49回目 宿敵との会談



「驚かせてしまったかな」


 衝撃でクレインが動きを止めていれば、ラグナ侯爵は余裕の笑みでティーカップを持ち。

 優雅な所作でそれを口元に運ぶと、一息入れてから対面を指した。


「まあ座りたまえ。自分の家だと思って寛ぐといい」

「そのセリフは、儂が言うべきだと思うんだが……」

「まあまあ、いいじゃないか」


 苦笑いを浮かべる宰相に、イタズラ小僧のような微笑みで答えるラグナ侯爵。

 突然の状況に、クレインは戸惑った。


 しかしいつまでも黙って立っているわけにはいかない。

 少しの間を置いてから、クレインも素直にソファへ座ることにした。


「では、失礼します」

「予定とは少し違うが、この形でもいいかな?」

「ええ。構いませんよ」


 宰相が執事と同じ確認を入れて、クレインも了承する。

 そうすれば今度は、クレインの分の紅茶も運ばれてきた。


「ありがとうございます。……いい茶葉ですね」

「ああ、南部の初摘みだよ。私の領地で栽培するには気候が向かないようだが、これが好きでね」


 ティーセットの中身は、ラグナ侯爵が土産に持ち込んだものらしい。

 茶菓子と共に、彼は砂糖が入った小瓶をクレインに差し出した。


 しかしクレインにとってはその発言すら、「いずれ南部の領地も欲しい」と変換して受け取れる。


 会話の端々から不穏な空気を感じるのは先入観のせいだろうか。と思いながらも。

 しかしクレインには、ここで退く理由も無い。


「普段は砂糖を入れないのですが、折角です。今日は使ってみましょう」


 小瓶を受け取り、大匙一杯ほどの砂糖を入れ、溶かして飲む。

 ただそれだけの動きで侯爵は感心するような声を出し、笑顔になった。


「私が用意したと聞き、それでも迷わず飲むか」

「ええ。ご厚意ですので」


 クレインは突然に敵と遭遇して、まだ気持ちの整理がついていなかった。


 怒りを持って対応するのは悪手。

 恐れを抱いて話をするのも悪手。


 怯えなど見せても意味は無い。

 楽しさや喜びは当然無い。

 どんな心境で対峙していいかも分からないので、まずは紅茶を飲む。


「ふふっ、私の評判はかなり悪いようだが……恐れないのか?」


 暗殺を警戒しないのか。という話だろう。

 そう判断したクレインは、しかしその問いをあっさりと躱す。


「恐れたところで結果は変わりません。ならば、普通に話すだけです」

「普通に、か」

「ええ」


 目の前の男がその気になれば、クレインの命は一瞬で潰えるだろう。

 この場を切り抜けたとて、殺す気になればいずれは殺される。


 仮に屋敷を無事に出られたとしても、王都から脱出できるかは怪しい。

 領地まで逃げおおせても同じことだ。

 今すぐに進撃されればアースガルド子爵家に、ラグナ侯爵家の侵攻を退ける余裕はない。


「肝が据わった人物のようだね」


 ある種の開き直りではあるが、この状況で開き直れる人物はそう多くないだろう。

 珍しいものを見る目で、侯爵はクレインをまじまじと見た。


「いえ、ただ己の判断を信じるのみです」

「判断とは?」

「今の時点では殺されない確信がございますので」


 当然、そんなものは無い。

 ここまで来れば向こうの出方次第だ。


 しかし死ぬこと・・・・がない・・・クレインにとっては、好機でもある。

 核心に切り込み、彼の真意を探る機会はそう多くないのだ。


 興味深げに見ている侯爵の目を真っ直ぐに見つめ返して、クレインは言う。


「問答を続けるのは楽しそうですが、早速、本題に入ってもよろしいですか?」

「……む」

「いいじゃないか宰相。話は早い方がいい」


 貴族特有の長ったらしい美辞麗句を孕んだ会話や、そこから言葉の裏を探り合うのはクレインの好みと合わない。


 王都の貴族である宰相は顔をしかめたが、この点ではラグナ侯爵との方が話は合うようだ。


 味方の可能性がある宰相と、敵対していたラグナ侯爵。

 これでラグナの方が自分の思考に近いとは。と、クレインは皮肉を感じていた。


「……はぁ、まあ良かろう。近頃では、時間がいくらあっても足りぬからな」


 宰相としても、本題の時間を増やせるならと素直に受け入れた。

 そして、襟を正して問う。


「既に知れておろうな?」

「ええ。その真相、お聞かせ願いたく」


 皆まで言うほど野暮ではない。

 宰相も、話すとなれば話は早い。


「くっくっく。そうだ、こういうやり取りの方が、実りはあるものだよ」


 ラグナ侯爵も楽しそうに見ている前で、宰相は零す。


「誰が、かのお方を殺めたか。それは語ることができん」

「では、その理由は」

「それも言えぬ」

「なるほど」


 一見して、何の情報も無い会話に見える。

 しかしこれだけでも、かなり可能性がせばまった。


 宰相は、言わないのではなく言えない・・・・

 つまり事情は知っていて、その事実を語ることができない状況にある。


「では、侯爵はご存じですか?」

「もちろんさ。あれは――」

「滅多なことを口に出すなッ!!」


 ラグナ侯爵は何事もないかのように語ろうとしたが、それは宰相が止めた。

 怒気どころか殺気を感じさせる声色だ。


 つまり、横に居る侯爵を恐れているわけではない。

 脅されているわけでもないのだろう。

 侯爵に遠慮して何も言えないというのであれば、本人の発言を怒声でかき消す必要は無いからだ。


 この二人は事情を知っていて、宰相は話せないがラグナ侯爵は話せる。


 結局は無意味な会話から真意を探すことになるが。

 王都の貴族が相手なら、この十倍は時間をかけて、ゆっくりと、ねっとりとした会話から探ることになる。


 まだ難易度は低い方かと感じたクレインの前で、ラグナ侯爵は笑顔のまま言う。


「ダメかな。子爵なら構わないと思うのだが」

「子爵はかのお方と昵懇じっこんであった。どう出るか分からぬ」

「本人を前に言ってはダメじゃないか」


 今の発言で、宰相が第一王子と敵対関係だった――と判断するのは尚早だろうか。


 そう逡巡するクレインだが、彼に王都の勢力図は分からない。

 ここは口が軽そうなラグナを相手にすべきかと、彼は向き直る。


「結構ですよ。世の中、言えないことなどいくらでもありましょう」

「それは違いない。で、私からも一つ聞きたいのだが」

「ええ、どうぞ」


 できればこのまま別な角度から切り出したかったクレインだが、侯爵の発言を遮るわけにもいかない。

 だから先に質問をさせてみれば――


「真実を知って、君はどうしたい?」


 と、彼は独り言のように呟いた。


 真相、真実を知ってどうしたいのか。

 それはクレインにも分からない。


 ただ裏舞台を知ることが目的だったのだ。

 今後どう動くかなど、まるで不明瞭なまま。暗中模索で進もうとしていた。


 言い換えれば何も考えずに、その場の勢いで動いていたと言ってもいい。

 だから彼には、咄嗟に返しが思いつかなかった。


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