第14話 ふたたびの出立
「アトボロス、何か必要なものがあるか?」
コリンディアの小さな店がひしめく露店街で、グラヌス隊長が聞いてきた。
「グラヌス隊長、すぐに出発しないのですか?」
「ひと晩は野宿をせねばならん。はらがへっては
おなかは
「おお、それからアトボロスは軍人ではない。隊長と呼ばず、気さくに話してくれ」
「ぼくは訓練兵です!」
「そうか。まあ、訓練兵だからな。それほどかまえず、グラヌスと呼んでくれ」
それでいいのだろうか。ラボスの守兵副長トーレスさんは、訓練所に入ったときから自分を戦士と思え、そう言っていた。
「それで買うものはあるか?」
ひとつ思いだした。
「弓を
「なるほど、弓屋か。こっちだ」
案内してくれた弓屋は、先日にぼくが見ていた弓屋だった。平台の上に、大きい弓、小さい弓と、たくさんの弓がならんでいる。
「隊長、どの弓がいいでしょうか?」
「アトボロス、さっき言ったであろう。グラヌスだ」
そうだった。
「では、ぼくのことも短くアトと」
「わかった」
グラヌスはうなずいて笑った。少しのんきだけど、この隊長は悪い人ではない。
「グラヌス、どの弓がいいですか?」
「それが……」
グラヌスは腕をくみ、にらみつけるように弓のむれを見る。
「弓は苦手で好かぬ。いや、好かぬから苦手なのかもしれぬが」
あれほどの剣の腕を持っている人が、弓は駄目なのか。
「鉄の弓?」
手に取ってながめてみる。うすくて細い鉄の板を曲げて作っていた。見た目ほど重くはない。
「おう、坊ちゃん、お目が高い!」
店主らしき人がでてきた。
「それは南方の国から仕入れたものだ。ぶつけたり落としたりしても、壊れることがねえ。こんな珍品を売ってるのは、うちぐれえだろうな」
店主は自信満々だ。
金額は、ふつうの弓よりすこし高いぐらいか。買えないことはない。父さんから旅費をもらっている。
「では、これをください」
「はいよ」
「待たれよ店主」
よこから、ずずいとグラヌスが割って入った。
「ちと、高くはないか。もう少々まけてくれぬか」
おどろいた! 品物の金額に文句をつけるとは。
「いやあ、これは珍品なんでね」
「では、これの矢はどれだ?」
「へい、これでさ」
「これを三本買う。そこで二本おまけしてくれ」
たしかに、弓はそれぞれ弦を引いた長さがちがう。それにあった矢が必要だ。自分で作ることもできるが、ここに売っているのなら最初は買ったほうがいいだろう。
「気持ちよく決めていただいたんで、いいでしょう!」
店主は五本の弓をだした。こんなやりとりがあるのか。これは都で買物をするなら、気をつけないと。
ぼくが銅貨をだそうとすると、グラヌスが
弓矢を買ったあとは金物をあつかう店で小さな鍋を買った。あと食料も買うらしい。
露店街は混みあっている。人のあいだをぬうように歩くと、意外な人物に出会った。
「ダリオン……」
「これはグラヌス殿」
ダリオン第八隊長のうしろには、部下らしき人が五人もいる。
「ラボス村へ調査にいくそうで」
「よく知ってるな。父親に聞いたか」
「父親ではない。フォルミヨン第一歩兵師団長と申せ」
グラヌスは相手にせず、ぼくを見た。
「アト、いこう」
グラヌスが歩きだすと、またダリオンが口をひらく。
「そちらは辺境の村へ調査。こちらはザンパール平原へ視察。内容の質に差はあれど、おたがい職責を果たそうぞ」
グラヌスはうんざりしたのか、それも答えず歩きだした。
ついていくと、一軒の店先で止まる。小さな屋根があるだけの小屋には、肉のかたまりが吊るされてあった。
「わが隊のいきつけの肉屋だ。質がよくてな」
グラヌスは奥で作業をしていた店の者に声をかけた。
「あるじ、干し肉を
「おお、これはグラヌス様」
答えたのは、おなかのでた
「街の者から聞きましたよ。第五隊長への昇進、おめでとうございます」
「うむ。まあ、素直にはよろこべぬがな」
「旦那は大きく羽ばたいていきますよ。あっしのはらのように」
肉屋の主人は、おなかをぽんぽんっとたたいた。
「それも素直には、よろこべんな」
ふたりが笑った。ぼくは早く出発したい。気があせってきた。
「おお、そうそう」
肉屋の主人は店の奥から一本のびんを取りだした。
「お客さんからの差し入れで。旦那があらわれたら祝いにわたしてくれと」
「自分にか。すまぬな。よくこの店にあずけたものだ」
「へえ。それは、ご
グラヌスは封のされたびんを受けとりながめる。
「
「へえ。かなりの上物だそうで」
「それはよいな。野宿の夜は長い。これでしのげるだろう」
グラヌスは干し肉を買うと、となりの店でパンも買った。背中に用意していた背負い袋に入れ、駐屯所に帰る。
「イーリク、ドーリク、連れてはゆけぬぞ」
副隊長のふたり。てっきりグラヌスが呼んでいたのかと思った。ふたりはすでに、ふくらんだ背負い袋をしている。
「隊長、ではそめて、どちらかひとりでも」
「ならぬ。これは、自分とアトだけでよい。ふたりには留守中の隊をあずけるぞ。よいな」
ふたりの副長が、ぼくを見た。あまり歓迎されてはいない。
グラヌスは手慣れた動きで馬を馬房からだし、
「ではいくぞ、アト」
どう答えていいかわからず、うなずいた。
「はっ!」
グラヌスが馬を蹴った。
この街に入ってきた門とはちがい、軍の専用らしい大きな門を駆けぬける。
馬にゆられながら、うしろをふり返ってみる。みるみるうちにコリンディアの街が小さくなっていった。
これはやはり軍用馬だ。ラボス村にいる馬とは速さがちがう。
馬の速さを感じると、あせる気持ちがすこし楽になった。この馬なら早いだろう。
思えば、最初に会ったのがグラヌスでよかったのかもしれない。星のまわりがちがえば、最初に会ったのがダリオンだったのかも。それを思うと、ぞっとする。
ふり落とされないよう、しっかりとグラヌスに抱きついた。ぼくが抱きついても微動だにしない、それはたのもしい背中だった。
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