
「ラティオ様、騎士団がここを通らない可能性は?」
「それはある。五英傑のメドンは、斥候によってこちらの位置はつかんでいるはず。うちの騎馬隊をねらうなら、この道を通る。だがアッシリアにいそぐなら通らねえ」
テレネが指を折ってなにかを考えていた。十四、十五と数えたところで折る指を止めた。
「ここから、アッシリア王都までの日数か。だが、そこまでこっちは足をのばさねえぜ」
おどろく顔でテレネがおれを見た。
「敵の王都までいきませんの?」
「ああ、今日も騎士団がアッシリアへといそぐなら、こっちは敵の歩兵をねらう」
「騎士団がそれに気づき、追いかけてきましたら?」
「自国領まで逃げるさ」
「それも追いかけてきたら?」
「そのときは、もういちど、アッシリアの主都をねらって駆ける」
「きりがないですわ!」
「そう、こっちはそれでいい」
テレネが小首をかしげた。説明が必要だろう。
「こちらの目的は、敵を追い返すことだ。メドンを倒せば帰ると思うが、敵があきらめて帰るなら、それを止める理由は、もちろんない」
歴史をひもとくと、戦争でやりがちな失敗は敵の殲滅にこだわりすぎることだ。いまの状況だと、敵の遠征軍二万を殲滅しても、戦局は大きく変わらない。
「むこうは十万の大軍で数に余裕がある。こっちには、ない」
聞いていたのか、兵士の数人がふり返った。
それからは会話もなく、ただひたすらに待った。
いちど、テレネがほかの隊のようすを見にいった。
そのテレネも帰ってくる。さらに一刻はたったか。
この付近に、わき水か小川でもないだろうか。あれば兵を半分ずつ休憩させるか。そう思ったとき、遠くから馬蹄の音が聞こえ始めた。
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