Confused Memories-08



「見覚えは……ありません。あの集落にもいませんでした」


「そうか……。やつらが持ち物を売りに来なかったから、生きているかと思ったんだが」


 老人は心の底から落胆していた。老人にとってその旅人は恩人であり、その無事を祈るのは当然だ。しかし、この落ち込みようはそれだけではないように思えた。


「おじいさん、何かあったの?」


「ああ、そうだな。何かあったと言えばあった。あの男はな、集落の手前にいた別の者を1人救っているんだ」


「救っている……誰からそれを」


「救われた若者だ」


 老人は写真を手に涙ぐみ、その話を聞かせてくれた。集落の手前で10代くらいの少年を見かけ、男は優しく声を掛けた。


 その少年の腕には明らかに意図的な傷跡があり、男は虐待を疑った。少年は儀式で負けて親から怒られ、家を飛び出して人知れず泣いていたのだという。


 レーベル語が堪能だった彼は、少年としばらく会話したのち、こう言った。


「世界は広い。ドラゴンが生きている大陸だってある。ドラゴンの真似をして皮膚を刻むより、ドラゴンに会いに行く方がよほどいい」


「その後、その少年と旅人はどうしたんですか」


「男は少年に水と食料を持たせ、1日歩けば港町に着く。そこでメリタと書かれた青い船の持ち主を探せ、と告げたそうだ。つまり、わしに会いに行けと」


 激しい腕の痛みや敗北感、叱責されたことによる両親への嫌悪が少年を突き動かした。少年にとって、ドラゴンはまだ憧れ程度の存在。確固たる信仰の対象にはなっていなかった。


 同時に、集落に元々不信感を抱いていたのかもしれない。


「ボサボサの長い髪に、麻のヨレヨレの服を着た少年がやってきた。持っている水筒とポーチを見て、最初はああ、あの男もやられたかと思った」


「そうじゃないと思ったのは何故ですか?」


「少年が、この写真を見せてくれたからだ。わしと肩を組んで撮ったこの1枚。そしてこう言った。この男がメリタと書かれた船の持ち主に会いに行けと」


 旅人が老人の存在を集落で話すはずもない。状況から判断し、旅人はまだ洗脳されきっていない少年1人くらいなら、救えると考えたのではと推測された。


「わしはレーベル語は得意ではないんだが、少年は集落の事を当たり前のように話してくれたよ。ドラゴンの生まれ変わりを見極めるため、肌にドラゴンの鱗を彫り込む事、やってきた旅人が……いつも朝になると荷物を置いたまま消えている事」


 ≪旅人を襲い、金品を奪っている事、あの背中を彫られた男、それを集落外の少年が知っているとは思えぬな≫


「ああ、集落の少年で間違いないな」


 老人の予感は当たっていた。集落の者は、旅人の寝込みを襲っていたのだ。


「わしはあの男にこの少年を守ってくれと言われている気がした。あの集落に染めないでくれ、逃がしてやってくれと」


「集落の人は、探しに来なかったんですか」


「来たさ。1度目は少年が来てから10日後。2度目はその1か月後だった」


「その時はどうしたんですか」


 見慣れない少年が生活していれば、町の者は他所者だと気づくはずだ。誰かがこの老人が面倒を見ていると言えば、匿っている事は知られてしまう。


「ここの暮らしも楽ではないが、あんな変な集落よりもマシだろう。アマンが帰りたくないと言ったから、町の皆で守ると決めた」


「ねえ、ヴィセ。あの村でアマンって人の名前聞いたよね」


 バロンが聞き覚えのある名前を呟く。ヴィセもそれを思い出した。1人だけ、集落から出ていった者がいる。その者の名前はアマン、老婆はそう言った。


「おじいさん、集落ではアマンさんが自ら出て行ったと聞きました」


「ああ、2度目に来た時、見知らぬ少年が他所の大陸に行く船に乗ったと嘘を言ったからな」


「という事は、それからも暫く一緒に生活を?」


「ああ。5年程いたと思う。そのうち自分の小屋を建て、別に住むようになったが、その当時まだ15歳くらいか。漁は俺の船に乗せて教えていた」


 老人はその頃を懐かしみ、旅人が命がけで守ったアマンを孫のように語る。心優しい旅人が助けたかった命は、老人に託された。老人は使命にも似た感情で5年間育てていた。


「おじいちゃん、その人は今どこにいるの」


「どうだろうな。16歳になった月に、先祖が何をしたのか知りたいと言って出て行った。集落に戻るのかと尋ねると、世界が知りたいと」


 ≪もしや……アマンという男、トメラ屋の女将が言っていた男ではないか≫


「そうか! 霧を発生させた町の生き残り、アマンさんも当時10歳なら、村の成り立ちや先祖の事を聞かされていたはず」


 ここへ来て、話はようやく繋がった。トメラ屋のミナが話していた男は、この老人が面倒を見たアマンだろう。彼は霧が世界に及ぼした影響を知り、責任を感じたのだ。


 ≪どこの大陸を目指しているかは知らぬが、浮遊鉱石を求めていると言うなら、それを知るまでの知識と時間が必要だろう。女将と出会ったのは旅に出て暫くか≫


「浮遊鉱石がこの世界で残っているのはドラゴニアだけ。男の人は……ドラゴニアに向かった?」


 ヴィセ達は今までの話を聞きながら、話が繋がる事に嫌な予感がしていた。


 霧を発生させていた町の末裔、そして霧には浮遊鉱石が効くという言葉。この2つは次に何へと結びつくのか。


「ラヴァニ、ドラゴン達はドラゴニアの高度が落ちて来たと言ったよな」


 ≪まさか、アマンがドラゴニアの浮遊石を≫


「大変だ、確かめに行こう!」


 ヴィセは立ち上がって老人に礼を告げ、すぐに出発しようとする。だが、1つ言い忘れた事に気付き、もう1度座り直した。


「おじいさん」


「なんだ、忘れものか」


「……あの集落は、壊滅しました。人は死んでいませんが、僅かな畑と家畜が残るのみです」


「壊滅? どういうことだ」


「……俺達が……命を狙われた際、暴れ過ぎて集落の家々を破壊しました。ドラゴンの像はドラゴンが炎で溶かしました」


 ヴィセ達は自分達が武器を向けられた時の事を思い出していた。同時に、殴りたくないのに殴った拳の感触、怯え切った住民の表情も蘇る。


 暴力的な旅人だと非難されても当然だ。しかし、真実が伝わらない事で失われた命の話を聞いた後で、真実を伏せる気にはなれなかった。


「あの集落を、壊した……」


 老人は嫌悪でも、恐怖でもなく、ただ驚いていた。10秒ほどそのままだったが、急に吹き出し、豪快に笑い始めた。


「わっはっは! こりゃたまげた! 旅人の仇を取る奴がとうとう現れたか! はっはっは!」


「あの……?」


 ヴィセ達は人を殺してはいないまでも、殴り、切り裂いた。老人はそれを咎めるどころか笑い飛ばす。


「いやあ、わしらもな、考えとったことなんだ。旅人が制止も聞かず行ってしまうなら、行き先を無くせばいいとな」


「この町で、あの集落を潰すつもりだったんですか」


「ああそうだ。だがな、聞いた話、考察した結果、それだけで攻め入る訳にもいかんだろう。本当に旅人を殺そうとするのか、それを自分達で確かめにゃならん」


「でも、行ったら殺されちゃうよ」


「そうだ、だからわしらは危険だと分かっていながら、何も出来ずに今日まで生きてきたんだ。そうか、あんたらがやってくれたか」


 老人はニッコリ笑い、ヴィセとバロンの手、ラヴァニの前足をしっかりと握った。


「有難う、これで皆が浮かばれた。これから殺されるものも出なくなる」


「でも、俺……みんなを殴った。悪い事だと分かって、たのに」


「ええんだ。そんなつもりじゃなかったかもしれん。でもな、結果として皆を守ったんだ。その力がない者の代わりにな。反省でも後悔でも、したいならすればいい。わしは感謝している。お前さんのその拳と、勇気にな」

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