エピローグ 未来が変わった



「クレイン様! 東地区へ回す小麦はどこですか!?」

「トレックに聞け!」


 彼も大変だと覚悟はしていたが、戦後処理は思った以上の煩雑さを見せていた。


 元々、食べ物が足りないと嘆いていたのだ。

 それなのに敵を引っ掛けるため、自らの手で根こそぎ焼いてしまった。


 しかし「奪って食う」という方法が残っていると、彼らは退かない。

 退かなかった。


 何度か繰り返してそれを知ったクレインは、いっそのことアースガルド領の食料を全て消滅させるという荒業に打って出る。

 結果としてはそれが最善手だったが――当然、もう手元に食料は無い。


「クレイン様、北部地域へ送る分は――」

「それもトレックに!」


 民間の料理屋から「売ってくれ」と言われても、アースガルド家すら本当に余裕がなかった。

 各地を飢えさせないのが精いっぱい、別に意地悪で隠しているわけではないのだ。


 そんなわけで、戦後の処理や各種の陳情対応に追われたアースガルド家は、大混乱に陥っていた。


「トレック殿はもういっぱいいっぱいです! 過労で死ぬと叫んでいました!」

「そう言える元気があるうちは大丈夫! ハンスに手伝わせるんだ!」


 さっさと食料事情を改善しないと反乱が起きる。

 だからクレイン以下、家臣一同がフル稼働で問題の処理に当たっていた。

 しかして処理は、中々追い付いていない。


 内政は元々クレインと、執事長のクラウスが二人で回していたが、ここ最近は王都から出向してきた役人などを使い楽ができていた。

 クラウスの下に王国の役人たちが付いていたのだが、しかし今はブリュンヒルデと共に、何人かが王都に持っていかれている。


 だから内政官の代わりにトレックを、ここぞとばかりに酷使してブン回していた。

 彼以外にも、働けそうな者は年齢や立場を問わずにフル活用中だ。


 まさかブリュンヒルデが恋しくなる日が来るとは思わなかったクレインだが、さりとて、いないものは仕方がない。


「ハンス殿は市中の見回りと吟遊詩人の活動で限界です! 喉が死ぬと、かすれた声で叫んでいました!」

「あ、ああ……そういやそうか」


 で、ハンスが何をしているのかと言えば反乱の防止だ。

 市中の見回りは元々の仕事として、今回の戦いで何故食料を燃やしたのかを説明するために、語り部をやらせていた。


『貴重な食料を焼くなどという発想が出てくるだろうか! 否! だからこそ伯爵軍と言えども欺かれた。これこそまさに、アースガルド子爵の智謀ぅお~!』

『し、しかしそれで我々の食べ物は……』


 演説なのか講演なのか。

 それとも釈明なのか。

 民衆の不満を溜めないために、彼は必死でクレインの功績をアピールしていた。


『南伯~、ヨトゥン家のご令嬢と、クレイン様がご結婚なされる~!』

『おお!!』

『そりゃめでたい!』

「身内の大事とあり、南伯は最大限の支援を約束してくださったぁぁああ~!!』


 自分たちの領主が、難癖をつけてきた王国最強の軍を打ち払った。

 自分たちの領主は英雄だ。


 そんな評判が回れば領民の気分も良くなる。

 何より庶民の間で最も有名と言える貴族、ヨトゥン家のお嬢様と結婚するというのが大きい。


 領地に食料を提供しているヨトゥン伯爵家はかなり慕われているし。今回の戦いでも実際に援軍としてやってきた。


 その姿を見ていた民衆は、「領主様が豊穣神と結婚するぞ」くらいの認識でお祭り騒ぎとなっている。


 とは言え争いの発端がヨトゥン伯爵家にあると知られたら、今度こそ反乱が起きそうなので。

 結婚に関しては「めでたい」以上の情報を流さない意味でも、ハンスは歌わねばならなかった。


 そしてハンスは、警備の仕事をしながら一日に十二公演している。

 元々一日六時間ほどしか働いていなかったのに、現在は一日十二時間勤務。

 ここ一週間、毎日これだ。


 彼はずっと歩きっぱなしで、歌いっぱなしの生活を送っているが。

 それを命じたのはもちろんクレインである。


「ええと……じゃあ、ハンスはいいや。代わりにマリウスを出そう」

「クレイン様、このままでは護衛がいなくなります」

「非常時だ。護衛はピーターだけでいいよ」

「左様で。……では、行ってまいります」


 マリウスはマリウスで、軍需関係品を補充するための決済を通していたが、どこも人が足りないのだから臨機応変に動かなければいけない。


「ははは。これは、大変なことになりましたなぁ」


 話題に上がったピーターも事務仕事中だ。

 ヨトゥン伯爵家から運ばれてきた物資への支払いが正常に行われているか、クレインの横で取引の帳簿をチェックしているところだった。


 地頭があるならこの際、もう武官でも構わないと。

 最低限の計算や交渉ができる者は、臨時で役人の真似事をしている。


「ああ、まあ、仕方ないさ。勝つためだったんだ」

「ええ、存じておりますとも」


 クレインがピーターと駄弁りながら書類の決裁をしていれば。

 今度はマリーが、ノックもせずに執務室へ駆け込んでくる。


「クレイン様、ヨトゥン家の使者がお見えになってます!」

「わ、分かった、すぐ行く!」


 この非常事態では誰であっても関係ない。

 戦力になりそうなら限界まで使う。


 七十近い執事長ですら徹夜をさせる勢いで働かせていたので、クラウスはもうダウンしている。


 執事長が仮眠中のため叱られることも無く、マリーは用件を伝え終えて。

 再び業務に戻ろうとしたが、クレインは彼女の肩を掴んだ。


「マリー、計算できるだろ? これ、戦費の計算やっておいてくれ!」

「え、ええ!? それはメイドの仕事じゃ――」


 仕事を貯めた分だけ紙の塔が積み上がっていくのだから、現状維持だけでもしておきたいところだった。

 そして反論など聞いている時間は、クレインには無い。


「給金上げてあげるから、頼んだぞ!」

「ああ、もう! クレイン様のばかぁぁああ!!」


 領地中、街中、屋敷中がてんてこ舞いだ。


 老人だろうがメイドだろうが何だろうが、実務に使える者は全て使う意気込みで。

 戦後まで、彼らは総力戦を強いられていた。






    ◇






「お待たせして申し訳ない」

「いえいえ、今が一番大変な時でございましょう」


 待っていたのは、南伯の懐刀と呼ばれるヨトゥン家の重鎮だ。


 先日の戦いのあと、商隊の護衛をしながら一度ヨトゥン家に戻り。

 そのまま南伯たちに、経緯の報告などを行っていた。


 アースガルド領の実情報告なども仕事のうちだが――彼が報告するのは当然、戦いの内容がメインだ。


 アースガルド子爵の策がほぼ全て的中。

 寡兵で東伯に完全勝利。


 この報告を聞いたヨトゥン家の人間は耳を疑った。


 娘を手に入れるために、本当に軍勢を興したこと。

 それが四万近い大軍だったこと。

 それをアースガルド子爵軍が撃退したこと。


 当代ヨトゥン伯爵は大層驚いていたそうだが、これを聞いた先代は得意満面の顔をしていたらしい。


「そういった次第でして。お嬢様とのご婚約により、多大なご迷惑をお掛けしたことを。正式な使者としてお詫びしに参りました」

「い、いえ。あれは完全に、東伯の行動が異常だっただけです」

「……そう仰っていただけると、助かります」


 恋に破れただけで攻めて来るなよ。

 と、クレインは思ったのだが。


 目の前の男は真剣な顔をして、少し前のめりになっていた。


「このような時代だからこそ、我々は団結せねばなりません」

「もちろんですが……改めてご確認されるということは、何か理由が?」

「その様子では、まだご存じないようですな」


 使者は更に身を乗り出すと、小声でクレインに囁く。


「絶対に、大きな声を出さぬように。復唱もお控えください」

「え、ええ」


 一体何があるのだろうと興味半分、怖さ半分でクレインが話を待てば。



「先日、第一王子殿下が暗殺されました」



 出てきた報告に、彼の心臓は止まりそうになった。


 クレインと共闘関係を結び、共にラグナ侯爵と戦おうとしていた男。

 神経質で疑り深い。

 しかし頭の回転が早そうな男の姿が、彼の脳裏に浮かぶ。


「そ、それは。一体何が」


 彼が領地に対する支援をして、代わりにクレインが資金を送るような関係だった。


 クレインからすれば多少思うところはある相手だが。それでもいずれ、来るべき時に、共に戦う予定でもあった。

 その男が暗殺されたと聞き、彼は驚愕で動きを止める。


「詳しくは当家でも、まだ把握できておりませんが。……殿下のお味方と、手勢が全滅したという噂が流れているようです」

「全滅、ということは」


 第一王子の手勢。

 そう聞いて真っ先に思い浮かぶのは、一人の女性だ。


 黄金のような髪をした、いつでも優し気な微笑みを浮かべる騎士。


 クレインへ付き従い。

 時には身を守り。

 時にはあっさりと殺害を企てる秘書兼、護衛の――


「ブリュンヒルデが……死んだ?」


 第一王子、そしてブリュンヒルデの死亡。


 いずれも今までの人生では経験しなかったことだ。

 初回の人生ですら、第一王子が殺害されたという噂は流れていない。


 ――未来が変わった。


 そのことが今後どう影響するのか、クレインには全く予想がつかなかった。


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