第26話 変わるものと変わらないもの
「おい木戸、気を付けろ。迂闊に呼ぶなよ」
「はぁ? 呼ぶなって誰を」
「桐生先輩のことだ。お前さっき……」
呼び方が……、と言いかけ、説明の途中で桐生先輩へと視線をやる。
彼女は相変わらず宗佐の腕を取ったままだが、何か気になるのかじっと壁のポスターを見つめている。次いでくるりとこちらを振り返った。
「ねぇ
「それなら午後からやるイルカとペンギンのやつですよ。午前中のは
「そう、新しいショーにはペンギンも居るのね」
イルカだけではなくペンギンも好きらしく、桐生先輩が満足そうに頷く。
そうして再び宗佐へと向き直ると、「一緒に見ましょうね」と甘える猫のように、それでいてどことなく妖艶さも漂わせながら笑った。
その魅力も小悪魔ぶりも妖艶さも、以前と何一つ変わらない。むしろ増している。……のだが、周囲は一瞬にしてシンと静まり返った。
先程まで宗佐に嫉妬して騒いでいた連中も、桐生先輩に張り合うように宗佐の片腕を掴んでいた月見も、そして宗佐すらも。
もっとも桐生先輩自身は一転した空気にキョトンとした表情を浮かべている。どうやら己が原因と気付いていないようで、「どうしたの?」と首を傾げる始末。木戸も同様、不思議そうに周囲を見回している。
そんな中、俺は一足先に気付いていたおかげで冷静さを保てており、いまだ怪訝そうな木戸の肩を軽く叩いた。
「……説明してる暇はない。木戸、逃げろ」
「なんだよ逃げろって。いったい何の話を……、もしかして俺、呼んでた?」
「呼んでたし呼ばれてた。逃げろ」
早く行け、と背を押してやれば、意図を察した木戸が足早に駆けだす。
去り際に宗佐の腕を掴んで一緒に逃げるのは優しさか、もしくはいざという時に囮にするためか……。
どちらにせよ、分かりやすく逃げ出す二人に対して一瞬誰もが唖然とし、次いではたと我に返った。
その結果どうなるかと言えば、
「楓さん!? 亮平!? どういうことだ木戸!」
「そもそもなんでお前と桐生先輩が二人でここに来てるんだ!」
「芝浦も木戸もまとめて生餌にしろ!」
と、こうなるわけだ。木戸と言う新たな燃料を得て男達の嫉妬の炎が一層激しく燃え上がり、木戸と宗佐を追いかける。
その波が去った後、一寸遅れて我に返った月見が「宗佐くーん」と切なげな声をあげて追いかける。桐生先輩もまた「亮平、私の荷物持っていかないで!」とそれに続く。――桐生先輩に関しては、木戸を、というよりは木戸に持たせた荷物を追いかけているのだが。これも二人らしい話だ――
この騒々しさもまた蒼坂高校での生活を彷彿とさせる。
まるで校内に居るかのような感覚だ。
「そうだよなぁ……。卒業からまだ三ヵ月だし、人間そう変わらないよな」
懐かしさ半分、呆れ半分。思わず達観したことを呟いてしまう。
それぞれの距離や呼び名に変化を見せているとはいえ、本質的には高校時代とさして変わらない。
となると、ここは以前の流れを汲んで俺が止めるべきなのか。
本音を言えば「勝手にやってろ」と放っておきたいところだが、今日は宗佐と月見が入手したチケットで入館している。その分の恩は返すべきだろう。
卒業と共に宗佐絡みの騒動から解放されたと考えていたが、どうやら甘かったようだ。
思わず溜息が漏れてしまうのだが、それすらも高校時代を思い出させる。
そうして懐かしさを胸に抱きつつ、少し離れた場所の水槽に視線をやった。
正確に言うのであれば、水槽を眺める人物。さも自分は無関係だと言いたげに水槽を凝視する人物。
……もちろん珊瑚である。宗佐が男達に囲まれたあたりから、彼女はあの水槽に張り付いてこちらを一瞥もしない。他人のふりを徹底しているが、彼女のシビアな対応も含めて相変わらずだ。
そんな珊瑚に近付き、隣に立った。
心臓が早鐘を打つ。本音を言えば深呼吸でもしたいところだが、それをすれば緊張しているのがバレてしまう。
だからこそ俺もまた視線を水槽に向けたまま、それでもチラと横目で珊瑚の様子を窺った。
「放っておいていいのか? 今度こそ宗佐がサメの生餌にされるぞ」
「大丈夫です。宗にぃ、卒業旅行から帰ってきてからサメの映画たくさん観てますから。きっと倒せます」
しれっと珊瑚が言い切る。この騒動に関わる気は無いという意思表示だろう。
相変わらずシビアな対応ではあるが、俺もまったくもって同感だと頷いた。
そうして話が途絶え、二人並んで目の前の水槽をただ眺める。
小さいながらも美しい水槽だ。
イソギンチャクの合間を鮮やかな色合いの魚がゆっくりと揺蕩うように泳ぐ。一分程度の間隔で色が変わるよう設定されており、芸術的な美しさも感じられる。
しばらくは水槽についてぽつりぽつりと言葉を交わしていたが、話はこれといって弾まず次第に口数は減り、なんとも言えない空気が流れはじめた。
重い空気を誤魔化すためにコホンとわざとらしい咳払いをすれば、珊瑚が小さく肩を震わせる。
彼女も分かっているのだ。
俺が話を切り出すタイミングを窺っている事を。
今日こそ返事を求めようとしている事を……。
「……こうやって二人で話すのは久しぶりだな」
水槽に視線を向けたまま話しかければ、隣に立つ珊瑚が無言で頷いた。
横目で見た彼女の頬が赤くなっているのは、水槽を照らすライトが赤く灯っているからか、もしくはこの状況だからか……。
どちらかを考えれば言い様の無い緊張感を覚え、逃げるように再び水槽へと視線を戻した。
水槽の中を小さな魚が尾鰭を漂わせながら横断していく。優雅とさえ言える光景だが、今はそれを美しいと感じる余裕はない。
「えっと……、その。調子はどうだ?」
話したいことは他にあるのに、あたり障りのないことを尋ねてしまう。
そもそも、珊瑚と二人きりで話をするのは久しぶりとはいえ、何の連絡も取っていないわけではない。携帯電話でのやりとりはしているし、宗佐の家に遊びに行った時に顔を合わせることもある。
それどころか、先日に至っては宗佐と遊んだ帰宅途中、たまたま時間の合った珊瑚も合流して三人で帰路についた。
互いの近況は他愛もない雑談の最中に話しており、今さら尋ねる程ではない。
話したいことはそれじゃない。そう心の中で己の不甲斐なさに苛立ちを覚える。
そんなもどかしさを抱く俺の横で、そわそわと落ち着きを失っていた珊瑚が「えっと……」と話し出した。
「最近は、その……。そうだ、ベルマーク部に五人も新入生が入ったんですよ。今までで一番部員が多いから、もっと活動を増やそうって話してるんです」
「そうか。実績ある部活だもんな。受験もあって大変だろうけど頑張れよ」
「はい。それと、斉藤先生がよく話しかけてくれます。宗にぃが大学でちゃんとやれてるのかって……」
「宗佐は卒業してもなお心配の種なのか」
「……実稲ちゃんは何一つ変わりません」
「あれはもう諦めたほうが良い」
「あ、でも実稲ちゃん凄いんですよ。また新しいドラマに出るって。それに、新入生の中にもまた可愛い子がいて、それで……」
気まずさからかあれこれと話しだす珊瑚に、つられて俺も返す。
相変わらずらしい蒼坂高校のこと、旧芝浦邸で飼っている二匹の猫のこと、赤ん坊のこと……。だが矢継ぎ早に話すものの、どの話題もさして長くは続かない。
噛み合っていないわけではないが、どれも早々に終わってしまうのだ。
互いにぎこちなく、取り繕うことすら出来ない。
時折窺うようにチラとこちらを見てはすぐさまそらされる視線が、珊瑚の緊張の度合いを物語っている。
だがそれが分かっても今の俺に退く気はなく、意を決して彼女を呼べば、珊瑚が体を強張らせたのが分かった。
赤く灯ったライトが彼女の顔を照らしている。……そして、今日も飾られている髪飾りも赤く光を受けている。
それを見て、俺は緊張で臆し掛ける己を奮い立たせて珊瑚へと向き直った。
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