49回目 天まで焦がす火柱



 防衛側二千対、攻撃側二万四千。

 アースガルド軍が完全に劣勢の中で、戦いは始まった。


 順当にいけば数十分もせずに終了する戦いだが、しかし実際は一瞬で勝負が決まる。


「隊長! こっちに敵が来てます!」

「五番隊は南に応援、六番隊は待機だ! 怪我した奴は早めに退け!」


 勝負の時刻は毎回変わってくるし、初回はここでもう失敗していた。

 その一瞬がいつ来るかと、十五分待ち。

 城壁に手を掛ける敵兵が増えた。


「グレアム隊長! そろそろ突破されるかも!」

「焦んな! 丁寧に射かけろ!」


 その後、十分ほど待ち。

 そろそろ壁を乗り越えられるか、という窮地に至ってようやく――時は来た。

 ここで失敗すればその時点で敗北だ。


 砦の北側。断崖絶壁の急斜面の方角から、敵の襲来を告げる叫び声が上がる。

 それは誰も予想・・・・できない・・・・場所からの奇襲だ。


「ハンス様! 北側の崖より、騎馬隊が駆け下りてきました!」

「お、おお!? 本当に来たのか!」


 砦への侵攻をグレアム隊が食い止めている隙に、敵は別動隊を動かしてきた。

 敵兵は騎乗したまま、崖を駆け下りてくる。


 空から降って来るような動きだ。敵がその戦法を取ると事前に言い含められていたハンスですら、目を疑うような光景だった。


「本当に東伯が来ただけでも驚きなのに。ここまで先読みされると怖いものがありますね」

「う、うむ。何がどうなったら、こんなものを予想できるのか」


 人馬一体の動きで、転げ落ちそうな急斜面を駆け下りてくる騎馬たち。


 彼らはヴァナウート伯爵家の中でも選りすぐりの精鋭であり、戦局を変えるほどの力を持っている者たちだ。

 彼らが駆け下りる斜面の先にはもちろん、クレインたちが籠城している砦がある。


 二度目の防衛戦では、予想外の奇襲部隊に蹂躙され。

 三度目の防衛戦では、奇襲部隊への備えが足りずに突破された。


 単純な武力で言えば、アースガルド家の兵など圧倒できる――東伯軍の最大戦力がここに投入されている。


「配置につけ! 絶対に通すなよ!」

「私まで引っ張り出されるとは……はは、鉄火場ですね。本当に」


 敵が駆け下りてくる空間を半包囲するように、ハンス率いる三百の部下が並び。

 そこを目掛けて、敵が怒涛の如く攻め寄せてくる。


 しかしもっと細かく言えば、騎馬が降りてくる場所の周辺には倉庫が並んでおり。

 そこにはトレックが運び込んでいた物資の山・・・・がある。


「ではハンス殿、死ぬ気で守ってくださいね」

「う、うむ。やるしかあるまい。……大丈夫だ。ここにいるのは皆、一騎当千」


 部下の武勇頼りという情けない構えではあるが、陣形は完成している。

 これなら何とか敵を食い止められるだろうと自分に言い聞かせて、ハンスは必死で落ち着こうとしていた。


 背後にはトレックと五十名の弓隊がいるものの、まだ矢は番えていない。


 天から降ってきた騎馬の五騎に一騎は、着地に失敗して動けなくなっていた。

 しかしそれでも、残る八百ほどの騎馬は健在だ。

 着地した者から順に、次々と襲撃を始める。


「そ、総員! 迎撃用意!!」


 一斉には降りてこられないため、最初は防衛隊三百対、五十ほどの騎馬が矛を交える。

 それが数十秒も経てば三百対、二百ほどの戦場へと変わり。

 いつの間にやら、爆発的に敵が増えていく。


「そろそろ逆転されるぞ! ま、まだか!」

「こういうのはね、釣りと一緒なんです。焦ると大魚を逃しますよ」

「……トレック殿も、大物だな」


 一番戦闘力の低い男が一番落ち着いているのは奇妙な絵だったが。


 何はともあれ、降りてきた騎馬が半分を超えた辺りで。

 派手な兜を付けた男が、見事な体躯の馬に乗って躍り出てきた。


「雑魚に興味は無い! アースガルド子爵はどこにいる!!」


 威風堂々。

 歴戦の騎馬隊を率いる長が出陣した。


 別動隊の大将。

 誰の目にも強敵が出現したと分かる。


 強敵が出現し、いよいよ敵軍の攻勢が強まりそうになった瞬間。トレックは動く。


「今です! 装填! ……ぇ!」

「や、やっとか!」


 彼の合図と共に。

 物資の集積所に向けて一斉に火矢・・が放たれた。


「なっ、こ、これは――――!?」


 例えるなら、シュゴゴゴゴゴ! という音が何百と連鎖して赤い道を作っていき。

 放たれた火矢は、その全てが数秒で松明たいまつとしての役目を終える。


 そして。それらは「暖を取るため」という名目で必要以上に集められた、大量の油へと引火して。


 たちまち、周囲は大炎上した。



「うわっ、ぎゃあぁああああ!?」

「ぐおぁぁあああああ!!」

「お、おい! 押すな! 降りて来るな! ああ、ぁあああああ!?」



 火は瞬く間に燃え広がり、所々で小規模な爆発が起きている。

 辺りに積まれた物資だけに留まらず、砦にも一瞬で火は燃え移り。


 半包囲されて崖側にいた東伯の精鋭部隊は、一瞬で火の海に消えた。


 火炎地獄に飲まれては、どれだけ武勇があっても関係ない。

 天まで焦がす火柱は、強い者も弱い者も、ただ平等に焼き殺すだけだ。


 そして火炎は北側の外壁を伝い、伯爵軍が攻め寄せる東側へ走っていく。


「導火を切らさないように! 油壺、投擲開始!」

「な、何とかなったか……」


 小屋も砦の壁も集積した物資もお構いなしだ。

 トレックが指揮する兵士たちは、手当たり次第に全て燃やしていく。


 砦の北から起きた火災が、東西に広がり。

 やがて中央付近にまで火は燃え移り始めていた。

 防衛隊に大した損害を出すことも無く、奇襲の兵を退けることには成功したのだ。


「と言っても、未だに敵が二万以上いるのは変わらないわけですが」


 北側の奇襲は、兵力以外の手段で防ぎ切ることができた。

 しかし、ここで倒せたのは八百ほどだ。

 数で言えば、全軍の三パーセントほどでしかない。


 まだまだ先は長いなとため息を吐く横で、トレックに与えられた部下たちは火災を広げていく。


「……なあ、トレック殿。役目は済んだし、そろそろ撤退しないか?」

「手持ちが切れたら順次撤退ということで。ハンスさんも投げてください」

「う、うむ」


 この後すぐに手持ちの油が切れたことで、彼らは真っ先に撤退を始めた。


 主君であるクレインよりも先に逃走したのだが。

 ここまでは彼の作戦通りに全てが進んでいる。





    ◇





 砦の北側から火の手が上がり、敵軍が壊滅した。

 そうすると、次は再びグレアムの番がやってくる。


「き、北側に火をかけられたぞ! もうダメだ! 全軍撤退だぁ!」


 動揺した身振りから、焦ってひっくり返ったような声まで、彼の反応は全て演技だ。

 しかし敵も、ほとんどの味方もそうは思わない。

 グレアムという総指揮官の口から出てきた言葉を素直に信じた。


 特に敵兵はほぼ全員、ヴァナウート伯爵家の奇襲部隊が火をかけたと思い込んでいたのだが。

 これが演技だと知っているのは、子爵勢でも一部の隊長クラスだけである。


「子爵様をお守りしろ! 砦は捨てる!」

「撤退だ! 遅れるな!」


 まだ砦の内部にまでは侵入されていなかったので、彼らが撤退する際に追撃は受けずに済む。

 最速で引き上げた彼らは、一目散にクレインのところまで駆け寄り。


「作戦完了したぜ!」

「よし、ならこちらも始めるとするか」


 先に逃げたハンス達の部隊にも、今まさに逃走しようとしているグレアムの部隊にも。アースガルド家にしては珍しく、全員分の騎馬が西側に用意されていた。


 数の関係で二人乗りをする者もいるが、そちらは真っ先に脱出している。

 最初から、ここで逃げることは確定事項なのだ。


「……大将、死ぬなよ?」

「死なないよ。任せておけって」


 グレアムは最後に一度振り返り、真剣な顔でクレインに言ったのだが。

 クレインはこの土壇場でも、余裕の表情を崩さなかった。


 武力はそれほどない主君だが、肝っ玉だけは一級品だ。

 それを確認してグレアムは西へ向き直る。


「遅れたり、転んだりしたら死ぬぞ! 後続は全員、慌てず俺に付いてこい!」


 兵たちは誰もが、西へ続く街道を走る。

 そして。味方の兵士たちが我先にと砦から脱出しようとする中で、総大将が前に出た。


 そしてクレインは・・・・・、砦内に侵入してきた敵兵に向けて叫ぶ。



「いたぞぉぉぉおおおお!! クレイン・フォン・アースガルドだぁあああ!!」



 夜襲を受けて敗走する軍。

 その中に、ロクに護衛も付けられていない大将首があったのだ。


 彼を討てば一番の武功が得られることは間違いなく。

 クレインの姿を認めた敵兵は、目の色を変えた。


「何度見ても怖いな、あれは。……よし、頼むぞスウェン」


 愛馬を駆り、逃走していくクレインに向けて――敵が殺到する。


 防壁を乗り越えた兵がかんぬきを外したようで、騎兵たちも続々と突入してきた。

 その全てが、クレインの首を狙っているのだ。


「さ、馬術は奴らの方が上だ。気合を入れないとな」


 そう呟きながら、彼はアースガルド領へ続く道を敗走していった。



― ― ― ― ― ― ― ― ― ―



 敵が仕掛けてきたのは、「鵯越ひよどりごえの逆落とし」のようなものです。

 別動隊の部隊長にすらみなもと義経のよしつねレベルの人材がいると考えたら、東伯軍の層の厚さが分かるでしょうか。

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