Advent-04



 ヴィセの視線の先にある濃い霧がふっと揺れた。雨は止む気配がなく、足元は水浸しだ。泥は生存者を生き埋めにし、呼吸を奪ってしまう。早く救出してやりたいが、手が足りない。


「バロン! 2人を守れよ!」


 ヴィセがそう叫んだ瞬間、黒い影が複数向かってきた。狼のような黒い化け物、猪のような化け物、10体以上いて数えられない。


「まずは!」


 ヴィセは狙いを定め、狼の化け物から倒していく。1発は眉間に、もう1発は口のど真ん中に。3発目は化け物の足元に沈んだが、4発目は右前足を撃ち抜いた。


「ヴィセ!」


「なんだ!」


「俺、あの豚の大きいの倒す!」


「猪っていうんだ! 倒すって、どうや……って」


 バロンはヒュズにキャロル人形をしっかり握らせ、自らは化け物に駆けていく。左手の鉤爪を鋭く掲げ、化け物に向かって思いきり振り下ろした。


「ブギィィ!」


「おおぉぉりゃぁ!」


 バロンが化け物の顔面を切り裂くと同時に、細いバロンの体が弾き飛ばされる。泥の山に背中を打ち、尻尾の先が地面を2度激しく叩く。


「お、おい! 大丈夫か!」


「痛い! けど平気!」


 バロンは顔の泥を拭い取りつつ、片目を潰された猪の化け物を睨みつけている。牙は避けたようだ。


 バロンは幾分マシになったものの、まだまだ細い。だがドラゴン化している間、その打たれ強さもドラゴン並みになっていた。


「あいつ……」


 バロンは動じることなく化け物に向かっていく。その気迫、あふれ出すドラゴンの力に化け物は怖気づき、近づいてこなくなった。


「バロン、あまり前に出るな! ……バロンを見習って俺も自分の腕で戦うか」


 銃弾がカラになり、ヴィセも狼の化け物に向かっていく。どこか狩りを楽しむような気持ちを自覚しつつ、鉤爪で突き刺し、切り裂き、その数を減らす。


 肉を切り裂かれる音は雨音にかき消され、ただ化け物の咆哮だけが響く。


 辺りには化け物の死骸が大量に転がり、気付けば生き残った化け物は逃げ去っていた。


「……ハァ、なんとかなったぞ。バロン、救出だ!」


「うん!」


 ヴィセとバロンはまた音を探し当て、崩れた家の屋根をはぐり、泥を掻き分け、生存者を救出していく。生存者は皆が一様に驚き、恐怖したものの、ヴィセ達は動じなかった。


「ラヴァニ! とりあえず1人だ!」


 ≪雲の切れ間が現れた。もうじき雨が上がるぞ≫


「良かった。さあ、行ってくれ」


 結局、救出できた生存者は11人だった。ドラゴン化したバロンの耳は、小さな物音も聞き逃さない。雨が弱まって音を聞き取りやすくなった後、1人の男性を救出したが、その後はもう何の音も聞こえなかった。


「21人、だったよな」


 子供を失った夫婦、あるいは愛する者を失った男性。両親が生き埋めになっていると泣き叫ぶ女性に、早く助けてくれと縋りつかれた事もあった。


 崖崩れの現場の脇には、6人の遺体が横たわっている。窒息か衝撃で亡くなったかは分からないが、力を失った者を掘り出した時の無念は計り知れない。


「バロン、一度上に戻ろう。捜索を始めて2時間経つ」


「もう……生きてる人いないのかな」


「そのようだ」


 情報ではまだ4人が埋まったままだ。しかしこれ以上はもう若者2人の手掘りでは難しい。いったん諦め、行方不明者が何人いるのかを確かめる必要があった。


 ラヴァニが戻って来ると、亡くなった者を鞍に2人ずつ乗せていく。その間、ヴィセ達は何を話す訳でもなくずっと無言だった。


 今まで多くの死者を見て来た。


 ヴィセは約4年前、村の死者を全員墓に埋葬した。炎に焼かれた者、撃たれたり殴られたりして絶命した者、その姿は想像を絶するものだ。彼はそれをたった1人でこなし、涙も枯れ果てた。


 けれど、バロンは亡くなった者に触れた事がない。バロンはしばらく耐えていたが、生存者が運ばれていった途端に胃の中の全てを吐き戻した。


「バロン、よくやった。こんな状況で耐えられる事を強いとは言わないよ」


「うん」


 ヴィセがコートの前をはぐって汚れていない部分を見せると、バロンがしがみ付く。怖いと言われ、化け物と言われても耐えていたが、それは平気になったからではない。ただ、助ける事が最優先だったに過ぎない。


 助けられる者がいなくなった後、2人には悲しみだけが残される。それは助けられなかった悲しみだけでなく、自分達に投げつけられた言葉の数々も影響していた。


「お前にはツラい事をさせてしまった。みんなを助けたいと思っていたけど、残酷な現実を突きつけただけなのかも」


「グスッ……ヴィセにも、ツラいこと」


「うん、そうだな、ツラいよ」


「ヴィセがするなら、俺もする。ヴィセだけ頑張る事じゃないよ」


 バロンは自らが落ち込んだ時も、ヴィセへの気遣いを忘れない。ヴィセはキャロルを引き合いに出そうかとも思ったが、言葉を飲み込んだ。


 キャロルは強い、キャロルならどうする、そんな事を言ってしまえば、バロンは気持ちに逆らってでも頑張らなくてはならなくなる。励ましどころか逆効果であり、あまりにも酷だ。


「バロン、有難うな」


「うん」


 最後の亡骸を運び終えたところで、上から石が幾つか転がって来た。


「また崖が崩れるかもしれない」


「あ、音がする!」


「うわっ、あぶねっ!」


 少し距離を取った後、案の定その場には少量の土砂が落ちてきた。もしまだ生存者がいたならと考えたが、これ以上の捜索はヴィセ達の命まで奪いかねない。


 ≪ヴィセ、バロン。上の者達がこれ以上は危ないと騒いでおる≫


「ああ、分かった」


 幾度も往復してくれたラヴァニを労い、ヴィセとバロンもその場を去る。


「俺達、みんなを助けられたよね」


「出来る限りの事はやったよ、お疲れ様」





 * * * * * * * * *





 ヴィセ達が町に戻ると、心配していた者が駆け寄って来た。救出されていた者によっておおよそは聞いていたのだろう。


「行方が分からない者があと2人いるんだ、何とかならないか」


「1人暮らしのお爺ちゃんと、角で野菜を売ってたおばさんがいないって……」


「……」


 残り4人ではなく2人だと聞いても、ホッとする事は出来なかった。そもそもがけ崩れの現場から人を救出するのは容易ではない。雨は止んだと言ってもぬかるみは酷く、毒霧の中で視界も悪い。


 ヴィセとバロンは険しい顔をして俯く。


「助けてくれるって、言ったじゃない」


 1人の女性が声を荒げ、周囲の者が慌てて静止する。救えなかった無念を誰よりも感じているのはヴィセ達だ。殆どの者はそれを理解している。


「……あの状況を見に行ってみますか。息絶えた犠牲者を……抱え上げた時の重み、分かりますか」


 ヴィセが悔しくなりボソリと呟く。それと同時に追い打ちを掛けるような発言が耳に入ってしまった。


「おいやめろ、あいつらドラゴンに変身する化け物だぞ」


「あの鋭い爪で切り裂かれたら……」


 それはヴィセ達を貶める発言ではなく、女性を止めるために咄嗟に出た言葉だった。ただ、ヴィセ達にはもうその思いを汲めるような余裕はなかった。ヴィセはつい心の中にしまっていた憤りがあふれだす。


「じゃあ、あんたも来いよ! 心配している素振りだけいっちょ前で、何かやった気になって、どんな状態かも……知らないくせに」


 ヴィセの怒りがドラゴン化を促し、その腕や顔に赤黒い鱗が現れ始める。周囲の者が思わず悲鳴を上げて距離を取り、抗議した女性や諫めた者達は顔が真っ青だ。


「全員助けられるなら助けたかった。全員生きてここに帰してやりたかった」


 バロンはヴィセの怒りに引きずられながら、それでもヴィセにしがみ付いて宥めようとする。そんなバロンに1人の少年が駆け寄って来た。


「こ、これ、有難う……」


 駆け寄って来たのは救助したヒュズだ。彼の手にはバロンが渡したキャロル人形が握られていた。

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