第11話 夜のホテルと、一つの『その時』




 相変わらず廊下には誰も居らず、時折、扉から室内のテレビの音や笑い声が微かに聞こえてくるくらいだ。


「この階は静かだな。でも先生が見回りしてるってことは、一応うちの生徒も居るんだよな」

「きっと他の宿泊客と同じ階だから、周囲を気に掛けて就寝時間を守る模範生を配置したんですよ」

「……となると、他のやつらも逃げ惑ってた階に配置された俺と宗佐は」

「深くは考えないでおきましょう」


 そんな会話を交わしながら廊下を歩き、一室の前で珊瑚が足を止めた。


「健吾先輩、ここです。この部屋です」

「なんだ本当に俺達の部屋の下なんだな」


 一度エレベーターホールに向かったため移動の距離はあったものの、珊瑚と祖母の部屋は俺達の部屋の殆ど真下だ。扉に掲げられた部屋番号も俺達の部屋のものと近しい。

 これは確かに似た景色になる、と互いの部屋の景色の写真を思い出していると、珊瑚がポシェットからカードキーを取り出した。

 そして物言いたげにカードキーをじっと見つめている。


「どうした?」

「カードキー、おばあちゃん達がみんな使えなくて、あちこちから説明を求められたんです。何度も実演してみせました」

「そうか、老人会だもんなぁ」

「みんな昔ながらの棒がついた鍵が良いって言ってましたよ」

「今じゃ逆にお洒落かもな」


 説明時のやりとりを思い出したのか笑いながら話す珊瑚に、俺も思わず笑みを零して返す。

 そうして珊瑚がドアノブの鍵部分にカードキーをかざせば、カチャンと軽い開錠の音が響いた。

 ゆっくりと扉を開けるのは寝ている祖母を気遣ってだろう。僅かに開けた隙間から音をたてないようにそっと室内へと入っていく。


「わざわざありがとうございました」

「いや、いいよ別に。結局先生に見つかったし」

「……夜のホテルが薄気味悪くて怖かったのは本当なんです」


 呟くような小さな声で話し、そして「ちょっとだけですよ」と付け足して苦笑する。

 それはつまり、俺に部屋まで送って貰えたことが嬉しかったということなのだろうか。

 その言葉は嬉しくもありなんだか気恥ずかしく、雑に頭を掻いて「そうか」と返せば、珊瑚も照れ臭いのかこの話題を終いにして就寝の挨拶をしてきた。


「それじゃあ、おやすみなさい」

「ん、おやすみ」


 互いに就寝の言葉を交わし、扉が閉まるのを見届ける。

 扉が閉まるやカチャンを再び音が響いた。オートロック特有の間髪を容れぬ施錠は味気ないが、その音と同時に深く息を吐いた。


 会えたことへの嬉しさと、部屋まで無事に送り届けられた事への達成感。……そして、実は少し怖かったと本音を漏らす珊瑚への愛おしさが胸に湧く。

 なにより嬉しいのは、彼女は俺と宗佐が同室だと分かっていて、俺達の部屋を訪れようと月見に提案してくれたのだ。

 それを思えば表情が緩む。

 ……のだが、浸りきってもいられないと、パン!と軽く己の頬を叩いた。


 浮かれている場合ではない。

 気を引き締め、周囲に気を配りながら部屋に戻らねば。


 もちろん、斉藤先生に会わないためにだ。帰路で遭遇してみろ、根掘り葉掘り聞きだされて冷やかされて……。想像するだけで恐ろしい。

 それだけは絶対に避けなくてはと己に言い聞かせ、気配を窺うように足早に静まった廊下を歩き出した。



◆◆◆



 運よく斉藤先生に遭遇することもなく部屋へと戻り、就寝の準備をしながら待つこと少し。

 カチャンと開錠の音が響き、入ってきたのはもちろん宗佐である。俺の顔を見るや「悪いな」と笑うのは『妹を部屋まで送り届けてくれた友人』に対しての労いだ。


 そこに俺の胸中を察した様子はない。

 俺が珊瑚を送り届けたのはあくまで友情と善意でしかないと思っているのだろう。もしくは、気を利かせて自分と月見を二人きりにしてくれた、とでも思っているのか。

 クラスメイトどころか先生にまでバレかけているのに、どうして誰より近くで眺めている宗佐が気付かないのだろうか……。

 そんな疑問を抱くも、それが芝浦宗佐という男だと一人で納得した。


 宗佐は日頃から「珊瑚の恋人はたとえ石油王だろうと認めない」と公言している。

 なので油田を見つけない石油王にならない限り、俺の口から事実を打ち明けることはするまい。……というか、日頃の口振りからするに油田を見つけても言わない方が得策か。

 そんな事を考えつつ、就寝の準備に取り掛かる宗佐と話を続ける。


「まぁ、送ったって言っても、途中で斉藤先生に見つかったけどな」

「なんだ、そっちも見つかったのか」


 二手に分かれても同じだったな、と宗佐が笑う。

 聞けば宗佐達も巡回中の先生に遭遇したらしく、それでも俺達と同様に怒られることなく済んだという。さすが卒業旅行だけあり、どの先生も寛容なようだ。


「見つかった時はまずいと思ったんだけどさ、すぐに弥生ちゃんが正直に説明して謝って。そうしたら先生が『月見さんが故意に時間を破るわけがない』ってあっさり見逃してくれた」

「さすが月見、優等生として積み上げてきた信頼だな。で、お前は?」

「俺に対しては『今更これぐらいのことで怒る気にならない』って」

「さすが宗佐、これもまた三年間怒られ続けた結果だな。お前の怒られ通しの高校生活も無駄じゃなかったって事だ」


 なんとも真逆な扱いに思わず笑いながら話せば、宗佐が不満そうな表情を浮かべた。

 だが不満そうにはしつつも反論してこないあたり、自覚はしているのだろう。果てにはさっさと話を終いにし、就寝の準備を終えるやこちらの了承を聞かずに部屋の電気まで消す。

 俺も布団に潜り枕元の明かりを落とした。


「先に謝っておく、鼾かいてたらごめん」

「安心しろ、俺は何があっても絶対に起きない。赤ん坊の夜泣き以外はな」

「なんて頼もしい……!」


 そんな冗談を交わし合い、どちらともなく口数を減らしていく。

 そうして部屋の中が静まり、空調の音だけが細く聞こえる。俺の意識もゆっくりと微睡んでいき……、



「……なぁ」


 話しだした宗佐の声にふと意識を戻した。


「健吾、起きてるか?」

「……寝てる」

「そっか。じゃあ寝たままで良いから聞いてくれ」


 強引に話を進めてくる宗佐に、本当に寝ようかと思っていたがふと目を開けた。

 てっきり「起きてるだろ」と枕でも投げてくるかと思ったがそんなことはなく、それどころか宗佐の声はらしくなく真剣味を帯びているのだ。

 いったいどうしたのか。視線をやったところで電気を消した部屋は真っ暗で何も見えず、ならばと問おうとした俺の言葉に宗佐の声が被さった。


「明日、弥生ちゃんに告白しようと思う」


 はっきりと告げてくるその声に迷いや照れはない。

 本当に決めたのだと、言葉にせずとも伝わってくる。


 だからこそ俺はなんと返せば良いのか分からずにいた。

 冷やかす様な空気じゃないのは分かっている。友人として背を押してやるべきなのも分かっている。

 だけど珊瑚の顔が脳裏にチラついて言葉が出てこない。

 宗佐が告白し月見との想いが報われる。それはつまり、珊瑚が失恋するという事だ。


「卒業したら皆バラバラになるだろ。それは仕方ないと思うし、遊ぼうと思えばいつだって遊べるだろうけど……、でも、弥生ちゃんと離れるのは嫌なんだ。今みたいに、……いや、今以上に一緒に居たい」

「……そうか」

「前に話した父親の事とかまだ不安だけどさ。俺に何かあったらお前が殴って目を覚まさせてくれるんだろ」

「あぁ、記憶なくすぐらいぶん殴ってやるから安心しろ」

「本当、頼もしいよ。……ごめんな、なんか突然こんな話して。誰かに言っとかないと怖気づきそうでさ」

「それも安心しろ、もし怖気づいたらその時もぶん殴ってやるから」


 任せておけと告げれば、宗佐の安堵交じりの笑い声が返ってきた。


 それ以降は互いに何も話さず、静けさだけが暗い室内に続く。

 しばらくすると宗佐の寝息が聞こえ、俺はようやく緊張が解けた気分で深く息を吐いた。


「そうか……、ついに『その時』なんだな」


 ポツリと呟いた俺の言葉に返事はない。

 今頃ベッドで眠っているであろう珊瑚の事を思いながら、ゆっくりと目を瞑った。



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