第五十九話 働くタダ飯食らい



 ビクトールへ相談した一週間後、クレインは多くの武官たちを伴い領地北側の丘陵地帯に来ていた。


 アースガルド子爵領は北西の準男爵領、北の男爵領、北東の騎士爵領と三領に隣接しているが、付き合いが無いため道はあまり整備されていない。


 しかも丘と山が続く起伏の激しい土地なので、雪が積もった道を歩くだけで一苦労ではあった。

 そんなところで彼らが何をしているのかと言えば。


「ハンス様! 張りました!」

「ああ、そのまま――いや待て、縄はもっとピンと張れ!」


 道の長さや幅を図る作業、測量だ。

 クレインはビクトールの策を実行するにあたり、まずは現地の状況を調べに来ていた。


 工兵隊を実戦投入するとも決めたので、今日は指揮官であるハンスが直々に作業の音頭を取っている。


 彼らは先行して業務に当たっていたため、クレインが視察に来た段階で既に、領地の境目付近まで測量を済ませていた。


「クレイン様。敵は弱兵らしいので、正面から決戦すればよいのでは? ちょうど先ほど戦いやすい平野を通りましたが」

「ランドルフたちの腕は信頼しているけど、ただ勝つだけじゃダメな時もあるんだよ」

「むぅ。そういうものですか」


 学がある武官に戦術論を叩きこまれている最中のランドルフは、それが早速生かせそうな場を見つけて進言してみた。

 しかし、勝つことは前提で、勝ち方を考える必要があるとクレインは言う。


「今回は特殊な例かもしれない。でも先生の策は今後の参考になると思うぞ」

「ビクトール殿。……まあ、クレイン様が師と仰ぐお方ならば」


 手紙攻勢のことを知っているのは戦略を担当する、ごく少数の幹部だけだ。

 門下生たちは問題を起こしていないので、ビクトールは内政、外交共に一度も動いていないと見られている。


 未知の存在であるためランドルフにも計りかねるところはあるが、そこはクレインを信頼しているので、異論を挟むことでもないとすぐに引いた。


「ハンスさーん。こっちはこれくらいでいいかー」

「グレアム! 端からキッチリ測れ! それだと数字がズレるだろうが!」

「……へーい」


 工兵の手伝いとしてグレアム隊も連れて来ているが、上下関係は依然としてきちんとしている。


 そこにはクレインも一安心だが、ハンスが完全に親方と化しているところを見るのは、命じた本人からしても妙な違和感があった。


「衛兵隊長というか、軍の規模を考えたら近衛隊長とか司令官でも良さそうなんだけど……」


 ハンスは子爵領の数少ない専業の兵士だったのだが、アースガルド子爵領は平和でやることが無いため、今年度の始めまでは畑の管理などもしていた。


 兵士の出番が無いのだからむしろ、どちらかと言えば野良仕事の方がメインだ。


 今は兵士と大工で、大工寄りの立場にいる。

 過去には吟遊詩人の真似事をしていた時期もあった。


 序盤の人生では見どころのある人材を引き立てる――家中での人材登用活動――をしていたこともあったし、平民の武官に教育をしている場面も見かけている。


 今回の人生ではそこに追加して、一芸を持った人間に対する審査員役に抜擢されていたことも記憶に新しい。


 一応子爵軍の最高司令官というポジションにいるが、彼もコロコロと役割が変わるため、クレインからすれば混乱するような光景を見ることも多かった。


「まあいいか。順調ならそれで」


 根が優しくて真面目な子爵領の兵士たちは、戦いには向かないが地道な作業には強かった。

 一年ほど工兵をやっている生え抜きの衛兵は黙々と働いているし、作業は順調だ。


 しかし一方で手伝いをしているグレアム隊の面々は、雪中作業に嫌気がさしている者がちらほらと見受けられる。


 雪かきをして、道の幅を測って次。

 それを繰り返しているだけで、意図が分からないのだから余計に疲れるのだろう。


 そう察したクレインは、武官たちの他に連れてきた者たち。

 普段は子爵家の屋敷で働いている、使用人たちに目配せをしてから声を張った。


「これが終わったら休憩だ! 振る舞い酒を持って来たから、一杯やってくれ!」


 安めのワイン樽を現地まで運んできて、これから大鍋に注ぎ焚火で温める。

 現地の視察ついでに、ホットワインを振る舞いに来たのだ。


「酒か!」

「ありがてぇ!」


 鍋にかけているワインには多少香辛料を入れてあるので、身体が温まるだろう。

 彼はこうした細かい気遣いで、なるべく忠誠心を獲得しようと苦心していた。


「よし、じゃあさっさと終わらせっか」

「そうだな。そっちの縄を寄越せよ」

「コラ! 雑にやるんじゃないぞ!」


 何より酒が好きな隊員の多いグレアム隊なので、士気が上がっていることも確認ができた。

 そして、早く休憩したくて適当な作業を始めた者にはハンスの叱責が飛んでいく。


「お、あっちも終わったかな」


 そうこうすること十数分。

 作業を眺めていると、丘の先から数騎がクレインの元に向かってきた。

 同じく先行していたビクトールが、先の下見から帰ってきたのだ。


「先生、どうでした?」

「この道も使えそうだ。広さも申し分ないし、やはり戦場はこの近辺でいいだろう。丘を一つ越えた辺りがちょうど良さそうかな」


 現時点で作戦内容を知っているのはクレインの他に七名だ。

 立案者のビクトール。

 調査担当のハンス。

 道具を手配するバルガス、トレック。

 諜報担当のマリウス、ブリュンヒルデ。


 諜報へ協力している上に他商会の取りまとめもしているトレックの負担は大きいが、極秘任務のため相変わらず振り回されていた。


 あとは念のため、クレインが不在の場合でも円滑に作業が進められるよう、屋敷で留守を預かるクラウスにも伝えてある。


 作戦を知っている者以外から見れば、今回の作業は意図が分からないものだ。


 誰も使わないような道の幅や、角度を調べて何になるのか。

 休憩に入ったグレアムは特に愚痴をこぼしていた。


「口やかましい上司がいると、こんなにやりにくいのかよ……」


 そう文句は言うが、彼は働くしかない。

 なにせ子爵領でも揉めてしまうと、本格的に後が無いからだ。


 伯爵家に借りを作ってまで勧誘した部隊が離反すれば、ブチ切れた挙句本気の討伐が待っていることは彼にも分かっている。


 だから彼も子分も真面目にやってはいるが、いかんせん全てにおいて荒い。

 そして粗い面も目立つので、ハンスの指導は厳しめになっていた。


 そこにきての、真冬の野外作業だ。

 意外と過酷な上に指導が厳しいので、簡単に言えば彼は萎えている。


「まあまあ。そのうち独立させるから、春までの間は勉強してくれ」

「……勉強ねぇ。苦手分野だぜ」

「ランドルフと一緒にやってみたらどうだ?」


 地頭の悪さはランドルフも似たようなものだったが、彼は数か月で読み書きを習得し、今では兵法を学ぶに至っていた。


 似た境遇の二人を一緒に勉強させてみようかとクレインが言えば、ランドルフは自信満々に答える。


「うむ、いいお考えですな。どうだグレアム、俺と共にやらんか」

「……遠慮しとくぜ。読み書きはできるようになったから、これくらいでいい」


 グレアムの地元では、読み書き計算ができるのは村長くらいだ。

 畑の収穫高を算出する程度の算術ができれば、エリートのような目を向けられる田舎でもあった。


 元々の価値観がそうなのだから、子分たちまで含めて読み書き礼節の講義を受けた今では、自分らがインテリ集団だとすら思えている。


「まあ、書物でなくてもいいさ。現場の仕事を経験しておくだけでかなり違う」

「この土木作業が、何の役に立つかね?」


 もうこれ以上のお勉強は勘弁してほしい。

 彼の願いはそんなところだと知りつつ、クレインは再度ビクトールの方を向いた。


「作業自体というよりは、その結果を見て判断してほしいかな。……で、先生。作戦が実行可能なら責任者は誰にしますか?」

「まず確実なのはハンス君だね。作戦を知っているし、実際に現地を見ているのだから外す理由が無い」


 すると思案顔のビクトールは、すぐさまハンスを推挙した。

 クレインが頷いたのを見て、ビクトールは更に続ける。


「それから名声を上げる意味で、バルガス君かな」

「バルガスですか? 武官ではなく」


 クレインには意外な人選だが、これにもきちんと理由はある。


「うん。評判が上がれば労働者の統率は楽になるだろうし、戦場で活躍するのは新参者が多そうだから……古参を活躍させるという意味でも悪くない」


 重要な作戦に参加して、功績を上げれば一目置かれる。


 だからこの人事には、派手な活躍は難しい人材だとしても、信頼の置ける人間に発言力を持たせておくのがいいという狙いも含まれていた。


「なるほど。鉱山の方も荒くれが多いですから、それはいいと思います」

「そこでこっちを見んなよクレイン様ァ」

「冗談だ。……仕掛ける場所は三か所の予定ですが、三人目はどうします?」


 今回の作戦では、別動隊の指揮官が三名必要になる。

 作戦をよく理解していて、任務の遂行能力が高い――命令を忠実に守れる――人間が必要なのだ。


 ここの人選は重要だし、誰に任せるのが適任なのかは興味もあった。


 なのでビクトールからの種明かしを待てば、最後の推薦は、ある意味では当然の人物の名前が挙がる。


「三人目は僕だよ。今回は作戦に参加しよう」

「え? でも先生は、働かせない約束で客将に……」


 最後にビクトールが推薦したのは、自分だった。

 つまりは自薦だ。


「まあ、効率を考えればこれが一番さ。これくらいなら気にしなくてもいいよ」


 クレインとしても意外な結果ではあるが、提案した本人がやるというなら安心できる。

 むしろクレインが直接差配するよりも確実な人選ではあった。


「おい、あの先生様が自分でやるらしいぞ」

「へぇ……」


 クレインの手前、表立って非難する者はいない。

 しかし最近仕官した者たちにとっては子爵領で一番働いていない、最も実績の少ない重役がビクトールだ。


 連れてきた中にいた、身分が低めで成り上がりを狙っている野心家の武官たちからは――彼に値踏みするような視線が向けられていた。


「貴様ら!」

「ビクトール様に対して、無礼ではないか!」


 武官を引き連れているのだから、これに反応した北部出身の者もいる。

 ビクトールは北部で絶大な影響力を持っている人物でもあるし、門下生たちにとっては恩師でもある。


 そうでなくとも何かあったことが知れれば、実家から叱られるどころか、実家の寄親から圧力がかかる可能性があるのだ。


 入塾していない者も数名いたが、いずれにせよ就職先を見つけてもらった恩はある。

 だからか北部出身の者たちは、侮るような視線と発言にいきりたち、空気は途端に一触即発となった。


「まあまあ、よしなよ」

「しかし……!」

「働いていないのは本当のことさ」


 派閥争いが勃発しかけたところを制止ながら、苦笑しつつビクトールは言う。


「ほらね。少しは働いておかないと、タダ飯食らいの高給取りでは肩身が狭いんだ」


 大した仕事をしてもいないのに高い地位につき、他の誰も受けていないほどの好待遇を受けている。

 それが不和の原因となり、いざというときに彼の献策へ反対されても困る。


 何より人選の理由にはクレインも納得がいっているし、拒む理由は無かった。


「では、そちらは先生を含めた三人で指揮をお願いします」

「そうだね。副官は……チャールズ君とオズマ君は確定かな」


 ハンスは普段からオズマを副官にしているので、このペアは鉄板だ。


 バルガスとチャールズの組み合わせはクレインも見たことが無いが、チャールズは貴族らしくない軽い性格をしているので、平民のバルガスと組ませても安心だろう。


 そんな目論見で役割分担をしてから、ビクトールは更に続けた。


「これで舞台と大道具は揃う。あとは小道具と役者か」

「追加で必要なものが?」

「うん、リストにはまとめておいたよ。役者の方は……エメット君なら上手くやるだろうね」


 クレインが用紙を受け取れば、かなりの物量が必要となっている。

 しかしこれを用意することで作戦の成功率が上がるのだから、必要な出費だ。


 まだ用意するものは多いが、対策は着々と進んでいた。


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