第6話 妹と兄と、妹の祖母
この楠木旅館で生まれ、この旅館で育った三人兄妹の末娘。
結婚して芝浦性を名乗った後も彼女は頻繁にこの旅館を訪れ、夫が長期で家を留守にすると決まって珊瑚を連れて帰ってきていたという。今ほど珊瑚の父親も家を空けることは無かったらしいが、それでも一年の半分近くをこの旅館で過ごしていた時もあったらしい。
「あの女将さんが母親で、……珊瑚のお婆ちゃんなんだ」
変な感じだ、と宗佐がぎこちなく笑う。
だが違和感を抱くのも当然だ。宗佐にとって楠木夏瑚は会ったことのない名前だけ知る女性。女将さんだって親し気に接してきはするものの、宗佐にとっては他人も同然。それでいてたしかに妹の祖母でもある。
こういう関係をなんて言うんだろう……と、宗佐の話を聞きながらボンヤリと考える。
親が再婚して父親になった男の、昔の妻の母親。会ったこともない今は亡き女性の実家……。
「この旅館さ、年中休みなしでやってるんだ。だから会いに来れなくて、それで珊瑚が年に一回は来るようにしててさ……」
ポツリポツリと語りながら、宗佐がお茶に口を付ける。
……が、はたと気付いたように湯飲みを置いたのは空になっていたからだ。それに気付いた月見が急須を手に新しく注いでやり、眺めていた宗佐が再び話し出した。
「珊瑚に会いたいのは分かるし、珊瑚もそれが分かってて毎年来てる。この時期なら他の親戚も集まりやすいらしくて、たぶん今も楠木の親族と話してるんだと思う。……でも、」
辛そうなんだ、と最後に小さく呟いて宗佐が淹れたてのお茶をあおる。
だが直後に「あちっ」と声をあげるのがなんとも宗佐らしく、俺達もそれに合わせて――ほんのちょっと無理をして――そのドジを笑ってやった。
それに安堵したのか宗佐が苦笑を強め、おもむろに立ち上がった。
「そういうわけだから、俺もちょっと向こうに顔出してくる」
「お前も行くのか?」
「珊瑚の兄としてきちんと挨拶しとかないとな。それに珊瑚のそばに居てやりたいし。そういうわけだから、俺達抜きで観光に行ってきてくれないかな」
夕飯には合流できるから、と告げて宗佐が去っていく。僅かに表情に緊張の色を漂わせていたのは、これが一般的な親戚への挨拶ではないからだ。
楠木側からしてみれば、宗佐は『亡くなった娘の夫が再婚した女性の連れ子』。
先程の女将さんの対応を見るに邪険にはされていないようだが、それでも複雑であることには違いない。普通の親戚付き合いのよう気の置けない挨拶にはならないだろう事は俺でも想像できる。
そんな宗佐の去った後、部屋に残された俺達は何を話していいのか分からず、聞いたばかりの話を反芻するように呆然とし……、
パン! と桐生先輩が手を叩いたことで我に返った。
「さぁ、そろそろ観光に行きましょう」
「桐生先輩……」
「ここで私達がボーッとして一日を潰したら、それこそ芝浦君たちに気を使わせるわよ」
立ち上がり出発の準備を始める桐生先輩に、俺達も確かにと頷いて立ち上がった。
彼女の言う通り、俺達がどこにも行かずに部屋で過ごしていたと知れば、宗佐や珊瑚は非を感じてしまうだろう。せっかくの旅行なのに自分達が暗い話をしてしまったから、そう詫びる二人の姿が容易に浮かぶ。
だからこそ、ここは観光を楽しんで夕飯時に土産話の一つでも話してやるべきだ。
そう考えて準備に取りかかった。
……のだが、準備といっても俺や木戸は上着を羽織って鞄をかけるぐらいだ。手鏡を取り出したり身嗜みを整える為に洗面台へと向かう月見や桐生先輩とは違う。
女子は大変だ……と思わず木戸と顔を見合わせて肩を竦め合い、もう少しお茶でも飲んでいようかと再び腰を下ろした。
まるで時代劇の中に迷い込んだような、そんな錯覚さえ覚えかねないほどの古風な街並み。
土産物屋や飲食店はもちろん民家も和風な作りになっており、それどころかコンビニや自動販売機まで景観に合わせた造りになっているのは驚きである。
元より歴史ある土地と聞いていたが、地域一帯がその歴史を重んじ、残そうとしているのが一目で伝わってくる。
その景色をより美しく見せるのが、等間隔に植えられた桜とそれが起こす桜吹雪。
さぁと軽い風が吹き抜けるたびに古風な街並みに桜が舞い、歩いていた者達が見惚れて足を止める。
更には、夏になれば少し離れた場所の竹林が涼しさを与え、秋には山々が赤く色付き、冬は古風な街並みが雪化粧で覆われ……と、四季折々を楽しめるのだという。
二つ先の駅には川沿いや川の上にお座敷を設けた川床も楽しめるというのだから、電車で三時間しか離れていないのが嘘のようだ。
「実際に映画や時代劇の撮影にも使われてるみたいだね。運が良ければ役者さんに会えるかもって書いてあるよ」
旅館の受付に置かれていた観光マップを手に月見があれこれと読み上げ、それを聞きながら俺達が周囲を見回す。
確かにここで撮影すればセットいらずだ。年間通して美しい背景が保障されている。……景観に馴染みすぎた自動販売機には気をつけねばならないが。
そんな中、ある店を見つけて木戸が足を止めた。
着物のレンタル屋。今まさに女性二人が鮮やかな着物を纏って楽しそうに店から出てきた。元より古風な街並みに彼女達の服装はマッチしており、さながら役者のようではないか。
それを見た瞬間の木戸の瞳の輝きようと言ったらない。
「桐生先輩、是非着物のレンタルを! 費用は俺が出しますから!」
こういうことだ。
それを聞いた桐生先輩が呆れたように溜息を吐いた。
「着物ねぇ……」
「せっかくですし! 絶対に似合いますから! 今日の思い出に!!」
「……あんた必死ね」
本気で引くわよ、と桐生先輩が冷ややかに木戸を見る。
だがそれでもチラと店内を覗くあたり本気で嫌がっているわけではなさそうだ。それどころか「あの柄可愛いわね」と物色しだすのだから満更でも無いのかもしれない。
「月見さん、一緒に着ない? 二人なら恥ずかしくないわ」
「えっ、そんな……」
桐生先輩の誘いに月見が躊躇いの色を見せる。小さく「恥ずかしいし……」と俯いてしまうのは、着物を着て目立つことを心配しているのだろう。
宗佐絡みに関しては多少積極的になれているとはいえ、月見は元々が奥手で消極的な性格なのだ。いくら観光地と言えども着飾るのは気が引けるらしい。
そんな月見に対して桐生先輩がニヤリと笑った。それはそれは楽しそうで、悪戯気な笑み。この笑みを浮かべた桐生先輩には誰も敵うまい……と、俺は早々に月見の敗北を感じ取った。相手が悪い。
「それなら私一人だけ着ようかしら。後で芝浦君に写真を見せたら、きっと誉めてくれるわ」
「私も着ます!」
宗佐の名前が出るや、途端に月見が声をあげる。
その分かりやすさに桐生先輩が更に笑みを強めた。月見が奥手ゆえに一度は断る事も、それでいて嫉妬心で名乗りをあげる事も、全てお見通しだったのだろう。
つまり彼女の手のひらの上。してやったり微笑む美しさと言ったらない。
……まぁ、この展開で一番良い笑顔なのは言うまでもなく木戸なのだが。
そうして二人が貸衣装屋へと入っていくのを見届けて、俺と木戸は着付けが終わるまで時間を潰そうと近くにある喫茶店へと向かった。
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