Levitation Stone 05



 強引に温かい夕飯を用意した後は、2人と1匹でゆっくりと味わう。


 清潔感や見た目などは不合格でも、やはり冷えた飯よりも温かい方がいい。心まで温かくなってくる。


「やっぱり美味しいねー! 俺、温かいお米だいすき!」


「焼かなくても、温めるだけで違うよな。ラヴァニ、疲れている所悪かった」


 ≪良いのだ。我も熱するという発想がなかった。礼を言う≫


 冷めた焼き魚は湯気を立て、握り飯は甘みを取り戻した。もちろん、ラヴァニの大好物も柔らかく、それでいて黄身の芯まで熱を帯びている。


「水がいっぱいあったら、お風呂も出来るかな!」


 ≪……2人共、こちらを見るな。水よりも先に我の炎が枯れる≫


 ラヴァニはわざとらしく顔を背け、もう腹が満ちたとばかりに横になる。


 汚れたものをその場に置いていくわけにはいかない。食べ終わるとヴィセはタオルに貴重な水をしみこませ、食器代わりにした缶の蓋などを拭いて鞄にしまった。


「水場がどこかにあればいいんだけど、あっても霧の下だろうなあ」


 ≪ドラゴニアには池や小川がある。我らは食わぬが、木の実などもあるだろう。人が少数暮らすには困らん土地だ。ヴィセとバロンなら歓迎しよう≫


「早く行こ! 俺ドラゴニア見てみたい!」


「ラヴァニだって疲れるんだぞ。明日はいよいよ降りて休憩できる場所もないだろうし……あ、いやでも他のドラゴンはドラゴニアに行ってるんだよな?」


 ≪ああ。正確には分からぬが、仲間の記憶では海を越えて半日もすれば着いていたようだ≫


 ようやく日が沈むという時間だが、もう今日はこれ以上動く気はない。ヴィセは軽く腕立て伏せなどをし、バロンはランプの明かりで文字の勉強だ。ラヴァニもバロンと読み書き帳を覗き込んでいる。


「あおい、そらを、ひこうてい、がとん、で、いきます。いねが、ぼうと、はえます。はえますってどういうこと?」


「195、196……いぬが、ばうと吠えます、だな。稲が生えるじゃまるで意味が違う」


「ぬ……あ、ぬだった! いぬのぬ!」


 ≪犬はギャンと鳴くのではないか。奴らは鳴き方の加減を知らぬから苦手だ≫


「えー? ばうばうって鳴くよ? キャインキャインって言う時は逃げる時!」


「201、202……ほら、次のページを読め」


 時折ヴィセが添削をしつつ、バロンの読み書き勉強は進んでいく。バロンは読むだけでなく、文字をノートに丸写ししている。後でヴィセと答え合わせをするのだ。


「しっかし、ここだけなんで人工物があるんだろう。町や村がある訳じゃないのに」


「俺、霧の中でよく鉄とか拾ってた! 錆びてても高く売れるよ? 持って帰る?」


「いや、無理だろ……。あ、待てよ?」


 ヴィセは薄闇の中、腕立て伏せをやめて鉄塔を見つめる。


「鉄塔もコンクリートの防護壁も、何にもない所に建てるもんじゃないよな。材料を運ぶだけでも一苦労……」


「防護壁って、守るんでしょ? 何を守る壁なのかなあ」


「……崩れやすい斜面、防護壁、わざわざ……そうか、この下にもしかしたら町か村があったのかも」


 ≪村が土砂崩れに飲み込まれないための壁というわけか≫


「ああ、その可能性は高い」


 霧の下すぐ下には人が住んでいたのかもしれない。そう思うと、この場所を使わせてもらう事の有難さが身に染みる。


「降りてみる?」


「いや、降りたところで霧を作り出した町の手掛かりはないだろう」


 浮遊大陸がこのデモン大陸に移動したのは100年程前であり、しかもここから遥か遠く、見えない程の位置にある。


 ここが霧を生み出した町の傍と考えるには位置的にも無理がある。町の生き残りが逃げ延びたのは南の大陸だ。この大陸南東の位置から向かうのは難しかったはずだ。手掛かりとなるものはないだろう。


「霧に汚れるだけ無駄だ、今はドラゴニアへ到達するのが最優先だ」


 どのような場所だったのかは気になるが、ヴィセは手を合わせるだけに留めた。


「さあ、ちゃんと書けたんだろうな」


「うん!」


 ヴィセがバロンのノートを覗き込み、上手く書けているかをチェックする。


 ≪よく書けている≫


「どれどれ……いねがぼうとはえています……」


「違うよ、犬がばうと吠えていますだよ!」


「お前が書いた通りに読んだんだよ、やり直し!」


「えーっ!」





 * * * * * * * * *





 バロンのノートの中で「いねがぼうとはえた」次の日、ヴィセ達は荷物を纏めてドラゴニアを目指していた。


「なーんにもないね!」


「ああ、山の1つもそびえていないとは思わなかった」


 眼下にはひたすら続く霧の海。空模様も怪しくなり、そろそろ雨が降りそうだ。かといって雲の層を抜けるのも危ない。雲はとても厚く、いつ稲妻が発生するか分からない。


 おまけに雲の上に出たならドラゴニアを見下ろす事も出来ない。


「視界が悪いな……もう多分3時間くらいは飛び続けているんじゃないか」


「ラヴァニ、霧の中で休憩してもいいよ? 疲れたよね?」


 ≪いや、もうじき見えるはずなのだ。周囲に一切山が見えぬ雲海の中、ドラゴニアが浮かんでいるはず≫


 厚い雲の下、ついには雨粒がバロンの頭へと落ちた。それに気付くと同時に前方から雨が押し寄せてくる。


「あーっ! 雨になった!」


「暗いし霧がかかったように視界も悪いし、これじゃ目の前に現れないと見逃しそうだ」


「ラヴァニ、大丈夫?」


 2人の心配をよそに、ラヴァニは無言で飛び続ける。夢に見たドラゴニアはもうすぐ傍だ。雨に打たれたくらいで休む気にはなれないのだろう。


 そんな強い思いに応えたのか、ふとはるか遠くに山のような影が見えた。


 霧の中からやけに高くそびえた山。ラヴァニはそのシルエットに見覚えがあった。


 ≪あった……あったぞ! あれがドラゴニアだ! ああ、我が懐かしの大地≫


「え?」


「俺見えた! 目いいもん!」


「……もしかして、あれは山じゃなくて浮いてんのか!」


 三角錐のような山が1つそびえ、その麓には平らな大地が広がっている。近づくにつれ、そこには木々の姿も確認できるようになった。


「すげえ、空に浮かぶ大地……」


「ドラゴニアかっこいい!」


 ラヴァニの飛行速度が上がり、掴まっていなければ体が反り返りそうだ。


 もうラヴァニの目にはドラゴニアしか映っていない。激しくなってきた雨にも、気付いているか分からない。


「すげえ、確かに……浮いてる」


「浮遊鉱石ってどこにあるの? 浮遊鉱石で浮いてるんだよね」


「ああ、あれ全体が山から浮かび上がったんだから、浮遊鉱石だらけだと思うけど」


 ≪底の部分、それにそびえる山、その殆どが浮遊鉱石だ。草木が生えるだけの土は残っていても、それは表層にすぎん≫


 ドラゴニアの底は、霧から数百メルテ程浮いているだろうか。山脈を頭にし、鳥が翼を広げたような形状の大地が広がっている。この大陸にやってきて初めて生き物の気配を感じる光景だ。


 低い雨雲などものともせず、空に我が物顔で鎮座している。その雄大さにヴィセ達も思わず見とれていた。


 やがてドラゴニアの広大な浮遊大地を見下ろせる程に近づき、ついには眼下の景色が霧の海から草原に変わった。青々とした草木が覆うその様子は、天空に位置するとは思えない景色だ。


 雨雲が草原を撫で、視界は悪い。それでもここは夢にまで見た浮遊大地ドラゴニアだ。


 ≪降りるぞ。我は……この瞬間に焦がれていた≫


 ラヴァニが速度を落とし、枝葉を大きく広げた大木の傍に降り立つ。ドラゴニアの大地は広大で、ラヴァニの重さなど気にもならない。


 ヴィセ達もおそるおそる降り立ち、草の絨毯の感触を確かめる。


「地上と、何も変わらない……」


 ≪ヴィセ、鞍を外してくれ≫


 ヴィセとバロンが鞍や鞄を全て降ろしてやると、ラヴァニが勢いよく飛び立つ。


 ≪我は、帰って来た!≫


 ラヴァニの咆哮がドラゴニアの隅々にまで響く。それを見守るヴィセとバロンは、ずぶ濡れになりながらも笑顔だった。

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