26回目 当たり前の話
思わぬ反撃を受けて撃沈しかけたクレインだが、よくよく考えれば今日は毒殺事件の3日前だと思い出した。
トレックへの手紙を出した彼は寝室に戻り、前回までの反省を活かした行動指針を決めるべく、いつものように自室の机に向かう。
「まずはトレックを味方に付けること。これは確実にやっておくべきだ。同じ流れになるように気を付けないと」
そう不安になるが、気分が良くないのは事実なのだ。恐らく大丈夫だと片付けて次に進む。
「毒殺を暴くまでの動きは完璧。問題はそれから、どう動くかだよな……」
ここまで集めた情報を整理するに、王子はヘルメス商会が敵だと分かった上で、今後も利用していく方針のようだ。
そして前回の動きを振り返ってみると、サーガを逮捕した時点で、ヘルメスは早々に損切りを開始していた。
「例えば東の情勢や、北侯との裏取引。そういった部分の情報が漏れそうになった段階で、ヘルメスは一気に手を打ってくるだろうな」
上司はその隠匿を嫌うため、クレインとしてはヘルメスを刺激したくない。つまり毒殺未遂を起こしたサーガを拘束して、尋問するという選択肢は消えた。
「いっそのこと何も知らない、無能な坊ちゃんを演じた方がいいか? いや、でもそれで本当に無能に見られると、後々に制裁が待っていそうな気もする」
クレインは事を丸く収めるために、毒殺を初めて防いだ直後と同じ動きを想定した。
要は事件解決後に、全てを放り投げた場合だ。
「陰謀に巻き込まれたが、敵は倒した! 財産も幾らか手に入ったな!」
それでノコノコと引き下がれば、無能の烙印を押されて上司から消されかねない。
仮に今回は生き残れたとしても、ブリュンヒルデを経由して王都に送られる報告書には、確実に失点として書き記されるだろう。
そうなれば次回以降に、詰む確率が高くなってくる。
「つまりトレックを味方に付けてからは、毒殺を防ぎつつもサーガは捕らえない。その後をどうするかだな」
毒殺を防いだ時点で加点してほしいクレインだが、そこまで甘くはないと分かっている。
敵対的な勢力からの助力を受けさせた時点で、「気が付くかどうか」と、「気づいてからどう動くか」を見られていると判断した。
「どうすればいい? 真犯人に気づいているが、敢えて見逃しました。という雰囲気を
クレインが机に向かって唸っていると、やがてバケツと雑巾を手にマリーがやってきた。
「し、失礼しまぁーす」
手早く拭き掃除を済ませていくが、彼女は明らかに動揺している。ノックを忘れて入ってきた上に、時折横目でクレインを盗み見るという挙動不審ぶりだ。
「……なあ、マリー」
「ひゃいっ!」
マリーはビクっと全身を震わせて、声を裏返しながら返事をした。
頬を赤く染め上げた彼女は、もじもじと指先を遊ばせつつクレインの方を見る。
「な、なんですかぁ? そんなに私の髪に触れたいんですかぁーもうー」
態度はどことなくぎこちないままで、視線も合ってはいない。
しかし照れが多めなので、脈ありなのかと思いながらクレインは言う。
「いや、それは一旦置いておき」
「あ……いえ、
恥ずかしい思いをした手前、クレインとしても役得は欲しいところだった。
殺伐としたループに、彼は癒しを求め始めたのだ。
「とまあ、そんな話はさておきとして……どう聞こうか」
マリーの発言から活路を見出した経験があるクレインは、今回も何らかの発想が出てこないかと期待している。
だから早速たとえ話を切り出そうとしたが――しかし今回の例は意外と難題だ。
まず商会長たちが己を暗殺を目論んでいて、下っ端が役目を押し付けられたが、黒幕を追求することはできない。
政敵のスキャンダルを隠蔽されかねないので、深入りすれば上司から消されてしまうだろうが、真犯人に気づいていないふりをしても自分の身が危ない。
「……いや、本当にどう聞こうか?」
「え、なんです?」
置かれた状況を整理すれば、関係がかなり複雑に絡まっている。
そんな話をどう例えたらいいのかは、彼にも分からなかった。
「……あー、マリー。例えばどこかの貴族が、屋敷に遊びに来たとして」
「え? はい」
「貴族の息子が屋敷にイタズラをして、ハンスがそれに気づいたとする」
この例えで合っているのかは分からないが、伝わらなければ例を変えればいい。
そう思い、微妙な表情でクレインは続ける。
「でも実は親の貴族が俺のことを気に入らなくて、評判を下げてやりたいからと、息子に命じたことなんだ」
「ん、んんー?」
「……俺としては親と揉めたくない。でも俺は、親が敵対的な行動に出ていることを知っているとしたら。ハンスが評価を下げずに済む方法は何か無いかな?」
この例え話が実際にどうなっているのかと言えば、クレイン=第一王子であり、ハンス=クレインだ。
屋敷に遊びに来た貴族はヘルメスで、子どもはサーガになる。
しかし何という頓珍漢な質問なのだろう。
質問者自身がそう思っていても、彼にはこれ以上の言葉が咄嗟に出てこなかった。
「クレイン様は、親が主犯だと知っている……?」
「ハンスもそれは分かっているからさ、子どもを捕まえて終わりだと、「真犯人を見抜けなかったのか?」って、評価が下がるだろ?」
マリーは不思議そうな顔をしたり、そもそも「質問の意図がまるで分からない」という顔をしたりと、反応は微妙だった。
しかし彼女なりの答えはすぐに見つかり、あっけらかんと答える。
「えっと、クレイン様に報告すればいいんじゃないでしょうか。ハンスさんが」
「……うん。そうだよな」
相手が大商会という時点で手に余る。そんな状況になればまず間違い無く、上司の判断に委ねるのが正解だ。
相手が貴族だろうと、その子どもだろうと関係ない。取り敢えず
「当たり前の話、だよな」
「当たり前の話ですねぇ」
何を聞いているのだろう、という顔をしているクレイン。
何を聞かれているのだろう、という顔をしているマリー。
両者は一瞬見つめ合い――朝の一幕を思い出して、すぐに目を逸らした。そしてマリーは仕事が終わったと言わんばかりの態度で、バケツを回収する。
「さ、さー。次は廊下の窓を、拭きにいかなくちゃ」
「そ、そうだな。ご苦労様」
実際にはクレインの部屋の拭き掃除が、ほとんど何もされていない。
しかしとにかく、頭を悩ませていた問題の解決方法は見つかった。
「殿下に報告する。それで終わりだ」
何も自分で全てを処理する必要は無い。ヘルメス商会をアースガルド領に紹介した時点で、王子には何らかの考えがあるのだろう。
であれば「犯人には気づいています」と報告して、その後の処理はブリュンヒルデに任せてしまえばいい。
以上が彼の下した結論だった。
「そうだよな。冷静に考えたら俺、あの人たちの争いに巻き込まれただけなんだし」
自分が関わる利権争いなら、また話は変わるだろう。しかし今回については話が違う。
クレインの与り知らないところで発生した政治的な問題、その余波を食らっただけなのだ。これは別段、彼自身に責任は無かった。
「トレックの言う通りに、支援してくれる商会が減っただけの話だよ。俺は一体何に悩んでいたんだろう?」
理性が崩壊して暴走していたからと、慎重になり過ぎただろうか。それともブリュンヒルデの圧倒的戦闘力に恐れを為して、確実に穏便に行ける道を探して――考え過ぎたのだろうか。
そう自問自答するが、いずれにせよ答えは簡単だ。
やろうと思えば徹底的にヘルメスを叩ける場面だが、叩けば争いは激化する可能性が高い。だから敢えて放置したと伝える。内容はそれだけであり、考えるべきは体裁だった。
「事情を理解した上で見逃しましたが、何か行動の指示があるなら別途お知らせくださいってところか。どう伝えようか……というか……なんだ?」
つまり今回の最適解は、適切なタイミングまで動かないこと。要はベストを尽くさずに、待機することだ。
どう見てもこれが正しいと分かるが、しかしクレインはこの回答に首を捻った。
「なんでかな。どうしてか違和感があるんだけど……」
これが正解のはずなのに、何故かしっくりとこないクレインは――少し考えてみた。
そして、5分ほどして考えがまとまる。
「ああ、そうか。今までの繰り返しの中では、ずっと
今までは死なない選択肢、つまり正解の道を選びながら進んできたのだ。ところが今回は全問正解すると、逆に0点に戻されるトラップ付きになる。
「満点を取らないことが最上。8割で止めるのが最高得点って感じだな。それは違和感もあるか」
ラグナ侯爵家との戦力差は何十倍もあり、これを埋めるのは容易ではない。生き残りのためには全身全霊を籠めて、最短かつ最高に発展する道を選ばなければならなかった。
しかしここにきて急に、手を抜く必要が出てきたのだ。
今までは満点を超えて200点、300点と稼げる道を探して進んでいたのだから、80点でいいと言われて困惑している。
自分の置かれた状況はそんなものだろうと推測して、クレインは頷いた。
「よし、整理ができた。納得もできたけど、いきなり報告書を出しても不自然だからな。毒殺事件の状況を見て、自分なりに推理してみました……という
必要であれば、追加の情報を出してもいい。
サーガ商会が東方でどんな扱いを受けているのか。暗殺に成功した場合、ヘルメス商会の展望はどうなっていたか。
それらの情報を出して、評価の加点を狙うのもいいだろう。そう決断してから、クレインはふと思う。
「あまり気を張り過ぎてもいいことは無いな。少し遊び心を出してみよう」
むしろ遊び心を出した結果、役得はあった。
マリーと甘酸っぱい雰囲気になったり、ブリュンヒルデと
それを思い返して表情が緩みそうになったクレインは――すぐに気を取り直す。
「ブリュンヒルデと懇ろって何だよ……。まあいい、そうだな、彼女への報告は推理小説風でいってみるか?」
そうすれば、切れ者で優秀っぽく見えるだろうか。そんなことを呟きながら、彼は3日後の推理披露に向けた台本を作り始めた。
そして結果としては、ブリュンヒルデからの合格判定が出ることになる。
商人たちが絡む政治的な課題をクリアしてからは順調に進み、領内の発展は急速に進んでいった。
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