26回目 剛槍のランドルフ



「アースガルド子爵のお屋敷は、こちらに相違ないかーッ!!」


 日の出と共にクレインの屋敷の前に訪ねて来て、門前へ仁王立ちしながら、大声で呼びかけている男が一人。


 この迷惑な男こそ、3回目の人生でクレインが開催した献策大会――そのついでに開催された武術大会で優勝した男、剛槍のランドルフである。


 右の眉毛から頬の下まで裂傷が走る、精悍そうな顔つきをした男だ。身長は2メートルほどの大男であり、肩幅が広く、分厚い筋肉で覆われた逞しい胸板をしている。


「何だ貴様は!」

「おい待て。確かクレイン様が客分を招くとか言っていただろ」

「いかにも拙者は、アースガルド子爵の招きに応じて馳せ参じた! お目通りを願おうかッ!!」


 誰がどう見ても歴戦の猛者といった風体の男は、左手に朱槍、背中に風呂敷だけを持って馳せ参じた。


 しかし連絡を入れてから到着するまでの早さには、朝っぱらからマリーに叩き起こされたクレインも驚くしかない。


 手紙を預けたヘルモーズ商会の職員からは、「2週間ほど必要」と告げられていたため、ランドルフがすぐさま招聘に応じたとしても、到着はまだ先になると思っていたからだ。


「ず、随分と早かったな」

「馬を乗り継ぎ、最速で駆け付けた次第。このランドルフの武勇、存分に役立てられよ!」


 手紙が届いた後、すぐさま身支度と旅支度を整えて、馬車で向かえば1ヵ月、飛脚便でも2週間。天候によってはもう少しかかる道程を、彼は10日ほどで走破した。


 もちろんクレインはランドルフが士官に求める条件を知っていたので、ヘッドハントに応じる確率は高いと思っていた。

 しかし流石に、そこまで全力で駆けてくるとは思わなかったため、目を丸くしている。


「そうだな……ええと、これから朝食なんだが」

「であれば、玄関先で待たせていただこう!」

「いや、上がってくれ」


 近所迷惑だから。という言葉を飲み込んだクレインは、自分に続いて屋敷から出てきたマリーに向けて、茶の用意を命じてから食堂に向かった。


「……はぁ。いや、まあ、嬉しいんだけどさ」


 ドラフト1位の猛将が来てくれたのだから、それはもちろん嬉しい。


 しかし朝からどっと疲れた様子のクレインは、いつもより2時間ほど早い目覚めへ怠そうにしていた。

 さりとて、来客を前に二度寝もできないため、何はともあれ彼は朝食を取りにいく。





    ◇





「ではランドルフ、仕官の打診に応じるということでいいんだな?」

「無論。今日からでも働かせていただきたい!!」


 ランドルフは、熱意が空回り気味だった。

 彼はもう前傾姿勢を通り越し、テーブルを乗り越えてクレインと握手しようとしていた。


「いや、待て待て。契約書は交わしておこう」

「む、あ、ああ。そうですな」


 彼が求めるものは二つ。まずは安定した賃金だ。


 いかにも傭兵然とした、腕一本で一攫千金を狙いに行くような風体であるのに、彼は堅実な職を求めていた。


「衛兵隊を新しく増やす予定だけど、まだ設立していないからな。まずは副隊長から始めようか」

「では、それでお願い致す。サインはどこにすれば――」

「だから話は、最後まで聞こうな?」


 彼は学が無く伝手も無い。力自慢というだけでは仕官が叶わず、「どこに行けば取り立ててもらえるか」が分からずにくすぶっていた。


 実際に戦うところを見れば、歴戦の武芸者を軽く転がす実力者だとはすぐに分かるが、しかしその機会など無かったのだ。

 彼は工事の人夫などを務めながら、鬱屈うっくつした毎日を過ごしていた。


 そんな事情を知っているクレインであれば、少し驚いたくらいで済んだとしても、初対面の貴族を相手にこの前のめり具合では、伝手があっても難しいだろうなと彼は苦笑する。


「まずは賃金の交渉からだ」

「う、うむ」

「給料だが、毎月金貨8枚の俸禄を予定している。そこに加えて危険手当だ。盗賊退治なんかがあれば、その都度の働きを見て賞与を出す」


 破格の待遇というわけではないが、一家が食うに困らないくらいの収入にはなる。


 小作農として働いても平均して月に金貨5、6枚なことを考えれば、経験も実績も無い浪人に与える俸禄としてはまずまずといったところか。


「信頼できそうなら俺の身辺警護を任せるか、創設予定の軍で指揮官を任せようと思っているんだ」

「せ、拙者が、一軍の将に?」


 クレインから見てランドルフの実力は、伯爵家が抱える千人隊長クラスはある。少なくともハンスと同レベルの相手ならば、2、3人はまとめて蹴散らせるだろう。


 周囲からの反感を避けるために段階は踏むが、ゆくゆくは親衛隊長か将軍に抜擢しようと考えていた。


 そして弱兵を徹底的に鍛えてほしいのはもちろんのこと、クレインには別な目論見もある。ランドルフの実力ならば、ブリュンヒルデに対抗できるかもしれないという、淡い期待も入っているのだ。


 ブリュンヒルデと言えば、何かに失敗するとペナルティとして死を与えてくる存在だった。


 しかしこの先、彼女を一時的に足止めしたり、一旦殺害を思い留まらせる必要のある場面が出てくるかもしれない。

 そうなった時のストッパーになれないかと期待していたのだ。


「……まあ、そこは勤務態度次第かな」


 つい先日改めて確認したが、少なくともハンスたちでは5秒も止められない。

 だからクレインはこの点に関して多分に期待していたが、全ては働きぶりを見てからだった。


「腕っぷしだけでは任せられないから、少し勉強をしてもらうこともあるだろう」

「承知致した。励むとしよう」


 うんうんと頷くランドルフは、再び雇用契約書へのサインを試みた。しかし過去に彼の希望を聞いていたクレインは一度制止して、テーブルの端に置いてあった薬に手を伸ばす。


「あとはこれだな。奥さんが病気なんだろ?」

「……え?」

「効くかは分からないが、馴染みの商人から薬を取り寄せてもらったんだ」


 薬は高価であり、しっかりとした効き目があるものは、目が飛び出るような価格で売られている。

 実際にクレインがトレックから購入した治療薬も、それなりの値段のものだ。


 ひと瓶1ヵ月分で金貨3枚という、一般家庭ではおいそれと使えない金額の品物だった。


「これは契約金代わりだ。もしこの薬に効き目があれば、定期的に仕入れようと思ってる」

「何故、拙者の妻が病だと……?」

「あっ」


 武闘トーナメントに優勝したランドルフが、涙ながらに仕官希望の理由を語っていたことはクレインしか知らない。

 だからこれは失言ではあるが、彼は微笑みながら誤魔化した。


「噂で聞いただけだよ。それで、どうなんだ?」

「確かに妻は、難病ではあります」


 過去のランドルフから病気の症状まで聞き取っていたので、それを基にトレックに相談して、効きそうな薬を事前に用意しておいたのだ。


 そして目の前にある薬の品名は、ランドルフが試してみたいと思っていた薬の一つではあったので、彼は領主の超人的な洞察力に驚いていた。


「なら良かった。まあ、貰って困るものではないはずだ」

「それはそうだとしても、まだ、働いてもいないというのに、こんな……」


 病気の家族に治療薬が買える環境、それが希望条件の2つ目である。


 しかし不景気により生活が切羽詰まっていたので、今回のランドルフが重視したのは、まず働き先を見つけることだった。


 仕官できるなら贅沢を言うまいと思い、今回は彼の方から追加条件を切り出してはこなかったが、望みを知っているのだから叶えるに越したことはない。


「いいから受け取れ。家族のことが心配で働けませんでは、俺も困るから」


 つまりこれは先行投資だ。薬一つで忠誠を買えるなら安いものだと言わんばかりに、クレインは満面の笑みで薬を差し出した。


「万能薬ではないが、何にでもそれなりに効くらしい。もし病気じゃなければ、常備薬にでもしてもらうつもりだったからさ」


 トレックからはいつでも薬を仕入れられるため、供給体制は問題ない。それに今は薬師見習いを育てて、公務員扱いにする計画も始動している。


 安定した職があり、アースガルド領は療養の環境としても悪くない。しかも領主が一介の平民を気遣って配慮までしているのだから、これで裏切る理由は無いだろう。


「俺はお前の腕を買っているんだ。是非、頑張ってほしいと思っている」


 ランドルフの忠誠を高めて、恩義が重なるほどにクレインの身は安全になるのだ。だからこれ以上死にたくない領主は、全力で猛将を囲い込むつもりだった。


 そんな裏を知らないランドルフはと言えば――薬の瓶を抱えて号泣し始めた。


「ぐ、ぐおおおおおッ!! 拙者如きに、このようなご配慮をいただけるとはッ!!」

「うぉっ!?」

「粉骨砕身、全身全霊でお仕え致す所存ッ!!」

「え、あ、ああ」


 暑苦し過ぎるのは考えものだが、武力的には間違い無い。


 腕っぷしが国内屈指の猛将を獲得したクレインだが、これによって様々な影響が出てくるなどとは――もちろん、今の時点では想像できていなかった。


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