25回目 知らない方が幸せだった?
「素直に吐いたみたいだな」
尋問を終えたクレインは執務室に戻り、衛兵たちが書いた調書に目を通していた。
恐怖のためか字が震えているそれを読み、内容を精査していく。
「主犯はやはりジャン・ヘルメス。サーガ商会はヘルメス商会に潰されかけていて、
言い方はマイルドだが、やり方はえげつない。
ヘルメス商会の戦略は、抗う気が起きないほど徹底的なものだった。
「金にモノを言わせて、取引先を全部奪おうとしていたのか。……ダンピングと言うのかな、これは」
小麦でも布でも工業品でも何でも。サーガ商会の3割増しの値で買い取ると言われたら、それは誰もが流れていく。
名指しで完全に潰しにかかっており、もう他店対抗商戦という域にはない。
販売の方もサーガ商会の2割引きほどで、このセールが半年も続いているというのだから、大した体力だ。
そしてとばっちりを受けた近隣の商家たちも、根こそぎに近い形で死滅しているところだった。
「謎の山賊が続々と現れた上に、衛兵も騎士団も動いてくれない。しかも関所では法外な通行料か。はは……ひどいな、これは」
ヘルメスは東部の権力者にも手を回しており、東伯の勢力圏からアースガルド領に向かう途上では、サーガ商会だけが相場の倍以上の通行料を求められていた。
「仮に、商品を割安で卸すからサーガ商会を排除してくれと言われたら……まあ、俺でもそうするよ。大して恩もないんだから」
最大手の商会に逆らうのはリスクが大きすぎる。そしてサーガ商会を助けたところで見返りなど皆無に等しい。
だからこれは一択問題だ。領主が善人か悪人かに関わらず、メリットの問題で切り捨てるだろう。
「御用商がこんな状態にあることを東伯が知っているとしたら、もう話が通っているのか? 見捨てられたにせよ、既に御用の立場を乗っ取られたにせよ、同情の余地はあるな」
サーガにはもう、ヘルメスの話に乗る以外の選択肢が無かったのだ。
それを理解しつつ、クレインは末尾まで読み進める。
「暗殺に成功すれば北候とも関係を結ばせてやる。東から北、将来的には西側までの一帯で輸送を手伝え……か」
事実として、暗殺計画の提案を受け入れた瞬間から、通行料の値上げは止まった。
しかしこれはアメとムチの提案かと思いきや、よく見れば鞭打ちばかりの提案だ。
「子爵の暗殺までやらされて、見返りがヘルメスの手先というか――下請けになることか。メリットはどこにも無いし、ただデメリットを消したかったんだろうな」
資産を奪われて傘下に入るのだから、下請けというよりは隷属だ。
未来でラグナ侯爵家がやっていたという手口、そのままでもあり、被害に遭ったことのあるクレインからすれば、ドミニク・サーガの境遇には謎の親近感を覚え始めていた。
「どちらかと言えば被害者だから、どうにか助けてはやりたいけど……助ける手段が無い。財産没収以外の手は無いだろうな」
サーガ商会への本格的な嫌がらせは半年前には始まっているのだ。
今から4ヵ月前に戻ったところで既に潰れかけており、その頃のクレインには何の力も無いのだから、助けることは物理的に不可能だった。
何となく後味が悪いものを感じながらも、彼は現実的な未来を見ていく。
「サーガ商会がいくら弱っているとは言え、王国東部では老舗だ」
財産にはかなりのものがあるだろう。それはクレインも手に入れたい。
何より計画失敗で完全に潰れるであろうサーガ商会を、トレック率いるスルーズ商会に吸収させることができれば最高だ。
もっと大きく力を付けることができる――はずだった。
「とまあ、トレックのところに勢力拡大をさせようという計画もあったわけだが。修正を余儀なくされたな、これは」
ヘルメス商会が東伯の影響下で好き勝手にやっているのであれば、スルーズ商会がサーガ商会の代わりに東部の販路を築いたところで、同じように潰されるだろう。
大して旨味が無い以上、ヘルメスに恩を売る形でクギを刺しておくのが最適か。そう思いながら、クレインは調書を机の上に投げ捨てた。
「分かったことは、北侯と組んでいるであろうヘルメス商会が、思ったよりも遥かに厄介なことか」
サーガ商会に対する状況の把握が終わると、次はもう少し広い視野での話になる。クレインが国内の勢力図を考えたとき――彼は想定よりも状況が悪いと痛感した。
まず、国の北西から北東までの大部分を支配しているラグナ侯爵家について。彼らは名門だけあり、資金力、軍事力、生産力などが凄まじい。これは立ちはだかる大いなる壁だった。
そして、そんな彼らの背後から、突如として現れたのがヘルメス商会だ。
侯爵家の支配地域で好き勝手にできるということは、王国の北西から北東までは彼らの庭ということになる。
そして東部でも老舗の御用商を、気分次第で滅ぼせるくらいの影響力を持っている。
「南伯のところから、最上級の肉を入手できるとも言っていたな。一体どこまで手が伸びているのやら」
一見さんでは、特別な価値のある特産品は譲ってもらえないのだ。少なくともそれなりの付き合いがある、お得意くらいの地位は獲得していると見ていい。
クレインとて人生をやり直す度に、ヨトゥン伯爵家との経済的な繋がりは構築してきた。しかし南方面への影響力ですら、自分よりもヘルメス商会の方が強いと溜息を吐く。
「北部と東部は、完全に敵方だ。南部も怪しいし、西部は……北侯の勢力圏から食い込まれている上に、味方になれたとしても遠すぎる」
例えば西候や西伯が第一王子側についたとしても、アースガルド領の防衛には意味を為さない。
王都を挟んだ反対側にある、アースガルドにまで援軍を送り出したとしても、到着までにどれくらいの時間が掛かるだろうか。
それ以前に、すぐ近くにいるラグナ侯爵家の方との決戦に忙しく、軍隊を派遣する余裕などないのではなかろうか。
そんな試算を順番に終わらせていき、やがてクレインは暗い表情のまま顔を上げた。
「これは、厳しいな」
アースガルド領は王都から見れば、東部への玄関口だ。南部と東部の境目くらいに位置しており、中央から東へ向かおうとすれば、アースガルド領を通行するのが最短距離になる。
仮にヘルメス商会の暗躍を足掛かりにして、ラグナ家が東へ手を伸ばしていくなら、いつかは必ずぶつかることになるのだ。
「アースガルド領に向けた軍隊が通行できるのは、王都方面、東方面、南東方面の三方向か」
援軍を呼ぶとずれば十分な広さを持つ主要街道が必要であるため、候補はこの三方向を抜けた先からになる。
東伯との縁が望めないため、外部を考えるならば相変わらず、王都かヨトゥン伯爵家の助けを求めるしかなかった。
「北の小貴族たちの方から続く道も、一応、あると言えばあるけど……あそこは血で血を洗う修羅の土地だからな」
北への道はろくに整備されておらず、どこかと関係を結べば別の勢力から横槍が入る。そして援軍が来たとしても、兵数は500や1000がいいところであり、根本的な解決にはならない。
冷害による食糧不足で荒れていることもあり、依然として援軍を頼む上での選択肢には上がらなかった。
「それで、南伯とこれ以上仲良くなれば、お嬢様とのお見合いという即死カードが飛んでくるわけだ」
本来は1年以上も先の話だが、アースガルド領の隆盛ぶりを見て早めの打診が来るかもしれないのだ。
メリットとデメリットを考えれば、あまり深入りはしたくないところだった。
「今のところは因縁が無いし、対北侯だけを見るなら東伯を味方に付けるべきかとも思ったんだが……」
再び今回の事件を思い出せばそれも難しい。東伯はヘルメス商会とズブズブになりつつあり、ヘルメス商会はラグナ家とも懇意。
この図であれば間接的に両者がつながるため、大雑把なグループ分けをすると敵方になる。
「ヘルメス商会が邪魔過ぎるんだよなぁ」
現時点で敵味方を分けるなら、敵は北候、潜在的な敵として東伯。
それ以外は立場が分からず、少なくとも明確な味方はいないという、絶望的な状況だった。
「これはラグナ侯爵家の王国制覇に乗った方が、早いんじゃないのか……?」
毒殺回避には成功した。各勢力の裏事情もおおよそ把握ができた。
しかし調べれば調べるほどに、知りたくない情報が出てきたのだ。
「何も知らない方が幸せだってことも、あるんだな」
真相に近づくにつれて、厄介なものがどんどん見えてきた。その大半は対処不能であるようにも見えた。
とかく深淵を覗いてしまったクレインは、再認識した難題に頭を悩ませることになった。
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