第5話 老舗旅館『楠木荘』
宗佐に案内されながら辿り着いたのは、『
和を感じさせる作りは威厳があり、手入れのされた木々が更にそれを引き立てる。瓦屋根に木造の作りは古き良き建物といった外観で、それでいて古ぼけた印象や経年の劣化は一切漂わせていない。
ひと目で歴史を感じさせまさに一級の老舗旅館と言えるそこは、けっして高校生の旅行で来られる場所ではない。
「……おい宗佐、ここで合ってるのか?」
「毎年来てるんだから間違えるわけないだろ」
なに言ってるんだ、と宗佐が笑い飛ばし、そのまま旅館の入り口へと向かってしまう。厳かな旅館を前にしても臆さぬ足取り、景観を見もしないあたりに慣れを感じさせる。本人が言う通り、間違いでも無ければ冗談でも無さそうだ。
となれば俺達もそれに従うしかなく、誰もが困惑の表情を浮かべ、それでいて何を言って良いのか分からずに後を追った。
旅館の扉を潜り、そこに広がる格調高さに更に唖然としてしまう。
外観同様、内装も徹底された和風の作り。淡いオレンジの明かりが奥ゆかしさと落ち着きを感じさせ、木目調の床板や木の質感を全面に出した内装と合わさり、時代劇にでも出てきそうな程だ。
華美にならない程度に花や陶器が飾られており、とりわけ受付の近くに設けられた枯山水が目を引く。
その美しさに見惚れると同時に、場違いな気がしてどうにも緊張してしまう。周囲を見れば大人同士か、居ても家族連れ。高校生の集団は明らかに浮いている。
思わず唖然としていると、珊瑚と宗佐を呼ぶ声が聞こえてきた。
和服の女性が受け付け奥から顔を出し、嬉しそうに表情を綻ばせると小走りで駆け寄ってくる。年は五十歳あたりか、着物と結い上げた髪が凛々しさを感じさせ、きびきびとした動きが若く見える。
歩く姿も品が良く、いかにも女将と言った風貌の女性だ。
「珊瑚ちゃん、宗佐君、久しぶり。よく来てくれたわね。外は暑くなかった?」
「お久しぶりです、今日はお世話になります」
「……お久しぶりです」
改まった態度で宗佐が頭を下げる。妙に畏まった態度はどことなくぎこちなく――宗佐がここまで畏まった対応をしている姿を初めて見た――それに続く珊瑚も気後れしているように見える。
だが女性はそんな二人の様子に気付いていないのか「大きくなって」だの「学校はどう?」だのと矢継ぎ早に二人に話しかけていた。
そうしてふと俺達に気付くと、改めて頭を下げてきた。深いお辞儀。スッと佇まいを戻す仕草は優雅で、老いを感じさせぬ美しさがある。
「珊瑚ちゃんと宗佐君のお友達ね。来てくれてありがとう。なにもないところだけど、楽しんでいってね」
まるで親戚に接するかのような柔らかな態度に、俺達は口々に挨拶をすると慌てて頭を下げた。
どうにもこの展開に理解が追いつかない。
高校生の集団が場違いに思えるほどの老舗旅館、そこの女将を名乗る女性は珊瑚と宗佐との再会を喜んでいる。まさに親戚と言った親しげな振る舞いだか、それに返す二人のあの態度はどうだ。
片や親し気に、片や緊張を含んで。両者の態度の違いは分かりやすく、その差が明確な溝を感じさせる。
何かある。
いや、みんな薄々気付いているんだ。
だけどそれを確認することも、ましてや口にすることもできずにいた。
そうして案内された部屋と「こっちは宗佐君達ね」という言葉に俺と木戸が目を丸くさせた。
部屋は三人で泊まるには十分すぎるほどに広い。
床の間には立派な掛け軸と花が飾られ、それどころか広縁まであるではないか。どんな部屋だろうと布団を適当に敷いて雑魚寝でも良いと話していた俺と木戸は、あまりの部屋の豪華さに数度瞬きを繰り返したほどだ。
並のホテルの部屋とは比べものにならない。名のある老舗旅館の、それも一等良い部屋のはず。
更には、用意された二部屋の内こちらの方がグレードは低いらしく、女将さんが「女の子の部屋の方が景色が良くて綺麗なのよ」と笑った。
悪戯っぽく、楽しそうな笑み。「レディーファーストね」なんて、和に徹した老舗旅館の女将らしからぬ横文字で冗談めかして告げてくる。
その笑みも口調もどこか珊瑚に似ていて、俺は心の中で立てていた仮説が色濃いものに変わっていくのを感じていた。
「女の子の部屋も案内した方が良いかしら。それとも先に観光に行く?」
どちらが良いかしら、と誰にというわけでもなく尋ねられ、それに返したのは桐生先輩だった。
「この部屋で少し休んで、そのあと観光に行こうと思います」
「そうね、暗くなる前に色々と見てきた方が良いかも知れないわ。着物もレンタルできるのよ。ここいら一帯のお店とは提携してるから、受付の時にうちの名前を出してくれれば安くなるわ」
「はい、わざわざご丁寧にありがとうございます」
お世話になります、と改めて頭を下げる桐生先輩に女将さんが柔らかく微笑み、「ごゆっくり」と一言告げて去っていく。
そうしてパタンと扉が閉まり、今までの流れに圧倒されていた俺達はほぼ同時に深く息を吐いた。
ただの旅行ではない事は分かっていた。だがまさか旅館も部屋も予想以上のものが出てくるとは思ってもいなかった。
「あの」と珊瑚が小さく声をあげたのは、旅館の豪華さに気圧されつつもひとまず休むかと各々荷物を下ろし始めた時である。
今までろくに、それどころか駅に着くと一度として会話に入ってこなかった珊瑚の声に、誰もが自然と彼女に視線を向けた。
俯きがちに視線を泳がせる姿は、まったくもって彼女らしくない。
「私、少し席を外すので……。あの、観光行ってきてください」
しどろもどろに告げて、逃げるように珊瑚が部屋を出ていく。
まるで出て行った女将さんを追うような後ろ姿。俺達の視線は彼女を見届けると次いで宗佐へと向かった。
さすがに鈍感な宗佐でも、この注目の言わんとしていることは分かるだろう。気まずそうに、それでも言いたいことは分かると言いたげに肩を竦めた。
「……お茶でも飲もうか」
「私達が淹れるわ。月見さん、手伝ってくれる?」
「はい、お湯を沸かしますね」
桐生先輩が卓上に置かれた茶櫃から人数分の茶器を取り出せば、月見がポットを手に水場へと向かう。手際の良さを見せる女性陣達を横目に、一寸遅れた俺と木戸が人数分の座布団を用意する。
そんな中、宗佐はしばらくぼんやりとした後、深く息を吐いて一角に腰を下ろした。
そうして全員分のお茶が用意され、誰からともなく手をつける。
一口二口と飲み進めたあたりだろうか、宗佐がカタンと湯飲みを置くと、
「みんな気付いてるかもしれないけど、ここは……楠木荘は、珊瑚の産みの母親の実家なんだ」
と、誰に視線を向けるでもなく話し出した。
宗佐らしくない、低く、落ち着いた声。じっと扉を見つめるのは、女将を追って出ていった珊瑚の事を想っているのだろう。
その言葉に、俺は「あぁやっぱりそうか」と心の中で呟いた。
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