52回目 トラウマと安寧



 家臣たちの会議から三日後、クレインは北に向かう馬車に乗っていた。

 行商人のトムが御者を務めて、マリーと共に北方を目指す旅に出ている。


「俺はもう大丈夫なのに」

「まあまあそう言わずに。私だってたまには旅行がしたいんです」

「マリーはブレないなぁ」


 状況を飲み込めた彼は、今では多少落ち着きを取り戻していた。

 時期は王国歴500年4月、つまりスタートラインへ戻ってきている。


 何故最初からやり直しとなったのか。それはクレインが持つ力の特性によるものだ。

 今までは死ぬと事前に指定した日付へ巻き戻っていた。だからクレインも、指定が利くようになってからは随分と便利に使っていた。


 しかし具体的な日付を指定せずとも、状況を指定して過去に戻ることができる。

 それが今回新たに発見した、力の特性だ。


 それは人生の最後に、「平和で何事も無い日」に戻りたいと言った。

 確かにこの時期は毎日が平穏そのものなので、願いはかなっている。


 もちろん彼もここまで戻りたいとは思っていなかったが、今では諦めもつき、状況を受け入れることができていた。


「……変なところで、融通が利くんだもんな」


 この新しい発見を何かに生かせるだろうか。そうは思いつつも、全力を挙げて発展させた領地が元通りになっているのだ。


 積み上げてきた全てが唐突にリセットされたところを見て、目覚めたばかりの彼はかなり凹んでいた。

 二週間ほど呆然としたまま、何もやる気が起きなかったほどには落胆が激しかった。


 そんな彼を心配して、家臣たちは気分転換と勉強を兼ねた旅を勧めたのだ。


「融通? クラウスさんのことですか?」


 クレインは自分が犯した致命的なミスを振り返って気落ちしたが。

 隣に座るマリーは彼の独り言を耳ざとく拾い、何のことだろうと首を傾げている。


「いや、まあ。そっちもそうだけど」

「そうですよねー。一生に一度レベルの甘やかしっぷりですし」


 領地は安定しているので、好きなだけ旅を続けていい。

 期限は最長で三年。

 そう言って、クラウスたちはクレインを送り出した。


 クレインも最初は「よくもまあここまで太っ腹な条件を出したな」と思ったものだ。


 しかしトムの行商に付き合いながら、荷馬車でゆっくり進むのなら、北侯の本拠地周辺へ到着するまでに一ヵ月以上はかかる。


 そこから東候の領地を行くルートで一周すれば、移動だけで半年はかかるだろう。

 もしも南方まで見るなら、一年近く使うかもしれない。


 旅の日程は長いので、どこまで見るかを自分で決めることも勉強の一つだ。

 そんな考えを念頭に、かなり大がかりな計画が立てられていた。


「はあ、まあちょうどいい静養期間か」


 憎悪の目を向けられて精神的に参っていたこと。

 今までに積み上げた全てが、一つのミスで崩壊したこと。


 その二つが重なり放心状態になっていたクレインだが、リスタートから半月が経った今ではようやく思考が現実に戻ってきている。


 しかし決戦までの二年半、その中の貴重な一ヵ月を無駄にしたのだ。もう一度4月からやり直して領地を発展させよう。

 クレインはそう考えたが、自害するには腰が重かった。



 領地を発展させる過程ではまた第一王子と手を組み、一時的にでも彼ら・・を配下へ加えることになる。


 クレインを殺せたことを喜び、狂気的な笑い声を上げる死人たち。

 彼らともう一度、一緒にいなければいけない。


 そう考えれば、恐怖で一歩が踏み出せなかった。


 三年後に侯爵家が攻め寄せる時までは平和に過ごせるのだ。

 今回はしばらく大人しくして、静養期間に宛てよう。


 そう思いよくよく考えてみれば、今の状況は今の状況で、そう悪くはないと気づいてしまった。

 中小規模の領地のまま北候の傘下に入る。その選択肢を試せるからだ。


「……これが、平穏の道か」


 何事もなく三年間を過ごせば、悪意や害意に晒されることはない。

 領地が陰謀に巻き込まれることもない。


 北候の傘下には、彼らと疎遠だとしても、南の備えに置かれている小貴族家がいくつかあったことは確認済みだ。

 従属する道を選べば、扱いが多少悪くなったとしても生き残れるだろう。


 何より、今すぐ銀鉱床を発見して、また王宮で交渉して――という動きをするには気が重かった。


 今回のループでは既に三回ほど最後の光景・・・・・を夢に見ていて、寝つきが悪くなった彼は、浅い眠りを繰り返すようになっている。


 王子や配下たちと再び顔を合わせることを想像するだけで、吐いてしまいかねないほど気分が悪い。

 あの光景がトラウマになっていたのだ。


 だからそちらは、一旦放置することにした。

 銀山があるだけで陰謀に巻き込まれるのだから、大森林も手つかずのままだ。


「どうされました?」

「いや、何でもない」


 横に座るマリーが顔を覗き込んできたので、クレインも一旦思考を止める。


 最初は今までのループで試していなかったことを何か試そうともしたが、旅行を提案されてからすぐに、強引に馬車へ押し込まれた結果が今だ。


 流されつつも、今では家臣たちからの提案を受け入れていた。


「まあ、のんびりいくか。時間は……三年もあるんだし」

「本当に長期休暇いっぱい使うつもりですか」

「ああ、いや。そうじゃないんだけど」


 変な陰謀に巻き込まれる、生存戦略など要らなかったのかもしれない。

 そう考えれば持ち直してきたメンタルは、再び低空飛行を始めようとしていた。


 ただ中堅の地方領主として、大勢力の傘下に付くことを考える。

 それだけで平穏無事な毎日を送れるだろう。


 しかし。もしもそれが成功してしまえば、今までの努力は全て無駄だったことになる。

 そう考えてしまえば熱意など湧かない。

 彼も今回の人生では取り立てて情熱を燃やしていなかった。


 やることと言えば、冷害による飢饉を避けるくらいだろう。


 ヨトゥン伯爵家へ送る契約書だけは仕上げてから出て来た。

 トムと行商仲間へ、北方原産種の野菜や穀物の入荷も頼んである。


 今回の人生における特別な内政は既に終わったと見ていい。


 そのトムに同行することになったため、クレインとマリーも北へ向かっているのだが、進む予定でいるのは王都に向かう道を途中で北に逸れる予定のルートだ。


 そんなことを考えている間にも、荷馬車はゴトゴトと音を立てて進む。


「のんびりするのも、久しぶりだな」


 これまでは三年という時間制限の中で、数十倍の戦力を持つ相手から生き延びる選択肢を探してきたのだ。

 クレインは全ての日程を限界まで詰めて、限りなく忙しい日々を送ってきた。


 元はぐうたらな性格だった男が、過労死するほど懸命に働いてきたのだ。

 何も考えずに空を眺めるなど、彼の主観であれば十数年ぶりのことになる。


「何を言っているんですか。いつも昼寝ばかりしていたのに」

「んだなぁ」


 しかし、周りから見ればそうでもない。

 彼女たちは、もうクレインが忘れかけている、初回のクレインとずっと共にあった。


 取り立てて忙しそうな場面を見たことがなかったので、何かの冗談かという顔をしていた。


「これで結構大変だったんだよ」

「まあ、それは分かりますよ? だからクラウスさんも許可を出したんですし」


 勉強も兼ねて各地の見学を。クラウスが彼らを送り出した名目はそんなところだ。


 しかし別に目的地があるわけでも無く、買い付けに向かうトムに全てを任せている状態になる。

 これは家臣たちの好意、或いは厚意からの提案なのだろう。


 陰謀と悪意を叩きつけられ続けたクレインからすれば、その提案だけで嬉しかった。

 まだ本調子とは言えないまでも、それで精神的にいくらか楽になったのは事実だ。


「そうだよ、今回は急がないんだ。……久しぶりに。少し、ゆっくりしてもいいんだ」


 今までを振り返れば、静養は必要だと自覚はしていた。


 何をしてもすぐに殺されるような事態になったり。

 何をしても大勢力が敵に回ったり。


 劣勢の中で極限の戦いを強いられ続けて、色々と限界はきていたのだ。


 今回はたまたま、分かりやすく虚脱感を感じる事件があった。だからそれが引き金となり、今までに溜めたものが一斉に溢れてきたのだろう。


 クレインは自分の精神面について、そう分析をしていたところだ。


「辛気臭い顔ですねぇ。空はこんなに青いのに」

「ああ、いい天気だな」


 一方でマリーは旅の解放感に似合わない顔をした彼の姿を、渋い顔で見ている。


 愉快そうではないが、彼女は絶対に自分を暗殺したりしない。なので素直に安寧を感じることができたし、安心して気を緩めることができた。


 生え抜きの家臣で、古くからの友人でもあるマリー。

 そして、親戚の爺さまのようなトム。


 この二人が一緒なら多少安らげると言わんばかりに、彼は荷馬車の床に寝ころんだ。


「……少し寝るか」

「まだ寝るんですか!?」


 いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖で、眠れない夜を過ごすこともない。

 緊張で胃を痛めることもない。


 しかし気掛かりなことならいくらでもある。

 結局心労があるのは変わらないが、この旅が終わるまでには万全に整えておこう。


 そう思いながら、クレインは寝入り始め。

 年季の入った荷馬車は、ゆっくりと旅路を進めていった。


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