49回目 悪鬼羅刹の



 一本道の先から悲鳴が聞こえた瞬間、東伯軍の騎兵たちは、ほぼ一斉に引き返した。


 初陣に近い者は迷っていたが、それでもすぐに伏兵だと気づいたため、後続に大した損害は出ていない。


「ねえ、旦那」

「なんだ。作戦中だぞ」

「アースガルドの伏兵、どこからどこまでが策だと思います?」


 若手の中隊長が尋ねれば、厳めしい顔をした中年の中隊長は、むっとした顔で答える。


「砦に詰めている兵が少なすぎた。最初からこれを狙っていたのだろうな」

「やっぱり旦那もそう思います? 火の回りが早すぎたし、どう考えても自分から燃やしにいきましたよね、アレは」


 やはりという言葉は、別に負け惜しみではない。若手の中隊長は本当に、薄々感づいていた。

 それなら何故と、中年の方は聞く。


「気づいていたなら、どうして砦を越えてきた」

「だって先鋒に回れって軍令出てますし」


 東伯軍は軍律が厳しい。正当な理由なく作戦や隊列を無視すれば、死罪になる可能性も高い。

 理屈自体はもっともだった。


「伏兵がいると気づいていたなら、物見を先に行かせれば良かっただろうが」

「この狭い道で、物見も何もないでしょうに」


 罠に気づきながらも軍令に従ったと答える青年に、中年の方は嫌そうな顔をしていた。


「建前はそれくらいにしろ。どうせ大将首に釣られたんだろうが」

「そうだけど、そりゃあ旦那もでしょ」

「……」


 図星だったのか無言になる中年に向けて、若手の中隊長は更に言う。


「あーあー。欲張った時って本当にいいことが無いや」


 来た道の半ばまで引き返せば。既に砦は大炎上していて、真っ直ぐ引き返すことができなくなっていた。

 帰ろうとすれば、一度足場の悪い森を通る必要がある。


 木々の間にいきなり崖が現れるような悪所だ。もう日は落ちていることもあり、通行するだけで命懸けのエリアとなる。


 勝ち戦から一転して、彼らは死地にいた。


「調子に乗ると死ぬ。それだけだろう」

「いやいや、こういうジンクスって無いですか? 俗に言う――」


 最後まで言い切らず、彼はすぐに馬の足を止めた。

 若手の中隊長は何故だか、その森から強烈に嫌な予感を覚えたからだ。 


「あの森って、味方が奇襲に使うって言ってた道っすよね?」

「……当たり前だろうが」


 青年の中隊長はその言葉を聞くや否や、周りの部下や中年には構わず、アースガルド領の領都がある西の方角を向いて空を見上げた。


「おい、どうした!」

「いや、ねぇ。味方の奇襲が成功していたら、街から火の手の一つや二つ上がるかなって。ほら、街が燃えてたら空が明るくならないっすか?」


 少し離れた位置で立ち止まった中年の方も、西の空を見上げる。


 東で大炎上している砦があるので、光源が分かりにくいところはあるが、西の空は全く暗いままだ。


「見たところは、何も起きていないな。この位置から見えるのかは知らんが」

「うーん。でも楽観視するよりは、先発隊が伏兵にかかったのと同じように――」


 奇襲隊も全滅したのでは?

 そんな予想を口に出す前に、前方から悲鳴が聞こえてきた。


「ぇぇぇえ」


 遠くから声が響いてくるが、それは森の中からだ。


 マリウスたちから逆に追撃を受けることになった友軍が、続々と森に飛び込み、試しに味方を見送ってみれば――


「けぇぇぇぇえええッ」


 徐々に、悲鳴と混じった何かの声。

 獣の雄たけびが如き、怒声が近づいてきていることに気づく。


「ねえ旦那、やっぱりジンクスってあると思うんすわ」

「何の話だ?」

「いやさ、欲張った時は大体酷いしっぺ返しが来るって、言ったじゃないすか」


 雄たけびはぐんぐん近づいて来て、青年の頬が引きつっていく。

 それに比例して悲鳴の数が増えていき、悲鳴の音量が上がっていった。


「助かったと思った瞬間が一番危ないってジンクス、あると思います」

「……同意するしかないな」

「置いていけぇぇぇええええええッッ!」


 二人が目を凝らせば、鬱蒼とした森を進撃する巨体が一つ。


 目立たずやり過ごせれば良かったのだろうが、残念なことに、中隊長にはそれなりに豪華な兜と鎧が与えられている。


 敵からすれば――武功を求める相手からすれば――恰好の的になるくらいに、金がかかっている防具を着た二人の前に現れたのは。


「首だぁぁぁああああぁああああッッ!!」


 頭の天辺からつま先まで、全身余すところなく返り血で染め上げて、元は真っ黒な鎧なのに、元から真っ赤だったと言われても信じられるカラーリングになった武将。


「首を置いていけぇぇええええぇぇああああああッッ!!!」


 ここ1時間で60人ほどを血祭りに上げ、まだ満足しない男。

 中隊長3人と小隊長2人を討ち取っても、まだ止まらない男。


 眼に野獣の如き光を宿した、怒れる戦神。それは後にアースガルド家の悪鬼羅刹あっきらせつと呼ばれる男――剛槍のランドルフだった。


「こ、降伏! 降伏します!!」

「おい!」


 彼の姿を見た若手の中隊長は一瞬で抵抗を諦めて、手にした槍を放り捨てた。

 そして、戦おうとしている中年の方を見ると、ブンブンと首を横に振り始める。


「絶対無理っすよ旦那! アレ・・と勝負しますか!?」

「え、あ、いや」


 部下を率いて森を爆走していたランドルフは、森に入ろうか迷っていた二人の前へ姿を現すと――中年の方に、思いきり槍を振りかぶった。


「う、おおっ!? 降伏だ! 俺も降伏する!」


 対峙した瞬間に、中年の中隊長には死のビジョンが見えた。

 青年に倣って槍を捨てて、可能な限り早く両手を上げた。


「この腰抜けどもがぁぁあああ!! ならば武装解除して、そこに転がっていろッ!!」


 ランドルフの見た目は、理性を失った悲しき破壊神のような姿だ。

 しかし一応会話は可能なようだった。


 すんでのところで降伏が間に合った中年は、頬と触れそうになっていた朱槍が、すっと離れていくのを見てから、腰を抜かしてその場にへたりこんだ。


「お次ぃぃいいいい!! お次はおらんかぁぁああああああッッ!!!」


 そして道のド真ん中に仁王立ちしたランドルフの前には、マリウス隊から追い返された先頭の騎馬たちが現れた。

 しかしすれ違う度に破砕音が鳴り、騎馬武者の鎧が叩き割られていく。


「ウガァァアアアアアアアアッッ!!!」

「ぐわぁ!?」

「うげっ!」


 しまいには小隊長用のそれなりに頑丈な鎧を、槍の穂先で真っ二つにしていった。

 数秒前までアレ・・と戦おうとしていた中年の方は、もう顔面蒼白だ。


「ほ、ほら、戦うべきじゃなかったでしょ?」

「あ、ああ。助かった。今なら、神を信じてもいいかもしれん」


 二連続の伏兵が成功したとは言え、敵はまだまだ大所帯だ。

 敵軍が態勢を立て直す前に引き揚げる。そこまでがクレインからの指示だった。


「ランドルフ! ここらで撤退するぞ!」

「うぉぉおおおおおぁぁあああああああああッ!!」


 部下が止めても興奮は冷めやらず、ランドルフは敵影を求めて周囲をせわしなく見渡していた。

 戦闘を継続する気満々の隊長を見て、隊の側近たちは制止の声を張り上げる。


「撤退するって言ってんだろ!?」

「今ので最後だ! ちょっと落ち着け!」


 周囲の声で敵がいなくなったと気付き、ようやくランドルフの闘志は収まった。


 奇襲返しに成功したアースガルド軍は捕虜を回収すると、彼らは敵の本隊が現れないうちに引き上げていった。


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