第61話 ニュンペーは眠る
森のなかでも比較的に大きな家だった。
ボンフェラート、ヒュー、イーリクの三人は森の民が寝台ごと運んでくれた。
大きな部屋でも、大男のドーリクは目立つのですぐわかった。家主の男と話している。それからこちらに床を鳴らしてきた。
「隊長、三人は森の民が交代で看病するとのことです」
「それは気が引ける。自分が残って看病しよう」
「いえ、英雄がたは休んでくれ、というのが森の民の願いです」
英雄とは、なぜだろうか。となりにいたラティオと見あった。
「そりゃ、森を救ったんですから。父もおだてられて、ほれ、あの通り」
ドーリクがあごで示すほうを見る。部屋の隅で男たちが酒盛りをしていた。その輪のなか、みなから酒をつがれ顔を赤らめているのは父のゲルクであった。
「まあ、イーリクとドーリクの地元だからな。なにも心配はねえか」
ラティオの言うとおり、心配はないだろう。三人も意識はもどり、寝たり起きたりを繰り返している。
「それに、ニュンペー様も任せてくれと」
ニュンペー? 一瞬、意味がわからなかったが、マルカのことか。あの子も疲れ果て寝台のひとつで寝ていた。
ニュンペーとは、伝説上の森の守り神だ。姿は歌と踊りが好きな若い娘と言われている。なるほど、あの火の精霊による癒やしは、たしかに神々しい見た目ではあった。
森の民が、あの子を本気で神とは思っていないだろう。だが、
「では、ご厚意に甘えよう」
家からでようとすると、森の民から感謝の言葉がかけられた。手を挙げて応えておく。
「皮肉なものだな」
「なにがだ、犬っころ」
帰りながらラティオと話す。
「アッシリア国にグールがあらわれた。こんなときこそ歩兵隊の出番なのに。そう
ラティオがうなずく。
「なのに、軍ではないところで、民を救っている」
ヒックイト族の猿人は笑った。
「おかしいか。ラティオ殿から見れば、愚かな国に見えるかもしれん」
「いや、ウブラ国も変わりゃしねえ。おまえらしいと思っただけよ」
そうか、猿人の国も変わらぬか。うまくいかないものだ。
「おい、そういや、アトは?」
そう言われれば、途中から姿を見ていない。
「アザミの根を採りにいったのではないか? 自分が探して連れ帰ろう」
「ああ、ではたのむ。おれはさきに帰って寝るよ」
ラティオとわかれ、森を歩いた。アザミはたしか森の南側と言っていた。南に野原があるらしい。
だが、野原につくまえにアトを見つけた。林のなかに倒れている。
「アト殿!」
駆けよろうとして足を止めた。胸はゆっくり上下している。寝息もかすかに聞こえた。寝ているだけなのか。
起こさぬよう音をたてず歩いた。
近よってみて、なにをしていたかわかった。弓だ。寝ているアトのそばに五つほど弓が落ちている。
戦いがあった今日で練習をするのか。あいかわらず
九本。ここから囲まれたように半円の方向で九本の木。そこに無数の矢が突き立っていた。
今日の敵、九頭の蛇。
無数の矢が突き立っているだけではない。それ以外にも矢が刺さった跡がある。いったい、ここで何回の練習をしたのか。
アトの仲間を思う気持ちは強い。それはそうだ。親も故郷もなくしているのだから。今日の三人が意識を失ったこと、その責任のようなものを感じているのではないか。
心がざわつき、さきほどの家にもどった。
「隊長、どうしたんです?」
ドーリクが話しかけてくる。
「南の林でアトが寝ている。おぶって連れ帰ってくれるか」
ドーリクはうなずいた。家の壁に剣がかけられているのが見えた。
「その剣、借りてもよいか?」
自分が見ている剣をドーリクも見た。ドーリクが家にいる森の民のだれかに声をかける。使ってもいいようで、ドーリクは壁にさげられた剣を鞘ごと取った。
「なにするんです?」
なにをするのだろうか。剣をにぎりたかっただけだ。
「夜警をしてくる」
ドーリクはすこし首をかしげたが、戦いのあとに夜警をするのは歩兵では基本だ。剣をもらい、家をでた。
とくにあてもなく、森のなかを歩いた。今日は月明かりがあり、歩くのは楽だった。
歩いても気は晴れない。どこかで剣の素振りでもしたくなった。
気がつくと、今日戦った池まで歩いていた。あの戦いの狂騒はどこにもなく、生き物の気配もなかった。
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