第39話 ペレイアの見はり台
牢屋にもどり、じっとして待つ。
ここにもどるのは、降りるよりは怖くなかった。登るとき、人は下を見ないからだ。
それでも、まわりの屋根を越えた高さあたりから地上とはちがう風がふく。その風が恐怖心をあおるので困った。
「ぼくにはヒューの翼がある。ぼくにはヒューの翼がある・・・・・・」
「なんの呪文だ?」
塔の窓に着いたとき、すでに登っていたラティオに言われた。
「ヒューの
答えたけど、ラティオは首をすくめた。
「変わった精霊様だこと・・・・・・」
しばらく待っていると、階段の下から酒宴らしいさわぎが聞こえ始める。
それが一刻ほど過ぎると、なんの音も聞こえなくなった。
「
ラティオが言った。毒消し草が入った麦酒のことだ。泥酔酒とはすごい名前をつける。
石の階段をあがってくる音が聞こえた。グラヌスがぼくのまえに立ち、身をかまえる。
「これは、若者には教えられんな。悪用されそうだ」
そう言って階段をあがってきたのは、ハドス町長だった。入口にある鉄格子の鍵をあける。
「住民の配置はすんだ。そちらの副長とも話はしてある」
「あの巨漢と、よくすんなり話がついたな」
ラティオが言う巨漢とは、ドーリクのことだろう。
「それは精霊様が、すでに話をつけているからだ」
いつのまにかヒューがいた。窓から入ったのだろうが、音も気配もしなかった。
「さっきの会話、聞いてたのかよ」
「空に目あり、壁に耳ありだ」
ハドス町長について階段をおりる。一階の詰所では、十人ほどの兵士が床に寝ころがったり、机につっぷして寝ていた。
「これは、軍人にも教えられん。ほんとに泥酔だな」
グラヌスがつぶやく。寝ている兵士は酔っ払って気持ちよさそうだ。
詰所の隅に、自分たちの剣が無造作に置かれていた。もちろん返してもらう。
「ほかの兵士は?」
剣を腰にもどしながら、ラティオが聞いた。
「兵舎のほうにも酒樽を差しいれてある。それから戦えない者をひとり、兵舎の見はりに立たした。異変があれば知らせてこよう」
ラティオは片方の目をつりあげた。
「切れ者だねぇ」
ほんとにそうだ。若いのに町長というのは、やはり頭がいいと思う。ぼくはまわりの足を引っぱらないようにしよう。
「ラティオ、ぼくはどうしたらいい?」
「アトは、中央で町長さんと一緒に・・・・・・」
「いや」
ラティオの声をハドス町長がさえぎった。
「私は西の隊へ行く」
「おいおい、全体の指揮が」
「この策をさずけた者が指揮をすべきだ」
「・・・・・・おれが?」
あまりのことにラティオは言葉を失った。大勢の指揮だ。
「無理には頼めんが、貴殿ならできる。私はそう思う」
「しょうがねえ。やるしかねえか」
言葉とは裏腹に、言ったラティオの表情はやる気じゅうぶんだった。ラティオならできる。ぼくもそう思う。
「しかし、猿人のおれに指揮させるのか? 街のみなはそれで納得するのか?」
「そこはな、貴殿らの行動がすべてだ」
「行動?」
「猿人が、犬人の街を守るために命をかける。これは、あり得ぬ」
そうか。ぼくはアッシリア国に住んでいるので意識しなかった。でも、ラティオとボンフェラートのふたりは無関係だ。巻きこんで申しわけない。
「まあ、成りゆきでね」
「私なら逃げる。それをわざわざ知らせに来た。これで信用しなければ、馬鹿だろう。ぐだぐだ言うやつは、ぶっ飛ばしておいた」
意外にハドス町長は荒っぽいのか。ラティオもおどろいたようで、あらためてハドス町長をながめている。
「町長さん、あんた町長のまえは、なにをしてた?」
「ここの守兵長だ」
ハドスさんは
「中央には、ほか伝令として四人、足りるか?」
ラティオは無言でうなずいた。ふたりの目が、いつのまにか戦いにむけた目をしている。ぼくは気を引き締めなおし、ふたりについて塔の詰所をあとにした。
街の中央にある広場へもどると、大きな
篝のよこには、男の人が四人いる。さきほどハドス町長が言った伝令役だろう。
「アト」
ラティオがふいに呼んだ。
「おまえは目がいい。見はり台に登ってくれるか?」
ぼくは
「わかった」
櫓には木でできた
半分ほどになったとき、うかつに下をのぞいてしまった。思わず指に力が入る。
「死なないから、だいじょうぶ」
上から声が聞こえた。ヒューだ。飛んで先回りしたのだろう。櫓の上にある見はり台から下をのぞいている。その声を聞き、こわばる全身の力がぬけた。
見はり台に立つ。
街の東西南北、すべてが見えた。櫓の上だが、しっかりとした床。それに胸の高さほどの囲いがあり、登っているときのような怖さはなくなった。
街のあちらこちらに
この見はり台の床にも小さな台があり、そこに油皿がおかれていた。小さな火が灯っている。
見はり台には水袋も用意されていた。ラティオはさきを読むのが上手だが、あのハドス町長も用意がいい。小さな灯りをたよりに水袋から水を飲む。
水を飲むと落ち着いてきた。周囲を見はる。
水路の水が流れるちょろちょろとした音。北と西の隊の話し声。高い場所だからか、音もよく聞こえた。
「グール、くるかな?」
ヒューに聞いてみた。
「きたほうがいい?」
ヒューが測るような目で、ぼくを見た。切れ長の目、細い
ヒューは戦いにそなえてか、今日は長い髪をうしろで束ねていた。そうしていたほうが、ばらばらな髪よりすこし女の人に見える。
「こないでほしいよ、ヒュー。ここには大勢の人がいる」
積み木で遊んでいた幼児を思いだした。子供も大勢いるだろう。息をひそめて待つ夜は長い。気の毒だった。
「復讐はしたくない?」
ふいに問われ、考えた。父と母の復讐。腰にさげた小刀入れから薬刀をだした。黒くまだらにくすんだ小刀。捨ててもいいはずなのに捨てられず、肌身離さず持っている。
「自分がどう思えばいいのか、わからないよ」
ぼくは薬刀をしまった。グールは憎い。ぼくとグールだけだったら、八つ裂きにしたいだろう。でも、そんな状況は作れそうもない。
「ヒューは、なぜぼくらと一緒に?」
せっかくふたりなのだ。聞きたかったことを聞いてみた。グラヌスやラティオは課せられたものがあるが、ヒューにはない。
「なぜ、とな」
答えがあるのかと思ったら、鳥人族は考えこんだ。
「おもしろそう、そんなところか」
「ええ! 危険なこれが?」
「鳥人族は、いつでも逃げれる。さして危険には感じない」
ああ、なるほど! 大地に縛られた生物との大きな差がわかった。ぼくらは逃げるという行為は命がけだ。でも、空を飛べるなら、いつでも余裕なのか。
「それに、わたしを見た瞬間に近づいた者は、そういない。だいたい、一歩引くからな」
バラールの牢屋でのことだろうか。鳥人は一歩引かれるのか。その気持ちはわかる。ぼくも人間で、だいたい初めて会った人は一歩引くからだ。
「引かない人物が三人同時にあらわれた。どういうやつらかと思って観察してみた」
三人とは、ラティオ、グラヌス、ぼくのことか。
「観察してどうだった?」
「馬鹿、単純、世間知らず。そんなとこだろうか」
思わず顔をしかめた。馬鹿と単純がどっちのことかわからないけど、世間知らずはぼくのことだ。これはまちがいない。
「だが、まだよくわからないことも多い。しばらく観察はつづけようと思う」
「そう、ありがとう」
観察されて感謝というのも変だが、ほかに言いようがなかった。とりあえず、いてくれるなら感謝だ。
あらためて見はり台から周囲を見まわす。東西南北、なにも怪しい物影はなかった。
「うん?」
「どうした、アト」
なにかが変だ。でも、そのなにかがわからず、ぼくは周囲をきょろきょろした。
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