第23話 決戦の日

 

 校舎裏でのやりとりから数日後。いつも通り早めに登校し束の間の休息を堪能してしばらく、そろそろクラスメイトが教室に集まりだしたころ、宗佐が教室に入ってきた。

 相変わらず能天気にクラスメイトと挨拶をしているが、これに腹を立てるのはさすがに非情だろう。

 宗佐は何も知らないのだ。むしろ珊瑚が教えるまいとし、あのやりとりの後も「宗にぃには何も言わないでください」と念を押してきた。


 その時の珊瑚の言葉が脳裏に蘇る。


『宗にぃは隠し事が出来なくて、いつも顔に出ちゃうんです。ネクタイを囮にするなんて知ったら、きっと大袈裟に騒いで怪しまれちゃいます』


 彼女はそう言っていた

 それを聞き、俺はなるほどと納得すると同時に、今回の事は秘密裏に進めようと話したのだ。

 だけどもしかして、今まで幾度とこうやって珊瑚は宗佐絡みの嫌がらせや困難に合い、それを宗佐には言えずにいたのだろうか。

 捨てられたネクタイを見た時、珊瑚は驚くでも嘆くでもなく、淡々と状況を判断して話していた。思い返せば、彼女の分析はまるで前例があったかのようではないか。


 あの時それに気付いていれば、もっと気の利いた言葉を掛けてやれたのに……。


 ちなみにその事に俺が気付いたのは、家に帰り、夕飯を済ませ、風呂に入っている最中である。

 我ながら遅いと思う。

 自分は物事に疎いとは自覚していたが、まさかここまでとは思わなかった。あの時の自己嫌悪と言ったらない。二十秒ほど湯船に沈んだ。


「宗佐の事を日頃から馬鹿だの鈍いだのと思っていたけど、俺もひとの事を言えないな」

「よく分からないけど、なんで俺は登校早々に馬鹿だの鈍いだの言われてるんだ」

「お互いもっと余裕のある大人にならないとな。なぁ宗佐」

「わけ分からないうえに成長材料にされた」


 俺の言葉に宗佐が眉を顰めて不満そうに返す。

 それを何とか宥めて誤魔化し、次いで俺は窓の外へと視線を向けた。

 そこに居るのはもちろん珊瑚だ。いつも通り窓辺に陣取り、俺と宗佐を交互に見るとわざとらしく考え込んだ。


「六対四で宗にぃの方が鈍感ですかね」

「そこまでか? もう少し宗佐に比率がいくだろ」

「でしたら七対三でどうでしょう」

「ふむ、悪くないな」


 そんな事を珊瑚と話せば、宗佐が更に不満そうな表情になった。

 だが月見に話しかけられるや途端に表情を緩めてしまう。だらしないその顔は、『朝から話が出来て嬉しい』とでかでかと書いてあるようなものだ。なんて締まりがないのか。

 頬を染めて話す月見と合わさって、見ているこちらがもどかしい気分になる。

 そのうえ、月見がおずおずとだが手作りの菓子を差し出してくるのだ。それを見た宗佐の嬉しそうな事と言ったらなく、同時にBGMこと呪詛が囁かれ始める。


 そんな相変わらずな中、宗佐が「そういえば」と呟いて鞄を漁った。

 取り出したのは……目新しいネクタイ。それを得意げに高々と掲げた。

 ひらりと揺れる裾には『S・S』の刺繍がされている。


「昨日の帰りに先生に渡されたんだ。どうだこの新品の輝き!」


 たかがネクタイ、されど新品のネクタイ。

 自慢げに話す宗佐に、俺と月見がおもわず拍手を送る。


「よかったね、芝浦君。……でも、無くなったネクタイはまだ見つからないんだよね」


 どこにいったんだろう、と不思議そうに話す月見に、宗佐が頷いて返す。

 俺が持っているんだけど……とは流石に言えず、俺は話に加わるのも躊躇われて窓辺へと視線をやった。

 珊瑚がいつも通り窓辺に陣取っており、彼女の胸元には今日もネクタイがある。


「やっぱり新品が手に入ったら自慢したな」

「宗にぃのわかりやすさは世界一ですね」

「……それで、どうするんだ?」


 少しばかり声を潜めてどうするのかと尋ねれば、冗談で返していた珊瑚が真剣な表情を浮かべた。

 今彼女が着けている、宗佐から貰った二本目のネクタイ。これを囮にして、一本目のネクタイと、月見の鍵を捨てた犯人を見つけ出す。

 その決行が、宗佐が新品のネクタイを入手してからだ。つまり今日である。


 だがネクタイを囮にするには、当然だが珊瑚がネクタイを外してその場を離れる必要がある。それも周囲の目がある場所では、向こうも行動に移せないだろう。

 かといって不必要にネクタイを外せば怪しまれかねない。

 さり気無く、当然の流れで、ネクタイを外して教室に置き去りにするにはどうするか……。


「理想を言えば体育の授業だな。ジャージに着替えて移動すればネクタイは教室に置き去り、なおかつ教室に人もいなくなる。盗るには最適だろ。今日は体育の授業はあるのか?」

「残念ながらありません」


 珊瑚がふるふると首を横に振る。

 今日は移動教室すら無いらしく、となるとネクタイを外す機会もない。

 ならばどうするかと俺が悩んでいると、珊瑚が得意気な表情で俺を見てきた。ふふんと鼻で笑いかねないほどの表情で、なんとも小生意気だ。


「……なんだよ、その顔」

「体育の授業はありませんが、今日は決行するには最適な日ですよ」

「何かあるのか?」

「放課後にベルマーク部の活動があるんです!」


 ドヤァと珊瑚が胸を張って宣言する。

 また出たベルマーク部……と俺が心の中で呟いたのは言うまでもない。

 どうしてちょいちょい出てくるんだベルマーク部は。あとやっぱり本入部していたのか。


「で、雑用部は何をするんだ?」

「ベルマーク部です! 放課後ベルマーク部は野球部の備品磨きを手伝うんです!」


 曰く、放課後に一度部室に集まり、着替えて野球部の手伝いに向かうという。

 活動の最中、着替えた制服はベルマーク部の部室に置きっぱなしになる。そのうえ部室には人がいなくなるというのだから、珊瑚のネクタイを盗み出したい奴からしてみれば絶好の機会だろう。

 珊瑚もこれぞ好機と考えたのか、朝から宗佐にその話をすることで周囲にアピールをしていたという。放課後まで全力で言いふらすと意気込んでいる。


「よし、それなら勝負は放課後だな。俺は部室近くで待機してるから、妹はひとまず部活の奴等と一緒に野球部に行ってくれ。その後に頃合いを見て部室に戻って見張ろう」


 手筈を告げれば、珊瑚が真剣な顔つきで頷いて返してきた。

 些か強張った表情で胸元のネクタイをぎゅっと握るのは、自分で言い出したことながらに緊張しているのだろう。宗佐絡みとはいえ、自分を敵視している者と対峙するのだ、緊張しないわけがない。

 とりわけ珊瑚は一年生女子なのだから、犯人候補は同学年か年上しかいない。不安もわくはずだ。


 もしかして、日頃は小生意気なこいつも心細いと感じるのだろうか。


「……そ、その、なんだ」

「どうしました?」

「いや、別に……。だけどまぁ、うまくいくだろ。俺がいるんだから心配するな」


 断言すれば、珊瑚がきょとんと目を丸くさせ、そのままじっと俺を見つめてきた。

 普段通り茶化して返してくるか、それとも多少なり感謝してくれるだろうか。


 ……と、何らかの反応を期待したのだが、いくら待てども何も言ってこない。


 あれ、もしかして俺、結構恥ずかしい感じに滑っただろうか。

 考えてみれば『俺がいるんだから心配するな』と断言したは良いが、そこには根拠も何もない。

 むしろ俺は捨てられたネクタイを見つけただけで、犯人の動機を分析したのは珊瑚だし、犯人を捕まえるための算段だって彼女が立てている。


「……頼む、沈黙はやめてくれ。せめて『健吾先輩がいたって不安が増すだけです』ぐらい言ってくれ」


 いっそそっちの方が俺も対処のしようがある。

 そう項垂れつつ訴えれば――時間が経つごとに自分の発言への恥ずかしさが増して、顔を上げていられない――珊瑚がクスクスと笑いだした。


「そんなこと言いませんよ。ただ、肩入れしないって言ってた割には協力してくれるんだなと思って」

「そりゃ、肩入れとこの件は別だろ」

「ですね。それじゃ頼りにしてますよ、先輩」


 楽しげに笑い、珊瑚がパタパタと駆けていく。

 その背中を見届け、俺は深く息を吐いた。己の発言に今更ながら恥ずかしさが湧いてくる。

 もっと上手い言い回しがあっただろうに……と後悔もあるが、少なくとも去り際の珊瑚の表情に不安そうな色は無かった。それどころか「頼りにしてます」という彼女の声も明るかった。

 我ながら不器用だとは思うが、不器用なりには励ますことは出来ただろう。ギリギリ及第点といったところか。


「俺にしては上手く言えた方、という事にしておこうか。……さて」


 珊瑚が去っていった先を見つめて一息吐き、視線を教室へと戻す。

 そこには、


「月見さん、この間のクッキーも美味しかったけど、今日のマフィンも凄く美味しいよ!」

「本当? 嬉しい! 芝浦君、美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるの」


 いつの間にやら月見手製のマフィンを食べている宗佐と、それを嬉しそうに見守る月見。もちろんBGMは男達の嫉妬の呪詛だ。

 はたしてこの状況は、『よく呪詛をBGMに甘酸っぱい空間を維持できるものだ』と感心すべきか、はたまた『よく甘酸っぱい空間を前に心折れず呪詛を続けられるものだ』と感心すべきか。

 どちらか……と僅かに考え、俺はさっさと意識を切り替えて授業の準備に取り掛かった。どちらも感心する気にならない。

 馬鹿馬鹿しい、放っておくのが得策だ。


 なにより今は放課後についで考えねばならないのだ。

 宗佐に感づかれないよう、放課後になったらすぐにベルマーク部の部室へ向かおう。


 ベルマーク部の部室へ……。

 ベルマーク部の……。



「どこだよ、ベルマーク部の部室……」



 聞くの忘れた、と己の失態に気付いて頭を抱えれば、宗佐と月見が揃えてこちらを向いて不思議そうに首を傾げた。


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