第十章 怨敵抹殺編

第七十九話 全面戦争



 悪評を撒かれたのは、小貴族連合を相手に完勝したからだ。


 今後もアースガルド子爵家の勢力拡大が予想されるので、潰しにきた。

 そんなところだとクレインは推測している。


「奴がどこに潜伏してるかは知らないし、後回しでいい」


 噂が広がり始めた時期は不明だが、勝利の報がヘルメスの下へ入るまでが勝負だ。

 彼はそう定めて、具体的な日程の計算を終わらせる。


「王都にいれば、情報の伝達から動き出しまでに1ヵ月。南にいれば半月くらいだな」


 それより前に行動を開始すれば先手は取れると見ている。だから彼は王国歴501年5月26日まで戻り、戦争の直後から状況を再開した。


「……マリウスはいるか」

「ここに」


 リスタートをした朝一番。

 クレインは朝食も取らずにマリウスの姿を探して、緊急の命令を下した。


「領内に残った密偵たちを一人残らず招集しろ。スルーズ商会とヘルモーズ商会、それからブラギ商会にも連絡して、動ける人員を根こそぎ集めるんだ」


 おはようの挨拶すら飛ばし、即座に伝えられた指令がこれだ。


 昨日の会議では北部の汚職役人調査のために密偵を動かすと聞いていたし、マリウスもそちらの指揮を執るべく北部へ向かうつもりでいたのだ。


 この急激な方針転換には、流石の彼も戸惑っていた。


「クレイン様、何をされるおつもりですか?」

「戦争だ」


 クレインは多くを語らなかった。

 マリウスからすれば大層不安な指示ではあるが、何にせよ総力戦の兆しがある。


 だから彼は命じられてすぐに、部下たちを捕まえて指示を出した。


「第一級戦闘配備だ。総員を屋敷へ集結させろ」

「マリウス様。何が始まるんですか?」

「戦争だ。急げ!」


 こうして正午までに、集まれる人間を一人残らず集めたのだ。

 再び戦争が始まると聞いて、密偵たちの間には緊迫した空気が流れている。


「あの……私ら場違いじゃないです?」

「そうだねぇ」

「実のところ、私もそう思います」


 商会長たちは当然、日中には商談の予定があった。

 しかし「全ての予定をキャンセルして最優先で集まれ」という、過去に類を見ないほど強い命令が飛んできたのだ。


 断るのは怖いと思い、屋敷へ来てみれば裏の人間が大集合していた。


 ここにいるのは全員味方のはずなのに、何故か今すぐにでも殺し合いが起きそうなほど空気が張りつめている。


「忙しいところを、すまないな」


 大店の会長たちとは言っても武力的には一般人なので、彼らは気圧されていた。

 そんな中に、少し遅れてクレインが現れる。


「クレイン様。どうしたんです急に」

「北部の調査よりも優先で、かつ緊急でやることができた」


 トレックに向けて短く告げると、クレインは今回の事件について話す。

 表に出してはいけない裏向きのことをだ。


 ヘルメス商会は邪魔になりそうな勢力に対し、悪評を流す戦法を得意としている。

 実際にラグナ侯爵家も、目障りな家だと裏で攻勢を仕掛けられていた。


 そして、それが今アースガルド家に対しても行われようとしている。

 流言の標的は、ヨトゥン伯爵領。


「南伯との関係が悪化すれば、アースガルド領で飢饉が発生する恐れがある」


 そのように語るクレインの顔は、小貴族たちとの戦いなどと比べ物にならないほど真剣な表情をしていた。


 クレインは事実と違うことを何も言っていない。

 真の目的がアストリとの婚約でも、放っておけば子爵家が窮地に立つことは事実。


 ラグナ侯爵家とヘルメス商会の関係も伝えた通りであるし、これからヨトゥン伯爵家に対して悪評の喧伝が行われることも事実なのだ。


「敵の動きを防げなければ、当家は滅亡する。危急存亡の秋だ」


 今までにこんな妨害があったとは聞いていないが、ジャン・ヘルメスから見た今のクレインは、「何をしでかすか分からないボンクラ」という評価なのだ。


 可能な限り牽制しておきたい存在だし、掣肘せいちゅうは入れておきたいと考えるのは当然だと、クレインは敵の思考を読み取っていた。


「あー、まあ、最近のヘルメス商会は景気が悪いですからね」


 裏を知っているトレックは適当にぼかすが、他の商会長たちにはまだ裏の裏までは伝えていなかった。

 いずれ本当のことを伝えるとしても、まだその時ではない。


 しかし、細かい事情はさておき、攻撃対象になったという事実だけは変わらないのだ。


「この近辺の儲け話は、あたしらで独占しているからってのもあるけど……ねえ?」

「いえ、中小の商会も儲かっていますし、力を入れていなかった結果なのでは」


 だから彼らは各々で理由を考えて、これから始まる大規模な公共事業に噛めない、逆恨みも込みの圧力かと納得している。


 今回は汚れ仕事を担当させない予定なので、クレインはそのまま進めることにした。


「細かいことはいいさ。要は、俺たちはあの商会に喧嘩を売られたんだ」

「潰しますか?」

「いや、直接の攻撃はタイミングをずらす」


 マリウスは真顔で言うが、いくら勢力を落としたと言っても国一番の商会だ。


 即座に叩き潰すのは難しいし、これも今すぐにやるべきではない。

 だからこそ、方針は自ずと定まる。


「まずは同じことを、そっくりそのまま返してやろう」


 クレインの目的は、言ってしまえばアストリとの婚約だ。


 邪魔をしてきたヘルメスなど、蹴り飛ばして進むだけの障害物としか見ていない。

 しかし相手はどこにいるのかも分からない。


 だから狙うは南部のヘルメス商会で、やることは単純かつ簡単だ。


「では奴らに先んじて、ヘルメス商会の醜聞を撒けばよろしいですか?」

「その通りだ。北で発覚した陰謀に、少しばかり・・・・・脚色を加えて流してくれ」


 ヨトゥン伯爵家はヘルメス商会からの圧力を受けており、そこまで友好的な関係ではない。その上で、警戒はしているが実益を取っているのが今までの状況だった。


「商売に忙しくて、正確な情報を入手していない可能性もあるからな」

「確かにそうですね」


 加えるなら、ヘルメス商会が問題を起こしたのは王国北部だ。


 遠く離れた地の噂話がどこまで正確に伝わっているかは分からないし、南に到達する前に消された醜聞もあるだろう。


 何よりヨトゥン伯爵家を始めとした南部の家には、冷夏の影響で食糧の購入申し込みが殺到している。


 遠くの噂に関する事実関係を調査するよりも、近くの商売に力を入れるのが妥当だ。最悪の場合は民間の噂程度しか知らない可能性もあった。


「では正しい情報・・・・・を、積極的に広めていきましょう」

「そうだな。そうしよう」


 何をしでかしたのかを大袈裟に吹聴し、ついでにあること無いこと言って、派手に信用を落としてしまえばいい。


 元々売り渋りで不利益を与えてきていたのだ。

 さらに不信を積み上げた相手からの密告など、誰が信じるというのか。


 重鎮の中に相当な頑固者がいることは知れているので、一度評判を叩き落せば挽回は難しいという目論見もあった。


「裏と表、両方からってことかい?」

「まあ、君たちの商売に影響が出てもいけないからな。事実は商会の担当。言い掛かりは密偵たちの担当にしたい」


 仮に敵が裏事情を調べて追及しても、商会の方が事実だけを話していれば追及はできない。


 偽情報は密偵の口から、あくまで民間の噂として流すという安全策を取っていく。


「ちなみにクレイン様。どんな噂を流されたんですか?」

「まだ流れてはいないはずだが……加虐性異常性愛者だとか、女狂いだとか」

「ふふっ。それはまた、随分と現実から離れているねぇ」


 平素のクレインはのんびり屋だし、婚約を申し込んだマリーとも清い関係のままだ。


 露出が激しい美女のブラギ商会長が誘惑しても動かないのだから、これで身持ちは結構堅い方でもある。

 そのくせ反応は初心うぶなので、これで女遊びをしていると言われてもお笑いだった。


「なるほど、戦争ですね」

「あー、マリウス。やり過ぎるなよ? あくまで事実ベースで話を作るんだ」


 根も葉もない噂では反論、反証されてしまえば終わりだ。

 しかし事実に近ければ、アースガルド側から「火のない所に煙は立たぬ」理論が使える。


 考え込んだマリウスは、主君を貶めようとする輩にどんな評判を用意してやろうかと悩み。

 少しして、こんな提案をする。


「南でも麻薬の栽培と流通を試みている……。という風説はいかがですか?」

「採用だ。皆もその調子で案を考えてくれ」

「お任せください」


 クレインは指示を出すだけで、あとは実行部隊での話し合いとなる。


「……ご息女のアストリ様を、ヘルメスが狙っているというのはどうだ」

「……いいな」

「……ああ、圧力をかけている理由と結びつけようか」


 密偵たちは真剣に、ヘルメスを社会的に殺すための作戦を練っている。


 ある程度の場数を踏んでいるので手慣れたものだ。

 ここから先はクレインも、事の成り行きを見ているだけでよかった。


「覚悟しろよジャン・ヘルメス。情報戦で、俺に勝てると思ったのが間違いだ」


 彼が持つ力の特性上、相手の妨害を受けてから、どんな手で来るのかを把握した上で対抗策を打てる。


 しかも今回は、先攻が極めて有利な戦いだ。


 敵の攻撃を逆手に取り、同じ土俵で先制攻撃を仕掛けるだけの話ではあるが――先に信用を失った方が負けというルールに近い。


「そうだ、マリウス。ヘルメス商会が南伯に取り入るような動きは見張ってくれ」

「承知しました」


 先ほども少し考えたが、表向きは深い取引のあるお得意様だとしても、ヘルメス商会とヨトゥン伯爵家は友好的な関係とは言い難かった。


 アースガルド家を貶めるのとは別に、何か擦り寄る方策も打っているに違いない。

 そう断じたクレインは攻守に渡り、隙が無いように命令を出していった。


 今回苛烈に仕掛けるのは、アストリとの婚約をあと一歩というところで邪魔されたストレスもある。


 そしてもう一つ。プロポーズという一世一代の告白をやり直すことになったことも、彼の怒りに拍車をかけていた。


「とことんまで人を不幸に陥れてくれたんだ。……報いは受けてもらわないとな」


 一生に一度のことでもあり、大切な思い出にしておきたいところでもあった。

 できればそれより前に戻りたくはないとも思っていた。


 だが、敵の謀略を防ぐためには必要な措置だ。

 だからこの怒りの分まで、制裁に上乗せされている。


 2時間ほどして具体的な提案が軒並み集まったので、彼は商会のトップと密偵たちに向けて号令を掛けた。


「よし、これくらいでいいだろう。徹底的に――追い込みをかけろ!!」


 まずはヘルメス商会を、同盟圏内から完全に叩き出す。


 そう決意したクレインは一切迷わずに、家臣たちから出た提案の全てを承認した。


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