弱小領地の生存戦略！ ～俺の領地が何度繰り返しても滅亡するんだけど。これ、どうしたら助かりますか？～

第五十四話 人類最強の男

「……なるほどな。こうすりゃ、問題は何もないってワケだ」

　これで心置きなく降れるし、ついでに言えばクレインから一杯食わされた状態だ。

　苦手意識というほどではないが、目に見えない形で上下関係が形成されつつある。

　グレアムの立場を慮り、配慮しつつも詰めるところは詰める。

　今までの突拍子の無い発言も、全てはこの状況への布石なのだろう。彼はそう考えた。

「ただのボンクラ貴族じゃねぇようだが、もっとやり方があっただろうに」

　グレアムは今までの人生で、路傍の草のような扱いを受けてきた。

　身分が高い者とは流民同然の彼らを虐げ、気まぐれに踏みつけるような存在だ。

　しかし今、彼は生まれて初めて、貴族から気を使われた（・・・・・・）。

　ある種、価値観が崩壊するような出来事だ。

「……ああ、もう全部、どーでもいいわ」

　こんな人間も世の中にはいるのか。

　そう思うと同時に、今まで気を張っていたのが馬鹿らしくなってきている。

　何せ相手は山賊を仲間にしようと遥々やって来て、何故か、唐突に酒盛りを始めるような酔狂者だ。

　突然現れた貴族を相手に警戒していたものが、結果として何の謀略も無かったのだから拍子抜けだ。

　彼の中では「クレインが変人」という結論に収まりかけていた。

　本当にただ勧誘に来たのだと思えば、今までのやり取りは独り相撲でしかない。

　グレアムからすれば、数分前までの自分が滑稽だと思えるくらいだった。

「おう、俺にも酒注いでくれよ」

「いいぞ。子爵から酒を注がれるなんて、なかなか無い経験だよな」

　途端に脱力した彼は、テーブルへ置かれた小樽をクレインに差し出した。

　変な奴だが、悪人でもなければ居丈高でもないようだ。

　であれば、話に乗るのも一興。

　奇妙な人生を歩む自分には似合いの主君かもしれないと、彼は思い始めていた。

「俺が勤め人になる日がくるとは思わなかったが。まあ、こういうのも悪くはねぇか」

　ふっ、と鼻で笑いながら、気づけばグレアムは満足気な顔をしていた。

　勧誘への承諾が得られたので、これでめでたく大団円――

　――とは、もちろんならない。

　グレアムに酒を注ぎ終わった瞬間。クレインはハンスの小樽にも、彼に注いだ分と同じだけ注いだ。

「じゃあ話もついたところで、勝負を始めるとしようか」

「……は？」

　物思いにふけりかけたグレアムは、話の流れが再び変わったことに気づき、慌てて気を取り直した。

　彼が正面を見るとそこには、にこやかに笑いながら小樽を持つ、ハンスの姿がある。

「乾杯の合図はクレイン様から？」

「ああ、審判は俺がやろう」

「……どうしたグレアム。ほら、乾杯するぞ」

　勧誘を受けたのなら、彼らはこれから上司と部下になる。

　ならば上下関係は必要だと、ハンスは一転して、勝負へ乗り気になっていた。

「おい、もう勝負はいいっての」

「……何？　上官の酒が飲めないというのか」

　グレアムが良くても、ハンスは良くない。

　ほんの数分前まで、暴行を加えられる恐怖で寿命が縮む思いをしていたのだ。

　強そうな盗賊がいるからスカウトに行こう。

　そんな計画に付き合わされたのは、盗賊になった人間がいたせいでもある。

「ぶ、部下ったってなぁ、交渉が残ってんだろ。まだ仕官なんざしてねぇぞ」

「まあそう言わず。ハンスも乗り気なんだから」

　クレインから無茶な命令が飛んできたのは、元を辿ればグレアムが南部で暴れたせいで、彼に怖い思いをさせてきたのもグレアムだ。

　もちろん主君であるクレインに、仕返しなどできるわけがない。

　だからハンスはここぞとばかりに、心労と恨みの全てを酒に乗せていた。

「これは余興だ。楽しく飲もうじゃないか、なぁ――グレアム」

　何の威圧感も無かった男の様子が変わり、不気味な雰囲気が漂っている。

　グレアムの勘はすぐさま、身に迫る危機への警鐘を打ち鳴らした。

「それじゃあ一杯目、いってみよう」

　だが有無を言わさず、クレインは開始の合図をする。

　ハンスが飲んだので、グレアムも釣られて飲み――すぐに、思い切りむせ返った。

「ぐはっ！？　な、なんだこりゃあ！？」

「度数が高いだけで、ただの酒だよ。……まあ本来は割りものに使う酒だし、火に近づけると引火するけど」

　クレインが飲めば確実に、一口で卒倒する強い酒だ。

　そんなものをビールやエールと同じくらいの量で、なみなみと注がれているのだから、グレアムも戦慄した。

「な、なんで、んな酒を」

「こうなればただの余興だけど、折角だからハンスの男らしいところを見せてやろうと思ってね」

　グレアムは樽に顔を近づけてみるが、匂いだけで酔っ払いそうな香りだ。小樽の大きさはジョッキとそう変わらないので、最悪の場合は１杯目で倒れるだろう。

　しかし、先に飲み干したハンスは顔色を全く変えず、涼しい顔をしていた。

「なあ、言っただろ？　ハンスは強い（・・）って」

「この勝負であれば、負けは無さそうです」

　ハンスが見下されていた原因は、グレアムらが思う、理想のボスからかけ離れていたからだ。

　弱いくせに、上に立たれているのが不満。その面が大きかった。

　グレアムがいなければ、乱暴者たちの規律が乱れるのは確かだが――グレアム隊が規律を乱すのも確かなのだ。

　だからこの機会に、きっちり上下関係を叩きこんでおくのもいい。

　そう考えたクレインは急遽予定を変更した。

　スカウトのついでに目標を一つ追加。

　そして酒の勝負と言われた時点で、ハンスもそれを察した。

「まあ、グレアムも酒に弱くはないんだろうが、相手が悪かったな」

「嘘だろ、オイ……」

　クレインがそう言う横ではハンスが手酌で２杯目を注ぎ、淡々と飲み干している。

　今まさに同じ酒に口を付けたグレアムからすれば、信じられない光景だ。

「言っただろ、グレアム。ハンスは俺が知る人類の中で、最も酒に（・・）強い男なんだ」

　クレインからやり込められたことによる、苦手意識。

　彼は何故だか、平然と酒を煽るハンスに対しても同種の気持ちを持ち始めている。

　常識外れの強さに驚きが膨れ上がり、それはそのうちグレアムの中で、謎の恐怖へと変換され始めた。

「へ、へへ。そうだな。上司の前で無礼があっちゃいけねぇや。ほどほどに――」

「無礼講だ。飲め」

　そしてここで、ハンスにしては珍しく、命令口調でグレアムに迫る。

　彼とてグレアムの手綱を握る機会は、ここしかないと思っているのだ。

　こうなれば徹底的にやるつもりでいた。

「いや、流石にこの酒は……酒精が強すぎると言うか、ここまでくると酒じゃねぇって言うか」

「うむ、消毒液の代わりにはなりそうだな」

　むせ返るようなアルコールの塊を前にして、グレアムは怯んだ。

　そして、彼が身体をのけ反らせた分だけ、身を乗り出してハンスは迫る。

「まあ、それはそれとして――飲め」

「は、はは。いや、その、な？」

　クレインからすれば既にハンスの勝ちは見えているようなものだ。だがいずれにせよ、この洗礼を避けられないようにする用意も完成していた。

「おーい、お前たち！　親分の応援はどうした！」

「なっ、て、テメェ！？」

　グレアムも今さらながら、適当な理由を付けてこの勝負を断ろうとはしてみたが――断り文句を探す前に、クレインが周囲を煽る。

　こうなることを見越して、退路を断っておいたのだ。

　勝負を提案した段階で既に、逃がすつもりなど毛頭無かった。

「やっちゃってくださいよ親分！」

「うぇーい」

　親分が飲み比べをやるぞと言われれば、子分たちは揃って囃し立て、彼を死地へと追い込んでいく。

　メンツが最重要と確認してあったので、グレアムからすれば逃げられない戦いだ。

「さあ、グレアム。子分たちが見ているぞ」

　子爵領で抱えている衛兵の数と、等しいほどの山賊を出迎えるのだから、その派閥の長であるグレアムには徹底的にヤキを入れておこう。

　クレインの狙いはそんなところだ。

　そしてグレアムが周囲を見てから正面を向き直しても、ハンスは貼り付けたような笑みのまま待機していた。

　そして長年主従関係であるだけに話は早い。ハンスは既にクレインの意図を汲み取って、グレアムを叩きのめすつもりでいた。

「酒が進んでいないようだが？」

「ああ分かったよ畜生！　飲めばいいんだろ飲めば！」

　グレアムは決死の覚悟で、一気飲みを敢行した。

　喉が焼け、卒倒しそうなほど強い酒を無理やり流し込んだのだ。

　木の小樽をテーブルに叩きつけ、「どうだ飲んでやったぞ」と、彼が内心で達成感を味わっていれば――クレインは間髪入れずに２杯目を注ぐ。

「……えっ」

「ハンスはもう３杯目も飲み終わっているから」

「さぁ、飲め」

　彼らはここぞとばかりに、中身が補充された小樽を指してグレアムを追い詰めていく。

　周囲の子分たちからすれば、酒の勝負など以前までの日常だ。

　山賊になる前は、収入のほとんどが酒に消えていた者が多い。

　中身がおかしいことに気づいている人間はまだ少数なので、何も知らない子分たちは善意で応援していた。

「お、おお……」

　こうなれば逃げ場は無かった。

　グレアムとしては、無理でも無茶でも飲むしかない。

「うぉぉおおおらぁあああああ！！」

「さあ、お代わりだ」

「飲め」

　気合で２杯目を飲み干しても、ハンスは既に４杯目を飲み干していた。

　クレインもすぐ追撃に入り――小樽の中身は再び、絶望の色に染まる。