第八十一話 ここでは俺が法律だ
「領主を
例えば南方でクレインの悪評は、ほとんど広がっていない。
ヨトゥン伯爵の周辺も民衆も、ヘルメス商会に疑惑の目を向け始めたのが現状だ。
しかし商会側が組織だって悪評を流し始めたことは事実となる。
マリウスは大声で罪状を読み上げていき、支店長の動揺は一層激しくなった。
いくつかは図星で、いくつかは彼も知らない内容だったからだ。
だが、どれ一つ取っても致命傷を負う容疑ではあったので、彼は全てに反論せざるを得なかった。
「ふ、風説の流布? 何の話ですか! 横流しもしていな――」
「マリウス」
「こちらが証拠だ。直近半年の動きは全て監視していた」
マリウスが突き付けた書類の束には、ヘルメス商会がヨトゥン伯爵領から運んだ物資を東へ輸送していたと書かれている。
支店長もざっと確認してはみたが、これは普通なら何の問題も無いはずの事柄だった。
「し、仕入れた商品をどこで売ろうと、当商会の自由ではございませんか!」
今までであれば。過去のアースガルド領であれば、春先に生産を依頼した寒冷地種だけでは需要を賄い切れていない。
当初は売却益を稼ぐ方針でいたものの、出稼ぎや移民、加増された領地への救済などで食糧不足に陥り、ヨトゥン伯爵家の備蓄からも最大限に購入していた。
この点で、依頼分は冬の前に運び終えており、それ以後の作物は全て伯爵家から購入していたのだ。
そして売却元のヨトゥン伯爵家から「アースガルド家に卸してほしい」と言われた品でも、特別な契約をしなければ売り先は自由に決まっている。
実際に過去では問題になるはずがなかったが――今回は話が違う。
「認識違いをしているようだが、ヘルメス商会に任せていたのは輸送だけだ」
「輸送だけ、ですか?」
北東方面の売り先は子爵家しか想定していないので、ヨトゥン伯爵家が売却した穀物などには当然、今回も特に制約が付いていない。
だから普通であれば裁くことなどできない。
だが、今回の道順を始めた当初から既に、クレインは落とし穴を仕掛けてあった。
「そうだ。当家がヨトゥン伯爵家の
今となっては子爵領内に流通している作物の大半が、アースガルド家からヨトゥン伯爵家への依頼で生産されたものとなる。
借地料から農家への支払い、種の費用まで全てが子爵家持ちであり、ヨトゥン伯爵家は一括で取りまとめているだけだ。
アースガルド領に運ばれる食糧のほぼ全てが、作付けの段階から既に子爵家の財産として扱われている。
「これを
「そ、そんな条項が……?」
今のアースガルド領は、食糧危機に焦るほどではないという状況だ。
しかし住民は5割増しにも届いてはいない。
だから本来であれば、有り余るほどの量を確保していなければおかしかったのだ。
では何故、余裕で賄える域に達していないのか。
それはもちろんヘルメス商会が、組織的な横流しをしているからだ。
東への支援はあればあるほどいいので、流入する量が増えると共に横流しの量も増えている。
つまりはアースガルド家の財産を、勝手に他領まで持ち出しているのが現状だ。
「契約は秘密にしているわけではないし、ジャン・ヘルメスほどの商人が気づかないはずもない。これは故意だろうな」
「左様でございますね」
クレインは、あの老人への恨みを忘れていない。
復讐を決意した瞬間から徹頭徹尾、この商会については完全に潰すことだけを考えていた。
長い下準備ではあったが、真相を知った次の日からもう準備していたのだ。
軍需物資や兵糧の密輸は確実に行われると考えて、王国歴500年4月1日の段階で既に、この罪を被せるために動いていた。
「反論はあるか?」
「その……しょ、証拠は確かなのですか!? ええと、まず、暗殺の指示があった件ですが――」
突然の事態に慌てふためく支店長だが、商会としてまず一番に回避したい問題が何かと言えば、組織的に領主の暗殺を目論んだ点だ。
これが確定すれば、悪評が立つという程度では済まない。
会長からの指示があったかどうか。支店長としてはそこが争点と見ていた。
だが、レスターはそれをバッサリと切り捨てる。
「証拠ならここで山になっている。それに暗殺の件は先ほど、貴様が自白しただろうが」
「え、いや、それは、私が個人的に……」
支店長はマリウスの手元にある書類に意識がいっているが、集まった野次馬からすれば話は別だ。
第三者から見た争点は全く違う。
ヘルメス商会の支店長が、領主に暗殺を仕掛けた件について自白していた。
これ以上に重要な点など無い。
「金目当てでクレイン様を殺そうとしただと!?」
「引っ込め! 金の亡者がーっ!」
善政を敷いているクレインを、遊ぶ金欲しさに暗殺しようとしたこと。
その事実だけで心証は最悪となり、どちらが悪かは明確に判断された。
それだけ確認できれば用は足りたので、マリウスは別な狙いのために、部下に命じて支店長をさっさと拘束する。
「クレイン様。用意が整いました」
「ありがとう」
次いでクレインは工兵が設置した仮設の演台に乗り、集まってきた野次馬に向けて演説を行う。
「諸君! 今日の捕り物の経緯については聞いていたな!」
「おお!」
「ばっちり聞いてたぜ、坊ちゃん!」
ここまでくれば文字通りに独壇場だ。
領主の言葉を遮る野次馬などいないので、クレインは堂々と声を張り上げていく。
「暗殺の自白については諸君らも聞いた通りだが! 読み上げられた罪状について、商会側からの明確な反論は無かった!」
民衆から見ても、商会側に何らかの落ち度があったことは分かる。
それに、一部でも犯行を認めたのは事実だ。
例えマリウスが話を打ち切らせた結果だとしても、しどろもどろのまま、何も言えないままに自己弁護は終わっていた。
「そして暗殺の件よりも、許せないことがある! 領民を飢えさせないために、当家で用意していた物資を横流ししたこと。これを捨て置けはしない!」
「そうだ!」
「最近パンが高くなったのは、ヘルメス商会のせいだ!」
食糧に困っていないと言っても、横流しで儲けていたと言われれば印象は悪い。
特に食糧難で新天地に来た、移民組からは反感を買っていたし――野次馬の中には当然、マリウスの部下がサクラとして潜んでいる。
周りの人間が全員バッシングに参加していれば、扇動された民衆はどんどん怒りを燃やしていった。
ひとしきり商会へのブーイングが飛んだ頃。
会場が温まったと見て、クレインは高らかに宣言する。
「子爵家が集めた100を超える証拠。また、支店長の自白を以って有罪と断定する! 余罪も厳しく追及し、全てを白日の下に晒していこう!」
ここで、そもそもの話になる。本当に基本的な社会生活の話だ。
領内の統治権も裁判権もアースガルド家に属しているので、民衆からの理解が得られるならば、どんな裁きも正当化される。
他領が絡むことなら話は別だが、領内のことに関してはクレインがルールだ。
この場で即時に判決を言い渡しても、一向に構わない。
魔女裁判もいいところではあるものの、暗殺計画の自白という最強のカードが手に入った以上、ここまでくれば領民感情でどうとでもなる。
「悪徳商人を許すな!」
「当然の報いだ!」
また、色々と罪状は並んでいるが、罪状の一覧に並んでいる禁制品の流通の疑いなどは裏を取っていない。
他領でやっていたのだから、アースガルド領内でも同様にやっていたのだろうという、あくまで疑いの段階でしかなかった。
「……雑多な噂の中に一つでも真実があれば、他も疑って当然、か」
しかし暗殺や横流しなど、いくつかの明確な犯罪があれば、
先制攻撃を仕掛けてみると、全ての因果が敵に跳ね返る結果となっていた。
「あ、あなたは極悪人だ! こんな裁きが、許されるはずがない!」
「ここでは俺が法律だから、お前たちを相手に許されないことなど無いんだが……まあいい」
クレインの背後から、悪し様に罵る声がした。
――しかし彼は全てを許す。
罵声を上げる支店長に近づくと、クレインは耳元で囁いた。
「君に対する示談は成立しているから、そこはもちろん不問にするよ」
「えっ」
無事に済めば民衆から怒りの矛先が向くだろうし、ジャン・ヘルメスの怒りまで買うかもしれないが、それはそれだ。
支店長と、関与したベテラン従業員については示談が済んでいる。
そこはブリュンヒルデの証言を基にクレインも認めた。
彼らの罪は、賠償金を受け取ったので裁かない。これがクレインの裁定だ。
「聞き取り調査にだけは、協力よろしくな」
「あ、あの……」
言葉を失った支店長は馬車に押し込められて、取り調べに向かった。
そしてクレインからすると、指摘されたことは正しくもある。
やっているか怪しいことまで全部有罪にして、軍隊を動員した上で、民衆を扇動しているのだから――クレインとしても悪事の自覚はあった。
「それがどうした。ここまで来たら徹底的にやってやる」
いずれにせよ、1つでも発覚すれば死罪は免れない罪状ばかりが並んでいるので、どう足掻いたところで結果は変わらない。
100パーセント確実に有罪な罪状も揃えてあるので、一切の手加減は無かった。
「全ての物品を残らず差し押さえろ! 建物は各中隊が持ち回りで占拠だ!」
領内に存在する財産の全てを奪い、全従業員を拘束したのだ。
ここまでやれば息の根は止まるし、銀山開発や領地開拓のために投資した資金も全て回収される。
あとは南からヘルメス商会を追い出せば、同盟圏内から完全にシャットアウトできるようにもなった。
「これで借金は消えたな。支払いが無くなったから、財政は大幅黒字だ」
「左様でございますね」
「ああ、めでたいことだ」
巨額の借金が消えて無くなったどころか、アースガルド領内のヘルメス商会から全財産を接収したので、金庫は大いに潤ったところでもある。
この資金でクレインが何をするかと言えば――
「よし。東伯に備えるための砦を、徹底的に頑丈にしてやろう」
敵の評判を地に落としつつ、敵から奪った資金で敵を苦しめる。
クレインからすると極めて合理的な作戦は無事に成功し、領内の大掃除と差し押さえは終わった。
「それとは別に、反撃の最終段階に移るとしようか」
「如何しますか?」
「まずは今後のことも含めて作戦会議かな。特に……そろそろトレックには話してもいいだろうし」
評判を叩き落した上で財産を吸い上げたのだ。
確かに大打撃だろうが、これで息の根が止まるとはクレインも思っていない。
仕上げには一工夫を入れるつもりであり、差し押さえの用意と並行して、トレックらに応援部隊を集めるようにも命じてあった。
「承知いたしました。では、会合の段取りを整えておきます」
「ああ、細かいことはブリュンヒルデに任せる」
商会長たちからすると不可解な指示ではあったが、最後の作戦が間もなく発動できる。
押収される物品を眺めながら、クレインは仕上げのことについて考えを巡らせ始めた。
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領内で完結する事件については、領主のクレインが裁判権を持ちます。
報復のことを考えない場合。支持率が落ちない名目さえ整えたら、法律的には無敵の存在です。
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