第60話 意識のもどらぬ三人
倒れたイーリクを背中に背負い、森の道を駆けた。
おなじく意識のない長身のヒューは、大男のドーリクが背負っている。ボンフェラートはラティオが背負っていた。
いぜんにボンフェラートは、精霊を三つ合わせてはならない、そう言った。それなのに、三人は
最上級獣の
イーリクの家が見えてくる。家のまえに多くの森の民がいた。グールを退治するという話が広まったか。
「敷物を三つたのむ!」
あつまっていた人が急いで家に入り、ありったけの敷物を持ってくる。そこに三人を寝かせた。
なにも外傷はない。だが、ぴくりとも動かなかった。肌色だった猿人ボンフェラートの顔は、精気がなく土気色になっている。
「ドーリク、どうした!」
父親のゲルクが息子にたずねた。
「池のグールは、九つの頭を持つ化け物だった。三人はやっちゃいけねえ呪文を使った」
ドーリクは、よこたわる幼なじみのもとに膝をついた。
「おい、イーリク!」
胸をゆする。だが、イーリクはぴくりともしない。
「この森に
あつまる人にむかって言った。
「い、いねえです。いまは半数が森から避難しちまってる」
男のひとりが言った。まずい。精霊の癒やしを使えるのはボンフェラートだけだ。
家からマルカが飛びだしてくる。三人を見て息をのんだ。それからボンフェラートのかたわらに膝をつき、両手をかざす。
目をとじ、古代語を唱えた。無理だ。ボンフェラートから精霊を習い始めたのは今節。それほどたやすいものではない。
マルカは唱えつづけるが、火の精霊の気配は感じない。やがてマルカは唱えるのをやめ、泣き始めた。
「泣くな、マルカ。泣いても変わらない。ぼくはそれを、いやというほど味わった」
だれかと思えばアトだった。
「みなさん、火を。たき火をお願いします。大きいほどいい」
「アト殿、いったい?」
アトの言う意味がわからず聞いた。森の民もとまどっている。
「母さんは呪文の練習をするなら、川や泉、水が流れる近くでしなさいと言った。それなら火の精霊も、きっとおなじ」
マルカが顔をあげる。
「無理よ!」
アトが怒った顔をした。怒った顔を初めて見るかもしれない。
「なにもしないとこのままだ! マルカがしないなら、ぼくが挑戦する」
「アトは、なんの精霊も使えないでしょ!」
「そう、でも、なにもしないよりいい」
「なにもしないより・・・・・・」
「なにもしなければ、この三人は死ぬ。きみの両親のように」
アトが言葉で殴った。この少年は優しい。だが、激しさもある。
マルカは立ちあがり涙をふいた。ドーリクの父ゲルクが森の民にむけ声をあげる。
「よし、手分けして森の空き地にたき火の用意だ」
森の民の男たちが駆けだしていった。
アトがなにかぶつぶつ言っている。
「なにが効くんだ? 毒消し、ではなくて・・・・・・」
言いながら、さらに歩きまわった。必死になにか思いだそうとしているようだ。
「母さんが使ってた薬草。疲労回復、いやちがう、精霊の使いすぎ。アザミだ!」
アトが顔をあげた。
「アザミ、アザミの根だ!」
あつまっていた女性陣がうなずく。
「
「欲しいのはノアザミです。似たものも多くて」
「わかるよ!」
小さな男の子が跳ねながら答えた。オフスだ。
「オフス、みんなに教えてくれるか」
「うん!」
「みなさん、欲しいのは花ではなく根っこです」
「わかったよ。たんと取ってくるから、それは任せて!」
オフスと森の婦人たちは連れ添い駆けていった。
森のなかにも、ひらけた土地はあった。下はかたい地面だ。
どこかの家から寝台を三つ用意してくれた。そこに三人を寝かせてある。
寝台のうしろ、すこし離した場所にたき火が用意された。切った丸太を四角に組みあげている。なかは燃えやすいようにという工夫だろう。乾燥した木の皮を細く裂いてまるめたものが入っていた。まるで木の
火が点けられた。組みあげた木のなかで、木の綿に勢いよく火がまわり始める。
マルカが寝台へと近よった。顔は蒼白だ。痛々しいほどの緊迫だが、手助けできることはなにもない。
よこたわるボンフエラートの上に手をかざした。目をとじ、古代語を唱え始める。
しばらく唱えつづけ、目をあけた。苦渋の色を浮かべる。やはり難しいのか。
森の民のなかから、年老いたひとりが歩みでた。
老人は瓢箪を火に投げ入れた。火柱があがる。入っていたのは木の実油か。
マルカはふり返り、火柱を見つめた。そして気を取りなおしたかのように、また唱え始める。古代語を一節、唱え終えたのかひと息ついた。そしてまた始める。
無理なのか。そう思ったとき、たき火の火柱が大きく揺れた。
火の粉か。いや、火の粉ではない。たき火のなかにいた火の精霊だ。マルカへと
マルカが目をひらいた。
「
砂粒のような火の粉。それがボンフェラートに降り注ぐように見えた。土気色をした顔に赤みがもどってくる。
アトがボンフェラートの胸に手をおいた。呼吸を見ているのか。
「すり潰したノアザミの根汁を」
森の民の婦人が、木杯と小さな麻袋を持ってきた。杯の上で麻袋をしぼる。アトはボンフェラートの上半身をかかえて起こし、その木杯に入った汁を飲ました。
マルカは移動し、ヒューに火の癒やしをかけていた。それが終わると、次にイーリク。
最後のイーリクにも癒やしを唱えたマルカが、ふらふらと歩いた。駆けよると、ぐらりと倒れそうになった。あわてて抱きとめる。
「マルカも飲んだほうがいい」
アトが木杯を差しだしてきた。マルカに飲ませる。
ヒューにもイーリクにも、アザミの汁は飲ませれたようだ。とじた
ボンフェラートの体が動いた。
「ボンじい、気づいたか」
ラティオが寝台のそばに歩みよる。ボンフェラートは目をさました。
「・・・・・・」
「なに?」
「ひどく、まずいものを飲んだ夢を見た」
森の民が歓声をあげる。
自分も大きく安堵のため息をつき、空を見あげた。空は赤くなり始めている。夕暮れだ。今日は大変な一日だった。
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