第17話 静かな庭園の緊急事態

 



「宗にぃ、お墓参りに来た事がないって言ってました?」


 珊瑚に問われ、俺はゆっくりと首を横に振った。

 宗佐はその事には触れていなかった。だけど……、


「でも、なんとなく話し方でそうなのかとは思ってた。霊園について人伝に聞いたみたいに話してたから」

「そうだったんですね……。宗にぃが来ないのは、私が断ってるからなんです。宗にぃもお母さんも私のこと心配してくれてるのに、必ず『一緒に行こうか』って聞いてくれるのに……。それでも私はいつも断るんです……」


 心配そうに同行を申し出てくる彼等に対し、どうしても頷くことが出来ないのだという。

 それでもまだ祖母と二人の時は良い。宗佐もおばさんも墓参りの後に休憩することを知り、「二人でゆっくりしてきて」と見送るのだという。


 だけど、命日という今日は違う。

 祖母も来られず、父親も帰国出来ず、墓参りに来るのは珊瑚一人だけだ。


 そのうえ数日前から見て分かるほどに珊瑚が気落ちしているとなれば、見送るしかない宗佐とおばさんの胸中はどれだけ複雑だろうか。携帯電話を握りしめて連絡を待つ宗佐の姿が浮かぶ。

 だがそれを珊瑚が考えないわけがない。考え、注がれる視線や声から察して、それでも一人で家を出るのだ。


「酷いですよね、私。今日だって宗にぃが健吾先輩に頼むほど心配してるって分かって……それでも、やっぱり駄目なんです」


 項垂れるように俯いたまま、珊瑚が深く溜息を吐いた。


「お母さんのお墓参りに、今のお母さんと宗にぃと行くことが、酷い事をしてるように思えてならない」

「酷い事って……」

「お母さんは私が小さい頃に死んじゃって、だから、あんまりお母さんの事を覚えてないんです。でも今のお母さんとは色んなところに行って、思い出もあって……。それが、毎年この日が近付くと、なんだか産んでくれたお母さんを裏切ってるような気がするんです」

「裏切るって、そんなわけないだろ」

「私も誰か別の人が同じことを言ったら『そんな事ない』って答えると思います。……でも、やっぱり、分かっていても思っちゃうんです」


 眉尻を下げ、困ったように珊瑚が笑った。「どうしようもないですね」という彼女の言葉は自虐的で、自分自身を嘲るような色さえある。

 声は細く漏らされる溜息は深い。空になったカップを持つ手に僅かに力が入ったのが見えた。己の中で矛盾が湧き、もどかしく感じているのだろう。


 そんな彼女に対し、俺は何と言ってやれば良いのだろうか。


 敷島家は順風満帆で、母さんも父さんも健在。親族も皆健康そのもので、大往生こそあれども若くして不幸に見舞われたは居ない。

 幼くして母親を亡くし、そして今の母親を受け入れて生きている珊瑚に対し、「気持ちは分かる」なんて言えるわけがない。


「お墓の前で今のお母さんを『お母さん』って呼ぶのがどうしても出来ないんです……。産んでくれたお母さんを傷つけるみたいで……。でもそれを嫌がる事も、心配されてるって分かって一人で来ることも、お母さんと宗にぃを裏切ってるような気がして……」



 何をしても、どうしても、罪悪感が募っていく。



 震える声で話し、珊瑚が深く息を吐いた。手の甲で目元を拭うのは泣いているからだろうか。

 慌てて鞄からハンカチを探すも、その動きで察したのか顔を上げて「大丈夫ですよ」と力なく笑った。泣いてはいないようだが苦しそうな表情だ。今すぐに泣きだしてもおかしくない。

 なにが大丈夫なのか。俺にはちっとも大丈夫そうには見えないのに。


「そんなにしょっちゅう泣いたりしません」

「そ、そうか……」


 慌ててしまった事が少し恥ずかしく咳払いで誤魔化せば、珊瑚が小さく笑った。

 だがすぐさま再び視線を落としてしまう。深く溜息を吐き、暑いのか手の甲で頬を拭った。その手の動きすらも弱々しい。


「すみません、変な話しちゃって……」

「いや、良いんだ。話して少しでも気が楽になるなら、好きなだけ話してくれ」

「ありがとうございます」


 申し訳なさそうに珊瑚が笑う。だがこれ以上この話を続ける気は無いのか、深く息を吐くと他所へと視線を向けてしまった。


 それを最後に、会話が途絶える。


 セミの鳴き声が響き、時折、商業施設のアナウンスや音楽が風にのって聞こえてくる。

 美術館で何か開催されているのか、親ぐらいの女性達が数グループ、あれが良かったこれが素敵だったと楽しそうに話しながら俺達の前を通り過ぎていった。彼女達の目に俺達はどう映るだろうか。そんな事を考えつつ、目の前で穏やかに過ごす人達を眺める。

 俺と珊瑚だけを避けるように、夏らしい活気が溢れている。



 何か言わなくては。

 だけど何を言えば良い?

 相変わらず上手い言葉が出ず、そして上手い言葉の一つも思い浮かばない自分に苛立ちすら覚えそうだ。



 そんなもどかしさを抱いてしばらく経っただろうか。

 隣で沈黙を保っていた珊瑚がトンと俺にもたれかかってきた。



「えっ……」


 と思わず声をあげてしまう。


 触れるだけではなく体重を預けており、しっかりと感じる重さにドキリとしてしまう。

 だが『重い』と感じる程ではなく、さりとて触れているだけとは言い難い。


「い、妹。どうした……?」


 動いて良いのか躊躇われ、硬直したまま首だけ動かして珊瑚へと視線をやる。

 彼女は俺にもたれかかったまま顔を伏せており、もう一度呼んでも返事をしない。

 手にしていたカップが落ちかけている。持つというよりは手に掛かっているに近く、今にも滑り落としそうで随分と危なっかしい。だがそれを気に掛ける様子もない。


 眠っているのだろうか?

 念のためにもう一度呼べば、「ん……」と小さく声を漏らした。


「眠いのか? それならせめてもう少し涼しい所に行った方が」

「眠くは、ないです……。ちょっと、暑くてぼーっとして……それで……」


 くらくらする、と珊瑚が力なく呟いた。

 その声は相変わらず弱々しいが、先程のような切なさは無く、その代わりにぼんやりとした印象を受ける。呼吸も浅く、俺にもたれかかっている自覚も無かったのか、はたと気付くと身を起こそうとし……また力なく俺に身を寄せた。

 体を起こしていられないのだろう。手にしていたカップがするりと滑って地面に落ち、中に入っていた溶けかけの氷が地面に広がるが、それすらも気付いていない。


 その様子はまるで……。

 いや、まるでではない、これは確実に……。



 熱中症だ。



「お、おい、大丈夫か!?」

「大丈夫、です……。少しぼーっとして、なんだかだるくて……くらくらするだけです」

「それは大丈夫じゃないだろ!」


 珊瑚が「大丈夫」と訴える症状は、誰がどう聞いたって大丈夫ではないと分かる。見れば顔色も悪く、目を開けてこちらを見ているがそれすらも虚ろだ。


「こういう時どうすればいいんだ…!? とりあえず涼しいところに、でもどこに行けば横になれる……!? 救急車か!」


 珊瑚の体を抱きとめるように支えつつ、立ち上がるにも立ち上がれず慌てふためく。

 救急車を呼ぶべきか。だが救急車を待っている間にさらに悪化するかもしれない。となれば涼しい場所に移動させることを優先すべきか。だがどこが良い!?

 あぁ、なんて情けない……。だが今は己の情けなさを実感している場合ではない。


 そんな混乱の最中、「あらぁ、どうしたの?」と声が聞こえてきた。

 美術館帰りらしき中年女性が三人、こちらに足早に駆け寄るとしゃがみこんで珊瑚の顔を覗き込んだ。


「具合悪いの? 顔色が悪いから熱中症かしら」

「そ、そうみたいです。ぼーっとして、あと眩暈もするみたいで」

「あら大変。どっかで休まないと。そうだ、美術館に救護室があったから、そこで横になった方が良いわ」

「救護室……! 妹、そこまで行けるか?」


 美術館の救護室となれば、涼しく横にもなれるし、看護師もいるだろう。

 そこに移動しようと提案すれば、珊瑚がゆっくりと顔を上げた。

 浅い呼吸、顔色もどこか白んでいて、ぼんやりとした声で「美術館……?」と聞き返してきた。


「あぁ、そこで休もう。歩けるか?」

「歩けます、けど……。まだ少し立ちたくないです」

「それは歩けないって言うんだ」

「ここでちょっと休めば大丈夫です……。健吾先輩は、心配しすぎです……」


 心配性、と言い捨てて珊瑚が再び俺にもたれかかってくる。

 おばさんグループは珊瑚に声を掛けたり扇子で扇いでやったりとしており、そのうちの一人に至っては救護室が空いているか確認してくると美術館へと戻っていった。

 そんな中で俺一人のんびりしているわけにはいかない。


「妹、悪いけど体触るから。あまり揺らさないようにするし、あと絶対に宗佐には言わないでくれ。確実に殺される」

「……健吾先輩?」


 何をするんです? と珊瑚が俺を見上げてきた。だが顔を上げるのもやっとと言いたげだ。

 それに対して俺は「持ち上げる」とだけ答え、彼女がバランスを崩して倒れないよう支えつつ立ち上がった。

 背を片腕に回し、もう片方を足元へと伸ばす。膝の裏を腕で支え、「いくぞ」と声を掛けると同時に一気に持ち上げた。


 所謂『お姫様抱っこ』というものだ。だが今は恥ずかしがっている場合ではない。もちろん、聞こえてきたおばさん達の「あらー」という高い声も聞き流しておく。

 珊瑚がきょとんと眼を丸くさせているが、熱中症でぼんやりとしているからか、それとも突然の事に理解が追い付いていないのか、拒否したり抵抗する様子はない。


 ならばと俺は珊瑚を抱きかかえたまま、美術館の方へと足早に歩き出した。




「やだ、お兄ちゃん、鞄忘れてるわよ! 鞄!」


 と、おばさん達が俺の鞄を片手に追いかけくる。

 やっぱり今一つ様にならない……。




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