閑話 戦慄、走る
「失礼、何かお困りですか?」
「え? ああ、はい。道に迷ってしまって」
商売で培った分析力を活かして、トレックは相手を推し量った。
年齢は20代前半から半ばほどで、少しばかり北部の訛りがある。この辺りでは珍しい黒髪でもあるので、移民の線が濃厚だ。
所作を見る限り貴族ではない。髪はよく手入れされているが、身なりからして商家出身か。
それなりの教養があるのなら、あまり軽薄な姿勢では印象が悪いだろう。
以上のような数多の計算を行いながら、トレックは爽やかに笑いかけた。
紳士的な振る舞いを心掛けつつ、いつも通りの商談を行うが如くだ。
「次の約束まで時間があるので、よろしければご案内しましょうか?」
「ええと、その……」
プライベートでは満足に使えていないが、話術は一流で空気も読める男だ。
見知らぬ男から急に声を掛けられたら、戸惑うことも理解はできている。
しかしその程度であれば、話術と身分でカバーできると踏んだ。
「私の名前はトレック。トレック・スルーズと言います」
「もしかしてスルーズ商会の?」
「そうです」
誰しもが知っている大手商会の会長だ。財力と社会的信用が違う。
彼の資本が入っている店などそこら中にあるので、証明も容易だった。
また、今日の彼は他所行きの格好で小奇麗にまとめており、顔立ちとて悪くはない。
普通に考えれば好条件が揃い踏みだ。
そもそもトレックからすると、この出会いが付き合いに発展しなくともいい。
異性と仲良くなる練習なのだと決意して、彼は最大限の社交性を発揮した。
◇
「何をしているかと思えば、やってるねぇ」
チャールズが戻ってくると、トレックは見知らぬ女性と一緒にいた。
会話は弾んでおり、遠目に見てもいい雰囲気ではある。
「しかしトレックの奴、完全にデレデレしてるな」
愛嬌がある女性のようで、トレックはすっかり魅了されている。
商談用の笑みなど、開幕から数分で崩れ去っていた。
相性は良さそうなので、相手に脈があればもしかしたらといったところだ。
「でもまあ今日はこの間みたいにがっついてなければ、挙動不審でもない。……いけるか?」
既に何度か紹介して、反省会を繰り返したチャールズである。
トレックが上手くいけばもちろん祝福するが、彼は現実的な問題にも目を向けた。
「お相手はそこまで裕福そうじゃないし、成立すれば身分差の恋ってのもあり得るな。あと、晩の飲み会どうしよう」
今日中に付き合うところまではいかないだろう。
しかし気になる異性ができたところに、新しい出会いをさせるのもどうなのか。
彼はトレックの性格を鑑みて、危うい賭けだと判断した。
「どっちつかずになった上に、上の空で仕事にならないって線もあるな」
トレックはそれほど器用な生き方をしていないのだ。
友達以上恋人未満の関係を、同時並行で複数抱えることなどできない。
そして仕事に影響が出れば、クレイン個人どころかアースガルド領全体の問題ともなる。
「いいや、ここは安全策だ。他を当たるか」
後ろから登場する野暮をせず、チャールズは黙って去ると決めた。彼は彼で意外と空気を読む男だったからだ。
見込みがありそうな出会いに、水を差すほど野暮ではない。
懸念があるとすれば、お相手の女性にパートナーがいることだけだ。
「まあその辺は、なるようになるだろ」
来た道を引き返していく最中、チャールズは顔見知りに声を掛けていった。
彼とていつでも女性に生きているわけではなく、声を掛けていくのはほぼ男性だ。主には見回りをしている衛兵や、そこらの店主と世間話をしながら歩みを進める。
そうこうしているうちに、一際目立つ人物と鉢合わせた。
「む、チャールズか」
「ランドルフ?」
人並みから頭一つ分以上も浮いている男は、家臣の中でも豪勇で知られるランドルフだ。
彼はクレインが遊ばせようとする対象に入っておらず、チャールズからするとまだ、どんな人物か分かっていないところがあった。
一方でランドルフから見ると、チャールズの身分が格上に過ぎる。伯爵家の子息とは、対外的に見れば主君であるクレインと同程度の偉さであり、気軽には話しかけにくい存在だ。
そもそも軍事専門のランドルフと、要人警護が主のチャールズでは、顔を合わせることすら久しぶりだった。
「珍しいな、繁華街で会うなんて」
「う、うむ。少し用があるんだ」
貴族と平民の間柄ではあるが、階級はランドルフが上なので、両者共に敬語は使わない。
というよりもチャールズが敬語を使う相手は、ビクトールくらいだった。
何となく気まずい雰囲気が流れたが、そこは交流に定評のあるチャールズだ。
すぐに気を取り直して、話を広げていく。
「ランドルフの私服を見るのは、なんか新鮮だな」
「そうか? まあ、会う時は大抵が仕事中だからか」
ランドルフの私服はサイズが大きいだけで、別に虎や熊の毛皮を被っていたりはしない。
だから特に触れることでもないが、目新しいことには変わりなかった。
適当な取っ掛かりを作りつつ、チャールズは更に尋ねる。
「で、用ってのは買い出しか?」
「いや、人を探しているんだ。今日は外食の予定なんだが、待ち合わせ場所にいなくてな」
ランドルフの交友関係をよく知らないチャールズからすれば、これも興味を惹かれる話題だ。
触れて困る話題ではないだろうと、彼はこの話題を掘り下げた。
「なるほどねぇ、ちなみに探し人の特徴は?」
「特徴……何と言えばいいか。まあごく普通の顔立ちをした、黒髪の小柄な女性だ」
「へぇ」
特徴を聞いた瞬間――チャールズに戦慄、走る。
何だか聞いてはならない情報だったような。深く聞かないと誰かの命が危ないような。
強烈に嫌な予感を覚えながら、無難に相槌を打つ。
「この辺りでは珍しい髪色なんだが、どうにも見当たらん」
「そうか、それは大変だな」
山野で唐突に、野生の肉食動物と遭遇したかのような緊張感だ。
万が一にも対応を間違わないようにと、チャールズは慎重に探りを入れた。
「探しているのは妹さん、とか?」
「いや、妻だ」
アウト。チャールズの脳裏に浮かぶ単語は、最早それだけだ。
この事実をトレックは知っているのか。
否、知っているはずがない。
知り合いの妻だと知っていれば、もう少しきちんとした顔を維持していたはずだ。
「通りの角にある、茶店で待ち合わせと言っていたんだがな」
「そ、そうか。なるほどなぁー」
普段はグレアム隊の面々に負けず劣らずなチャールズも、今回ばかりは真面目に頭を回した。
順当に考えれば、ランドルフを素直に妻のところに案内して、トレックにも事情を説明すれば済む。
だが本気で横恋慕していたとすれば、冗談でなく命に関わることだ。
「この近辺は治安がいいから、事件に巻き込まれたとも思えん。一体どこにいるのやら……」
「は、はは。ここらは建築ラッシュだから、案外迷ってたりして」
ランドルフの妻はそれほど顔が知られていないが、ランドルフが愛妻家という話は有名だ。
下心がありそうな表情を見られるだけでも、相当に危ういとチャールズは判断した。
「よ、よし、俺も探してみよう」
「いいのか?」
「ああ、暇だからな。あっちを見てくるから、ランドルフは待ち合わせ場所にいてくれ」
チャールズの脳裏には、友人の商会長が知り合いの悪鬼に、頭からバリバリと食われるビジョンが浮かんでいた。
絶対に遭遇させてはならない。
絶対にだ。
だから彼はランドルフを足止めしつつ、トレックの軌道を修正しようと決意した。
「俺は目立つから、探しに出るなら自分で――」
「いやいや、逸れると面倒だろ? こういう時は動かない方がいいんだって」
適当な理屈を付けようとしてみたが、確かにランドルフは目立つ。
通りの端からでも、個人として認識できる程度には目立つのだ。
「あ、そうだ。俺が探している間に、裏の通りで花を買うといい」
「花?」
他の口実を探したチャールズは、一本横の通りで、数日前に花屋が開店したことに思い当たった。
「食事時に、邪魔じゃないか?」
「食後まで預けておけばいいんだよ。ランドルフが先にレストランに行って、店員に保管を頼んでおくのがいいだろうな」
夕食にはまだ時間がある。花を買ってから店に預けて、それから集合場所まで戻ってもまだ時間は足りるくらいだ。
「嫁さんに、最後にプレゼントを贈ったのはいつだ?」
「誕生日だから……半年前くらいか」
「最近忙しいし、家も空けがちだろ?」
「うむ、まあ」
腑に落ちない顔をしているランドルフに対し、なるべく自然にチャールズは言い包めていく。
「せっかく外食するなら、日頃の感謝をサプライズで伝えるのもいいと思うぜ」
「そういうものか……」
そんなこんなで、説得すること3分ほど。
やがてランドルフは納得して、大きく頷いた。
「確かに遠征や訓練ばかりで、苦労を掛けているな」
「そうそう。てことで俺が探しておくから、任せてくれ」
「だが、そこまでしてもらうのは……やはり悪いのでは?」
「いいから任せてくれ。ほら、行った行った」
ランドルフを見送ってからすぐに、チャールズは駆けた。
屋敷に戻ろうとしていた道を更に引き返して、現場に急ぐ。
彼が全速で走って駆けて、ようやく姿を見つけた時――もう、どうしようもないほどに――トレックはだらしない顔をしていた。
「よし、出会わせなくて正解だ!」
間抜けな顔をしているだけなら、異性慣れしていないだけで押し通せるか。
否、あの表情は結構危ない。
会わせなかったのは的確な判断だと、安堵したのも束の間。
トレックは真剣な表情を作り、ランドルフの妻に何を言うかと思えば――
「夫婦で、一緒のお墓に入れたら素敵ですよね」
「え? ふふ、そうですねぇ」
僕と一緒の墓に入ってください。という、何とも古風なプロポーズをしていた。
幸いなのはセンスが古臭すぎて、相手に伝わっていないことだけだ。
「あ、いや、お前ぇ!?」
気を取り直したトレックは別な言葉で言い直そうとしているが、チャールズからすると冗談ではない。
交際の申し込みを飛ばしてプロポーズなどと、何を考えているのか。
そもそも相手を考えろ。
いや、まず相手の素性を調べてからにしろ。初対面だろう。
などと、色々と言いたいことがあったチャールズだが、今の彼が取るべき作戦は、何を置いても離脱のみだった。
「や、やめろトレック! 早まるな、早まるんじゃない!」
「うわっ! なんですか!?」
驚いているランドルフの妻を横に置き、何とかトレックは連れ出せた。
問題はこの商会長を野放しにすると、再度アタックに行きかねない点だ。
「声を掛けた人が凄くいい人で、運命の出会いかもしれないんです。止めないでください!」
「ああよく引き当てたもんだ、ある意味運命だよ。……世間って狭いよな」
勤務態度こそ不良なチャールズだが、今日ばかりは真面目な説得と交渉を繰り返した。
結果としてトレックの命は助かり、ランドルフのサプライズも成功する。
翌日には礼を受けて、武官の親睦が深まったくらいだ。
しかし問題は別にある。
◇
数日後、チャールズはクレインの執務室を訪れて、顛末を報告していた。
「そういう話があってさ」
「……急に大々的なセールを計画し始めたから、おかしいとは思ってた」
トレックは飲み会に出られる精神状態ではなくなったので、結局欠席。
その後の彼は、何かに憑りつかれたように仕事に打ち込むようになり、以前にも増して恋愛から遠ざかっている。
生涯独身の誓いまで立てていたので、クレインも不穏な気配は感じていた。
「なあチャールズ。実はトレックって、
「ああ、あれは重症だけど……どうするかな。遊びに誘っても断固として来ないし」
無理が祟れば身体を壊しかねないので、クレインも修正案を考えてはみる。
だが今となっては全てが後の祭りであり、打つ手など残ってはいなかった。
「ここからだと、どうしようもないか。……よし、一旦やり直そう」
今日も今日とて服毒したクレインは、4日前の朝から人生を再開した。
そして彼からすると、この調整は簡単な部類だ。
「要はランドルフたちと、会わなければいいだけの話だからな」
スルーズ商会へ向かう前のチャールズにお使いを頼み、午後の遅い時間から誘い出しをさせればそれで済む。
報告にあった地上げ屋も、オズマを派遣して取り締まれば解決だ。
これで丸く収まるはずだったが――これも駄目だった。
「飲み会でトレックといい感じになった子が、彼氏持ちだったらしくてさ」
「え?」
修正した結果を持ってきたチャールズは、苦笑いをしながら言う。
「自分の方が
「どうしようもないな!?」
トレックの恋愛はどうあっても実らないのか。
どうしてここまで運が悪いのか。
若くして多くを手に入れた商会長の、唯一の欠点。
歴史を改変してもなお失敗する恋愛運の無さには、クレインも唖然とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます