Dragons' Heaven-05


 ヴィセ達はラヴァニの指示通り、遊園地の方角へと走り出した。重い鞍も軽々と背負い、息切れもなく全速力で通りを駆け抜けていく。


「あ、ラヴァニ!」


 ヴィセ達の頭上を巨大な影が通り過ぎた。まだ起きている者が少ない時間だからか、目撃して騒ぐ者もいない。


「……まさか壁をぶち破って逃げてきたりしてねえよな」


「そしたらあのおばさんに怒られる?」


「怒られるだけで済むと思うか?」


 開園前で静まり返った遊園地の入場ゲートを横目に、ヴィセ達は申し訳程度の広さしかない林へと駆け込んだ。遊園地の裏手で建物もなく、追っ手を撒くにはちょうどいい場所だ。


 ≪こちらだ≫


 林を抜けた先は切り立った崖になっていた。ラヴァニはそこで待っていた。はるか下方に岩肌が剥き出しになった斜面があり、そのすぐ先は海だ。


 朝日が低い位置から海面を照らし、まるで宝石のように輝いている。シードラは首を限界まで伸ばし、短く吠えた。


 ≪ああ、海だ! この景色をどれほど待ちわびていたか! 霧は晴れたんだね≫


「……海の上だけは、ね。もうすぐ帰れるさ。さあ、ラヴァニ」


 ≪ああ、早く鞍を取りつけろ。我が追っ手を撒いた意味がなくなってしまう≫


「意味?」


 ヴィセとバロンが手分けして鞍を取り付け、ラヴァニはいつでも飛べると言って急がせる。バロンがシードラをしっかりと抱いたところで、シードラはようやくこれから何が始まるのか理解した。


 ≪も……もしかして、飛ぶのかい?≫


「もちろん」


「え、ええ……?」


 シードラが躊躇う間にも、ラヴァニは大きな翼を数回羽ばたかせ、崖の際に立つ。足元で土くれが崩れて落ちていくのを見て、シードラは声に出して悲鳴を上げた。


 ≪行くぞ≫


「大丈夫だよ、怖くないもん」


 バロンがシードラの頭を2度優しく撫でた直後、ラヴァニが勢い良く地面を蹴った。突如訪れた浮遊感に、シードラは恐怖のあまり固まってしまう。


 が、それはヴィセとバロンも同じだった。


「おわぁぁぁぁ!」


「ぎゃああああ!」


 ラヴァニは確かに空中へと足を踏み出した。が、羽ばたかない。落下よりも速く滑空し、斜面にぶつかるすれすれでようやく羽ばたきを始めた。


 衝撃でヴィセとバロンの体が思いきり前傾姿勢となり、シードラは小さく「ぐえぇ」と声を漏らす。バロンの尻尾の毛は、風船のように丸く広がっている。


「ご、ごめん怖かった、怖くないのうそ、大丈夫じゃなかった」


「し、心臓が止まるかと思った」


 ≪すまぬ、伝えておけば良かったか。我には当たり前である故に、加減が分からぬのだ≫


「い、今の、は、だめなやつ!」


 ≪心得た、以後少し速度を落そう≫


 ラヴァニは少しゆっくりを心掛け、ジュミナス・ブロヴニクへと進路を変えた。左手には水平線まで何もない大海原が広がり、右手にはつづら折りの形を取る坂道が見える。


「なんでこんなに急いだんだ? どうせ誰も追いつけはしない」


 ≪我だけならばそれでいい。だがヴィセ達は困るであろう≫


「困る?」


 ≪我はあやつの家から逃げたのだ。もし謀ったと思われたなら≫


 ラヴァニは夜明けまで転寝をしながら待ち、朝になるタイミングで窓を割って抜け出すつもりだった。まさか家政婦が夜明け前からやって来るとは思っていなかったが、それでも計画には何ら支障はなかった。


 だが、計画よりも早くデューイが起きてしまった。デューイは右手に飴玉を持ち、左手にはクッキーを持ち、餌だと言って無理矢理ラヴァニの口に押し込もうとしたのだ。


 転寝していたラヴァニは咄嗟の事に驚き、気分を害し、デューイが押し付けてきた菓子を跳ねのけた。


 元々ラヴァニはビヨルカとデューイを嫌っている。流石に炎は吐かないまでも、牙を剥き出しにして怒りを表し、攻撃の意思を見せつけた。


 ≪我はあの子供の嫌がらせに耐えかねたと見せかけ、バロンに合図を送ったのだ≫


「それで、デカくなって……?」


 ≪壁を破って外に逃れた≫


「やっぱりあの音は……もう二度とミデレニスク地区には行けないな」


 今頃、ビヨルカの家は大騒ぎになっているだろう。庭に面した壁に大きな穴が開き、衝撃で廊下と部屋に飾られた絵画や花瓶は落下。


 ヒステリックに叫ぶ母親と、そんな母親の気持ちを察する事もなくドラゴンを捕まえろと騒ぐ少年。周りの者はきっと心配する素振りをみせながら、内心はざまあみろと思っているだろう。


 ラヴァニがその時の様子をヴィセ達の脳内に伝えると、ヴィセの口からはため息が漏れた。


「光景を見せてもらったよ。これは確かに一緒に逃げるところを見られない方がいいな」


 ≪だから空高く飛ばず、すぐに下降したのだ≫


「ラヴァニすごーい! あいつら嫌い、生き物に失礼だもん」


 ≪おれもそうやって一泡吹かせてやりたかった! でも、逃げ出せても海にはたどり着けなかったね。やっぱり君達が来てくれてよかった、有難う≫


 シードラは少しの間だけ崖の道を見つめた後、ずっと海へと顔を向けていた。シードラにとっては、およそ150年ぶりの海だ。


 ≪懐かしい匂いだ。海中で過ごしていた時は、海に匂いがあるなんて思った事もなかったのに≫


「独特な匂いだけど、俺も海の匂いが好きだ。君の故郷は素敵な所だな」


 ≪うん。ああ、仲間は霧のせいで苦しんでいないだろうか≫


「大丈夫だと思う。海に生きる生物は無事だと聞いているよ」


「今度は、本当の大丈夫だから安心していいよ! 絶対仲間が待ってる」


 バロンはようやく落ち着いた尻尾をパタパタと動かし、シードラと共に眼下を眺める。やがて懐かしいブロヴニクの街並みが見え、ラヴァニは砂浜へと降り立った。


 バロンがシードラをゆっくりと浜に下ろすと、シードラは嬉しそうに湿った砂浜を前足のヒレで叩く。


 ≪そうだよ、この感じだよ! 信じられない、おれは帰って来たんだ!≫


 シードラは押し寄せる波にゆっくりと近づき、冷たい海水を体中に浴びる。少しの間泳いでは顔を出し、砂浜で寝転んで砂まみれになり、何度も信じられないと呟く。


「誰かシードラの仲間を見かけていないかな」


「みんな何も言ってなかったよね」


 ≪我らが海上を飛んでいた時も、それらしき姿は見かけなかったな。この海域ではないのだろうか≫


 シードラが海に帰れた事は喜ぶべき事だ。シードラは浮遊鉱石が眠る海底の場所も知っている。問題はシードラの体の大きさでは、浮遊鉱石を掘り起こせないという事だ。


 シードラの仲間を見つけない限り、そこにあると分かっていても採掘は難しい。もし機械を考案し、実際に試すことが出来たとして、それが一体何年後になるか分からない。


 ≪おれ達は音や気配を察知したらすぐに隠れるからね。特に人が海に出るのは狩りのためである事が多いし≫


「じゃあ普段はどうしているんだ? 常に泳いでいるのか?」


 ≪海の中には空気が湧きだす洞窟なんかもあるんだよ。そこを棲み処にしているんだ≫


「おうちの場所、分かる?」


 ≪ああ、分かるとも。この浜の形も見覚えがある≫


 シードラは仲間が恋しいのか、帰る方角をしきりに気にする。だがヴィセ達に恩があるからか、裏切って帰る気はないようだ。


 ヴィセ達もシードラの気持ちは分かっていた。浮遊鉱石の事がなければ、恩など気にせず早く帰れと言っただろう。ヴィセは少しの間悩み、シードラに1つ願い出た。


「頼みがある。仲間に、俺達の計画を伝えてくれないかい」


 ≪例の石の事だね? お安い御用さ! 掘り出して、地上の浄化に使いたいんだったね≫


「ああ。陸地の殆どを覆っている霧を消したい」


 ≪じゃあおれを信じて、待っていてくれないかい。必ず仲間を連れて戻って来るから≫


「信じているよ。俺は君の事を仲間だと思ってる」


「1匹で大丈夫? 大きな動物とか魚とかに食べられない?」


 ≪おれ達より速く泳げる生き物なんていないさ。速さ比べならラヴァニさんにも負けないね! じゃあ、次の次の朝日が訪れる時間に、この浜で!≫

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