第11話 第三歩兵師団
逃げようとしたら、おとなの犬人に腕をつかまれた。
「こいつ!」
「暴れるな!」
逃れようと必死でもがいた。おとなが四人か五人あつまり取り押さえられる。
「待たれよ!」
声をあげたのは、さきほど剣の稽古をつけていたグラヌス隊長だ。ゆっくりと、ぼくに近づいてくる。
「まだ
ぼくのまえに隊長がきた。背格好は父さんより高い。からだの厚みもあった。
近くで見ると意外に若い。隊長というから上の年齢を想像したけど、二十五、二十六、そのあたりだ。
「なに用ぞ、猿人族の子よ」
ぼくは、つかまれていた腕をふりほどき、背負い袋から父の手紙をだした。
「ラボス村のアトボロスと申します! 父の伝言をゼノス様にと」
グラヌス隊長が手紙を取る。すこし読むと顔色を変え、周囲にむけて声をあげた。
「第三歩兵師団、第五隊長のグラヌス。この子の
それを聞いた周囲のおとなたちが、うしろにさがった。
「少年よ、これは正規の
言われている意味はわからないけど、なにもだましてはいない。
「父、セオドロスの名にかけて!」
「セオドロス。聞いた名だ」
グラヌス隊長は、そう言ってすこし考えたが思いだせないようだった。
「ついてまいれ。ゼノス師団長に接見を申しこむ」
グラヌス隊長は訓練所のなかへと歩きだした。グラヌスはさきほど、ゼノス師団長と言った。父さんの知り合いは隊長ではなく、師団長だったのか。
考えていると遅れそうになり、あわててあとを追う。
丸太の柵で区分けされた訓練所のなかを歩いていく。進んでいくと、石造りの建物があちこちに見えた。
「ここは、歩兵の駐屯地ですか?」
「そう。むかしは隣国との戦争で、駐屯地は運河ぞいの
隊長に聞かれてうなずく。
運河か。このアッシリア国とウブラ国のあいだを流れる大きな川。見たことはないけど聞いたことはある。
「猿人族ではないのだな?」
「はい。人間、だと思います。ぼく以外に見たことがないので、ちがうかもしれませんが」
グラヌス隊長が、おどろきの顔でふり返った。
「なんと、
もろもろの種族の始祖は人間だという説がある。でも、ぼくは信じてなかった。ほかの種族にくらべ、あまりに弱い。
始祖というなら、鳥人族ではないか? というのがぼくの予想だ。飛べる種族がもっとも強そうに思う。ぼくは会ったことはないけど、大昔にはラボス村にも数年に一度、鳥人族が立ちよっていたと長老が話してくれた。
はるか遠くにいくと「海」という大きな池があり、さらにさきには人間の国や鳥人の国があるとも聞いた。旅してみたいような、怖いような、両方の気持ちがする。
グラヌス隊長につれられ、大きな石造りの建物に入った。
役所とおなじように長机に人がいる。ただし、こちらの長机は木だった。大理石の床もない。
ここで待つのかと思ったら、グラヌス隊長は奥へと進んだ。
扉のまえに兵士がひとり立っている。これは見はり? でも家のなかだ。
「第三歩兵師団、第五隊長グラヌス。ゼノス師団長に接見を申しこむ」
「はっ、お待ちください」
見はりの兵士は気をつけをし、部屋に入っていった。
「待たなくて、いいのですか?」
「軍達は、運んだ者が、宛てた相手に直接わたすのが決まりだ」
そう言って、父さんの手紙をぼくに返した。
「本来は、宛てた者以外に見せてはならぬ」
「街の役所にだしてしまいました。見られてはないと思いますが……」
グラヌス隊長が顔をしかめた。
「たるんでおるな。あとで言っておく。ひとめ見ればわかるものを」
見はりの兵士がもどってきた。
「グラヌス隊長、どうぞ」
ふたりで部屋に入る。なにもない部屋だった。さらにおくの扉へむかう。
「第五隊長グラヌス、入ります」
「許可する」
部屋のなかから、太い声が聞こえた。グラヌス隊長が扉をあける。
「いそぎの用か」
「はっ!」
入口にむけて大きな机があった。そこにかけている人、この人がゼノス師団長!
岩のような老人、そう見た瞬間に思った。顔にきざまれた
ゼノス師団長がぼくを見て、いぶかしむ顔をした。
「猿人族か」
「いえ、人間とのことです」
「なんと、始祖か!」
ゼノス師団長も、グラヌス隊長とおなじ言葉を口にした。
「しかも、ラボス村の子だそうで」
「ラボスか。あそこには、ともに戦ったセオドロスという者がおる」
さきほど会ったばかりだけど、ぼくはグラヌス隊長と目をあわせた。
「師団長」
「なんだ」
「そのセオドロスの子だそうです」
「なんと!」
ゼノス師団長は目をむいて、ぼくを見た。
「セオドロスの子、アトボロスと申します。ゼノス師団長。父は隊長と呼んでいました」
自分を名乗るとともに、父のまちがえを聞いてみた。
「そうだな。セオドロスがいたころは隊長だったのでな」
なるほど。父さんは、それでいまでも隊長と呼んでしまうのか。
「しかし、あの戦場の
グラヌス隊長も興味深そうに、ぼくをながめた。かくすことでもないので説明する。
「明けがたに、橋の下に落ちていたそうです」
「なぜ、橋の下に」
なぜだろう。それは考えたことがなかった。
「
ふたりが見あった。変なことを言っただろうか。
「して、セオドロスの子。なに用で、ここまできた」
ぼくは手にした手紙をわたした。手紙の内容はわからないが、読みはじめた師団長さんは真剣な顔だ。
読み終えると、立派にそろった鼻のよこの長い毛をなでた。
「グラヌスよ」
「はっ!」
師団長に呼ばれ、若き隊長は気をつけの姿勢になった。
「すぐに師団長会議を申しいれる。ふたりの師団長に連絡せよ」
グラヌス隊長が一礼し、退出する。ぼくは自分の役割が果たせたと、ほっとした。
「ありがとうございます!」
「ふむ……」
ぼくはゼノス師団長に感謝したが、師団長は浮かない顔をしていた。鼻のよこにある長い毛に手をやり、なにかを考えている。
ぼくはさきほど、ほっとした気持ちだった。でもなぜかまた、心がざわつくのを感じた。
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