第七十五話 それぞれの仕事
王国歴501年7月11日。
各種政策が始まってから1ヵ月ほどが経った頃。
新しくアースガルド領へ加わった北部の村には、農具の製造責任者であるバルガスと、製造を請け負っているブラギ商会長が送り込まれていた。
「うふっ、うふふふふ」
「なあ、その笑い方は怖いんだが」
ブラギとしても、儲けられるならばそれでいい。
内政の手伝いくらいは喜んでやる。
北部では未曾有の好景気が巻き起こりつつあるので、彼女は不穏な笑みを浮かべていた。
「こうまで儲かるとねぇ。笑いが止まらないわよ」
「まあ、すげぇ額が動いているのは確かだわな」
新しく増えた領地の人口は、8家を併せて4万ほどだ。
しかし各家の仲が壊滅的に悪かったため、商売のネットワークは無い。
つまり経済が滞りがちだった地域が突如併合され、関所の廃止に伴い人の動きが活発化してきている。
「こうなると、前任者の統治に感謝したくなるくらい」
各街道の整備を行う関係で公共工事の金が動き、そちらに出る品物だけでも大儲けしている。
更に農村全部の設備入れ替えを主導できるのだから、ブラギ商会始まって以来の大黒字ではあった。
「そんな話が漏れたら恨まれんぞ?」
「誰に? 残党は片付いたみたいだし。暮らしが豊かになったから、どこも穏やかなものよ」
クレインからは反乱分子の勢力図など丸見えだったので、軍事演習気分で鎮圧部隊を派遣していた。
不穏な人物はもう逮捕済みな上に、追加作戦で反乱の芽を完全に摘んであるため、大手を振って改革ができている。
各地の復興が遅れる原因になった、物資の横流しや着服を行う役人も一掃されつつあり、旧支配勢力はもう影も形も無い。
残ったのは、子爵家の手により食料危機から救われつつある領民。
そしてインフラが未発達な代わりに、いくらでも発展の余地が残された街だけだ。
「はぁ……浮かれてやがるな」
「そうね。今ちょっと冷静じゃないかも」
「その辺に残党がいたら刺されんだから、もう少し気を引き締めていけよな」
この時期になるとバルガスも、正式な家臣となっていた。
役職は鉱山の取締役及び、製造業の監督だ。
「よし、さっさと帰って仕事もしなきゃならねぇ。与太話はこれくらいにして、始めるとすっか」
「お願いね」
「おう。ちょっくら行ってくるわ」
内政の実働分野では彼がトップとなるが、実務は文官たちが分担して行っている。
だからこうして、改革のために出張という動きもできるようになっていた。
今日は村長たちを集めて新型農具のデモンストレーションを行うと共に、その場で農具を配り切って次の土地へ向かっている。
新型農具の普及は早ければ早いほど良いとクレインが言うので、性能を見せたら即導入という形を取っていた。
だから彼らの背後には、山のように連なった馬車が付いて来ている。
「農業改革ってやつを行う。減税策については知っているだろうが、改めて説明するとだな――」
集まった村長たちに、直近1年半で用意していた最新農具の在庫を、全て配り切るつもりでいるのだ。
元々の子爵領内でも購入希望は依然として増えているので、今回の分を売り切ればまた大量生産が始まる。
だから計画に詳しいバルガスが前に出て、円滑に業務を進める必要があった。
そんな様子を遠目に眺めつつ、ブラギは更なる販売計画の見通しを立てていく。
「鉄の採掘を増やすにも、鍛冶の人手を増やすにも、労働者の数が頭打ちだからねぇ。また移民の募集でもしてくれないかしら」
現在はマイナスに振り切っている北部の食料事情を、2年後までにプラスへ持っていくこと。
その目標は順調に進んでいる一方で、苦労しているのは山の方に派遣された者たちだった。
◇
「マリウス様。2番隊、岩石の除去が完了しました」
「ご苦労。休憩の後、山頂付近へ向かえ」
「はっ!」
やたらとキビキビ動く農民風の男を見送り、マリウスは額の汗を拭う。
彼らは炎天下の中、山へ分け入り障害物の除去を行っていた。
「地図はもうすぐ完成か。しかし急峻の部分は、整地の進みが遅いな」
「工兵隊も努力してはいるのだが……」
「いえ、ハンス殿。他の部隊では到底間に合わない作戦ですし、力量や熱意の問題ではありません。道の問題です」
ここでもコンビが組まれているが、ハンスとマリウスが共に行動していた。
そしてランドルフが近場で別行動をしている。
旧小貴族家の領地と、子爵領を繋ぐ街道整備の他に、秘密裏に整えなければいけない道があった。
騎士爵領の東にある山で、この道を抜ければヘイムダル男爵領へ向かうことができる箇所だ。
ここだけは古株の工兵隊と、隠密部隊で整えるように命が下っている。
「絶対に、誰にも悟られるなとの仰せでしたので。明日の晩までには」
「ああ。ランドルフ隊が戻ってくるまでには、完了させたいところだな」
ここを訪れた名目は、山に逃げ込んだ騎士爵家の家臣が反乱を目論んでいるため、山狩りして撃滅するというものだ。
実際にその動きが起きているので、ランドルフ隊はもう少し山の深いところまで進んでいる。
討伐隊の道を確保するという名目で部隊を動かしているため、彼らはランドルフ隊が討伐を終えるまでには撤収しなければならない。
「中腹までは済んだ。山頂付近は険しいし、できるところまででいいと言われたが」
「……多少の無理をしてでも、子爵領側だけは終わらせたいところです」
マリウスはこの作戦が、東側勢力と戦う際に必要とされるものだと知っているが、ハンスは違う。
激務のハンスへ余計な気苦労を掛けないために、クレインはマリウスの補佐だけを頼んである状態だ。
「こんなところを整備して何になるのかは分からんが、まあ、よし」
人里離れた山道を何故、秘密裏に整備するのか。
ハンスからすれば意味の分からない行為だが、マリウスは鬼気迫る雰囲気を出している。
だから何か目的は別にあるのだろうと察しつつ、彼も指示を飛ばす。
「工兵隊は全隊、作業を中止! 山頂付近の応援に向かえ!」
「ハンス殿、中腹付近はまだ終わってはおりませんが……」
中途半端に終わらせず、できる地点まで完璧に整備するのがマリウスの目標だ。
それを汲んだ上で、ハンスは制限時間を延長する策を打つ。
「ランドルフたちを使って、何とかするさ」
「しかしこれは秘密裏の任務ですよ?」
「まあ、そこは考えがある」
考えがあると言うならば、マリウスにも異論は無い。
道が険しい山頂付近へ工兵隊と、手伝いの隠密を動員しつつ――それから3時間が経つ頃には、部隊を連れたランドルフが戻ってきた。
「作戦は無事に終わりました!」
「ああ、ご苦労だったなランドルフ」
今回は指揮に集中したため、彼の友人である副官が手柄首を挙げたと言う。
そんな報告を受けてから、ハンスはランドルフに話を持ち掛けた。
「時にランドルフ。今日はここで野営訓練をしてはどうだろう」
「野営の……訓練ですか?」
「ああ。いつも快適な場所に泊れるわけではないからな。寝床を確保する訓練だ」
武の高みを目指すランドルフにとって、訓練は楽しいものだ。
しかし寝るための訓練と言われて、彼は頭に疑問符を浮かべている。
「……実はな、クレイン様よりそういったご指示が出ている」
「なんと、クレイン様から!?」
「ああ、まあ。ポイントはここにいる500名が、まとめて宿泊できるスペースを確保することだな。整地が重要だ」
指示を受けたランドルフは、勢いよく振り返る。
険しい山道が続くばかりで、見える範囲に宿泊できそうな場所は無い。
「なるほど、これはただの野営ではない。過酷な環境でも寝られるか否かが、試されているというわけか……!」
こんな場所を通る日が来れば、経験しているとしていないでは翌日の疲れが大違いだろう。
ランドルフはそう悟り、ハンスは目を逸らした。
「……ああ、そんな感じだ」
「直ちに取り掛かります!」
純粋なランドルフを騙すのは心苦しいハンスだが、彼とマリウスに与えられた役割を達成するには必要なことだ。
「はぁ……。まあ、最後に残った荷車を牽引していて、遅くなったという言い訳が使えるからな。これで半日分は延長できたか」
山頂に向かった部隊は、明日の昼までに帰投すること。
最後尾での帰還となるので、急がなくてもいいこと。
そんな指示を送り出しつつ、ハンスは溜息を吐いた。
「ありがとうございます。ハンス殿」
「いやいや。同じ仕事を振られているのだから、持ちつ持たれつだ」
鎌やクワを大量に持ってきているので、荷車はある。
実際に、台車を引いてこの山道を降りるのは一苦労だ。
「兵たるもの野営を疎かにしてはいかん! 訓練を始めるぞッッ!」
もっともらしい名目を作るのも大変だなと思いつつランドルフの方を見れば、彼は自分の部下たちに向けて、熱い思いをぶちまけていた。
「おいおい、そりゃあないぜランドルフ。今からなら下山できるだろうがよ」
「……俺、首を持ったままなんだけど」
しかし突発的に訓練が始まると言われた部隊員の顔は、一様に不満気だ。
虫の飛び交う夏の炎天下で、山中に寝床を確保しろと言われているのだから当然だろう。
せめて山を下ってから、平地で野営させろというのは尤もな意見だった。
「ランドルフ隊には、今回の訓練が終われば3日間の特別休暇を与える」
「おっ、それならいいか」
「3日……。まあ、連休がもらえるなら」
「ハンス殿! 休暇の予定はありませんッ!」
不満を溜めないために、ハンスは兵たちに臨時休暇を宣言した。
責任者であるランドルフは驚いた顔をしているが、こういうものはタイミングが大事なのだ。
後日になって休暇が与えられても、それはそれという別個の話になる。
今苦しい思いをする代わりに、いいことが待っているという交換条件はセットで出さなければいけないだろう――と思いながら、ハンスは適当な話を続けた。
「クレイン様のご許可はいただいているから。存分に休め」
「――承知ッッ!」
取り敢えずクレインの名前を出しておけば、ランドルフは大人しくなる。
しかし最近は知恵を付けてきたので、この手がいつまで使えるかという点もハンスが不安を抱えているところだ。
ランドルフを前にしたとき、彼の気分は猛獣使いである。
「いつまでも素直でいてくれたらいいんだが、もしもこの手が通じなくなったら……いかん。考えるのはよそう」
そんなことをぼやきつつも、作戦は完遂へ向かいつつある。
工兵隊が残していったエリアはランドルフ隊に任せられるので、予定範囲にある岩や小石の除去は時間内に終わるだろう。
しかし独断で動いたところもあるので、クレインの事後承諾を得る必要はある。
与えられた任務を完遂するために部下や同僚を上手く使い、その上で領主に対する筋を通さなければならないのだ。
「おーい、オズマ君。そろそろ休憩だ。……私にも水をくれ」
「承知しました。どうぞ、閣下」
多少政治が上手くなったところで、色々な方面に気を使わなければいけない中間管理職のままでいる。
どこまで行ってもハンスはハンスのままだ。
何も言わずにただ作業の進捗を見守っていた、副官のオズマから水筒を受け取りつつ――彼は懐にしまっていた、いつもの胃薬を口に放り込んだ。
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Twitter(@yayayamashitaa)に、書籍のイラストを公開しました。
来週と再来週にもサプライズがあるので、よろしくお願いします。
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