第46話 幕間(4)
投手が試合中に肩を痛めて降板……、というのは高校野球に限らず時折聞く話だ。
試合中ずっと投げ続ければ無理が祟って不調をきたすのも仕方ない。とりわけそれが、『普段は屋内で試合を研究し、たまに外で野球をする――それも人数が足りない状況で――』という、もはや運動部ですらない野球研究部ならば猶の事。ガタが来るのも仕方ない。
そしてそんな状況の部活なのだ。代わりの投手が居ないのもおかしな話ではない。
……のかもしれない。多分。今はひとまずそう言う事にしておく。
「それで、なんで俺なんだ?」
制服から野球部のユニフォームに着替えながら尋ねる。
ちなみに着替えている最中に野球部員から「俺達より似合ってる」というお褒めの言葉を貰ったのだが、この緩さはもはやツッコむ気にもならない。
そんな俺の問いに、居合わせた野球部達が真顔で答えた。
「野球部は他にまともに投げられる奴が居ないんだ。野球部から誰か出すより、確実に他の奴に頼んだ方が良い」
「力強く断言するなよ。それでいいのか野球部」
「だって俺達の集大成は試合じゃなくて文化祭の『一年間のプロ野球の試合結果と来年度の予測について』の発表会だからな!」
「文化部で登録しなおしてこい」
なんてインドアな野球部なんだ。そう肩を落としながらぼやき、それでもと着替えを進める。
ちなみに、インドア野球部はともかく助っ人も居るのになぜ俺なのかと言えば、運の悪いことに助っ人軍も投手としてはからっきしだからだ。
木戸は元々サッカーを得意としており、西園もバレーボール部出身。他の助っ人も同様。打つことは出来ても投げる事は出来ないという。
『運動神経が優れた生徒』とバランスを考慮せず集めた弊害である。
そんな内情も知らず、俺は問われるままに「兄弟とキャッチボールならよくやる」と答えてしまい、急遽採用となったのだ。
それで良いのかと疑問はあるが、俺もベンチに座りお茶やらレモンやらと貰った身なので素直に応じることにした。
……それになにより、
「健吾先輩、似合ってますね」
着替え終えた俺に珊瑚が近付いてくる。更には「頑張ってくださいね」という笑顔の応援付き。
野球部に頼まれた時こそ困惑したのだが、次いで珊瑚から頼まれるや即答したのは言うまでもない。
簡単な男と言うなかれ。好きな子に頼まれ、応援され、これに応じない男がどこにいる。
そんな俺を見て木戸と西園が「これもまたベルマーク砲か」と話しているのだが、二人はさっさと守備に着いてくれ。
そうして、俺の登板となったのだが……。
「何度も言うけど、キャッチボールしかしてないからな。打たれても文句言うなよ」
野球の経験なんて体育の授業ぐらいだ。
そう訴えるも、投げられるのが俺しかいないので誰も文句は言ってこない。
それどころか皆「打たれても守りは任せろ」と言ってくれる。……言ってくれるのだが。
「任せて! こっちきたらあたしが回転レシーブで受け止めるから!」
という西園と、
「任せろ! 俺の華麗なヘディングシュートを見せてやるぜ!」
という木戸を筆頭に、皆口々に野球では全く役に立たない技を宣言してくる。
「わー、頼もしい」と返しておいた。もちろんまったく心はこもっていない。むしろ律儀に返事をしてやっただけ褒めて欲しい。
このあんまりな状況に、相手校もよく文句を言ってこないもんだ。……いや、そもそも野球研究部を相手に選んだのが悪いのか。
だがなんにせよ、俺が投げないことには始まらない。
そう考え、俺は普段兄弟と遊ぶ時の感覚を思い出しながらボールを握り……、珊瑚の前なので格好悪い所だけは見せまいと心に誓った。
正直に言うと勝敗なんてどうでもよくて、珊瑚の視線だけが気になっている。
俺も含めて、やはり相手校に一度謝るべきかもしれない。
◆◆◆
助っ人ですらない俺の飛び入り参加というイレギュラーを経て、それでも試合は進む。
幸い無様な姿を晒すことなく役目を終え、ベンチへと戻る。こういう時のテンションが分からずとりあえず「ただいま」と明後日な事を言えば、珊瑚が「おかえりなさい」と迎えてくれた。
ひとまずやるべき事は出来た、と安堵しながら彼女の隣に座れば、待ち構えていたのか野球部員達が集まり出した。それどころか木戸や西園達まで俺に詰め寄ってくる。
「敷島、お前スポーツなにもやってないって言ってたよな」
「だから何もやってないって」
「本当に鍛えたりしてないんだな。育児筋のみなんだな」
「やめろ、それは言うな」
忌まわしい名称を口にした木戸を制し、改めて自分の運動経歴について説明する。といっても「なにもやってない」これだけだ。
断言したとおり、俺は部活にも所属していないし習い事もやっていない。運動は専ら体育の授業のみで、たまに友達とバッティングセンターだのボウリングだのに遊びに行く程度だ。
それを説明すれば木戸が信じられないと言いたげな表情を浮かべた。西園や他の奴等も俺を見てくる。なんだかとても居心地が悪い。
「……なんだよ失礼だな。もう帰るぞ」
「悪かった、機嫌を損ねるな。ただお前の投球に皆驚いてるんだ」
「及第点ぐらいには投げられてるってことか?」
「及第点どころか野球経験を疑うほど。球速も早いし、カーブボールも投げてたよな」
「カーブなら投げられる。調子が良いとスライダーも成功する」
「……もう一度聞くが野球経験は」
「だから兄弟とキャッチボールぐらいしかしてないって」
しつこいぞ、と文句を言うもそれに対しての返事はなく、それどころか木戸が「お見事」と拍手をしてきた。こいつなりに褒めてはいるのだろうか。
他の奴等も顔を見合わせ、怪訝な顔をしたり、かと思えば俺を褒めてくる。
今一つ彼等の言わんとしている事が分からない、と首を傾げていると、話を聞いていた珊瑚が何かに気付いたように俺を呼んだ。
「健吾先輩、兄弟とキャッチボールはしてるんですよね?」
「あぁ、家の近くに公園があるから、よくそこでやってる」
「いつからですか?」
「小学校に入る前からだな。昔はよく兄貴に投げ方教えてもらってたし、今は弟と投げ合ってる。双子も最近うまく投げられるようになってきたからたまに教えたりもしてるな」
「どれくらいの頻度でですか?」
「出かけない土日は殆ど、あと平日も帰って来てから。夕飯まで甥達連れて外で遊んで来いって追いやられるんだ」
「いつぐらいまでやってましたか?」
「……直近だと昨日の夕方」
ここまで的確なヒアリングをされれば、流石の俺でも察しがつく。
確かに俺は幾度と無く宣言しているように、キャッチボールしかしてない。公園の一角で、兄弟でボールを投げ合う程度のものだ。
ただ投げるだけでは飽きるからと球種を試したりはしているが、さりとてきちんと習うわけではない。
誰だって一度や二度は経験があるだろう。現に敷島家を知らない者は、「それぐらいなら俺も」だの「俺も昔は」だのと話している。
普通の事だ。
……だけど、いかんせん敷島家は大家族なのだ。
兄弟間、と一言で表現しようにも上から下までひっくるめると年齢差が有り、更にそこには当然のように甥っ子達も加わっている。
つまり幼少時から現時点まで。
というか昨日の夕方まで……、
「え、待って、俺十年以上もキャッチボールしてる……?」
今更ながらに幼少時からの記憶をさかのぼれば、かなりの時間を、尚且つかなりの頻度で、キャッチボールに興じている。
ただ延々と投げるだけ。それをひたすらに。十年以上……。
そりゃカーブボールもスライダーも取得するわけだ。
「健吾先輩、プロのキャッチボーラーですね!」
「……妹、今改めて自分の認識と一般家庭のズレを感じてショック受けてるからちょっと黙っててくれ」
「相手校の控え席に紛れ込んで『十年以上もの年月を投げることだけに費やし極めた男』という噂を流してきましょう。プレッシャーを与えて蒼坂高校側を勝利に導きます!」
「スポーツマンシップの欠片も無いな」
さっそくと立ち上がる珊瑚を、シャツを掴んで引き留める。
ひとまず隣に座らせ、詰め寄っていた木戸や野球部員達は散らし、一息吐いた。そんな俺の態度が面白かったのか珊瑚がクスクスと笑う。
「代理王子あらため育児大臣、その正体はプロのキャッチボーラーでしたか」
「どれもなんだか様にならない呼び方だな。でもまぁ、任されたからにはやりきるよ」
「乗り掛かった舟、ですね」
「そういうこと。……それに、格好良いところも見せられそうだしな。期待しててくれよ」
なぁ、と珊瑚に告げれば、彼女はきょとんと目を丸くさせ……、
「お茶代とレモン代ぐらいは働いて貰わないと!」
そう声を荒らげると「私は忙しいんです!」と立ち上がって仕事へと戻ってしまった。
頬が赤くなっていたのは言うまでもない。そんな珊瑚の背を見届け、俺は気合いを新たに立ち上がった。
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