6-4.『俺にとっては最悪だよ』

 銃口炎マズルフラッシュが宙にき付けられる刹那せつな、アルバートの輪郭りんかくに三原色の残像グリッチが発生し消滅。

 〈セーレ〉の手にあった銃も、不可視のデジタルドットに食い尽くされた。

 蒼玉の瞳が驚きに見開かれ一瞬の硬直、生まれる間隙かんげき


「――残念だったなッ」


 真横に出現させた幻影ホログラムに即転換スイッチしていたアルバートは、 コンパクトに顔の横で構えた銃の引き金を引く。 


 しかし〈セーレ〉は一瞥もなく指を鳴らすのみ。滑るように後退した彼の鼻先を銃弾が掠め、そのまま虚空へ吸い込まれていく。


 歯噛みするアルバートの前で、薄く笑みを浮かべる〈セーレ〉。

 紙一重で回避が叶うような位置を、わざわざ選んだのだ。挑発の意味合いもあるだろうが、本命は――


 懐に入り込み、ほぼ百八十度開脚しての蹴り上げ。


 革靴の先がアルバートの鳩尾みぞおちに突き刺さり、無理矢理にへこまされた胃壁が裂ける。


「がぁ……ッ!!」


 身体が放物線を描いて吹き飛んでいくのが分かる。

 喉奥からり上がる胃液混じりの血。苦鳴とともにそれを吐き出す最中さなか、再び指が鳴る。

 仰ぎ見ていた夜空が不意に遠ざかり、ざらついたアスファルトの感触が


 視界に夜闇よりなお黒い影が差す。

 その正体がであることを思考で理解するより速く、生存本能が身体に寝返りを打たせ――間に合わない。鼻先に突起の刻まれたゴム面が押し付けられ、


「――なに寝てんだッ!」


 相棒の遠い声。瞬間、身体を思い切り引き摺られる感覚。

 真横で耳を打つ轟音に総毛そうげちながら、首筋を撫でる冷気に振り返る。


 白狼シルヴィがシャツの襟首を咥えて引き離したのだ。凄まじい勢いで靴底とこすれた鼻先が熱と痛みを訴えているが、命には代えられないので無視。


「悪い、助かっ――」


 相棒への感謝は白狼が首を振ったことで遮られ、視界が撹拌かくはんされたと思った頃には身体が床に叩き付けられていた。


 痛みを堪えつつ、寸前まで寝ていた場所を見遣る。そこに置かれた〈セーレ〉の片足を中心に、擂鉢すりばち状の大穴が穿うがたれていた。


 八極拳の震脚じみた踏み付けストンピング。まともに受けていれば、上半身が消し飛んで穴の中心を赤く染めていただろう。


「――ぐぅるるァッ!!」


 〈セーレ〉の背後に一瞬にして回り込んだ白狼シルヴィが、低い唸りを上げて飛びかかる――しかし一瞥もなく指を鳴らして両断。


 刹那、霜雪の塊ふたつは中型犬サイズの狼の群れへと姿を変え、幾重いくえもの吠声はいせいとともに標的へと殺到した。


「――ね、ね、作戦プランはっ?」


 隣に並んで、まるで次の遊びをねだるようにいてくるワイスに思わず瞠目どうもくする。

 全身各所の傷はとうに塞がり、流血の残滓が悪趣味な特殊メイクのように肢体や纏う衣服を汚している。


 そんななりだが浮かべる表情は快活そのもの。

 まるで外遊びに夢中で興じて泥だらけの子供の姿を、グロテスクなフィルターを通して見ているような――相棒の異質さを改めて認識し、薄ら寒い怖気おぞけが背骨をなぞっていった。


駄犬バカが。んなもん考える暇あったと思うか? 俺ァいまやっと奴の能力が分かったばかりなんだぞ」


 その不快さを誤魔化すように吐き捨てながら立ち上がると、露骨な舌打ちとともに首筋にナイフを添えられた。


「あたし言ったよね? 思いつかなかったら殺すって」

「お前だってまだ五体満足だろ。奴に腕一本くれてやるってのは嘘だったのか?」

「んなわけないじゃん、あたしもまだ掠り傷カスダメしか食らってないのが不思議ー」


 ときに自身を、ときにじゃれついてくる白狼を移動させて抵抗する〈セーレ〉を一瞥しながら、ワイスは口許を獰猛な笑みに歪ませる。


「あいつさいこうだよ、〈権能インペリウム〉に頼ってばっかの雑魚とは大違い。死にゲーのボス戦みたいで、ちょーたのしいっ」

「そうかい、俺にとっては最悪だよ」


 元気いっぱい走り回った犬のように楽しげに息を弾ませているワイス。その顔にうっすらと浮かぶ憔悴の色を見て、一抹の焦燥がアルバートの思考をひりつかせる。


 ワイスが戦闘で得る興奮は、裏を返せば生への渇望かつぼうだ。

 生温なまぬるく退屈な日常の中で、自分が確かに『生きている』と実感できる唯一の経験。


 では、それをはいつか?


 だ。

 命の灯火がもうすぐ消える――その今際いまわ一層いっそうきらめき燃え上がる、そのときだ。


 その身を汚す流血は溶け落ちたろう

 紅潮する頬、上気していく顔は揺らめく炎。

 放っておけばやがて理性のたがまで焼き切れて、命燃え尽きるまで喜んで戦う獣と化すだろう。


 俺の指揮下という首輪から狂犬が抜け出す前に、〈セーレ〉を倒さなければならない。

 〈権能インペリウム〉の本質は見破った。あとは弱点を見出し、そこを的確に突く作戦を立てるだけ。


 ――焦るな、はやるな、落ち着け。

 ――追い詰められているのは、奴の方だ。


「ほら、もう少し遊んで来い相棒。作戦プランはお前の腕と引き換えに、」不意に相棒の碧眼が見開かれ、間近から声が「内緒話ですか? 仲間外れにしないでくださいよ」


 一瞬の隙を衝いて、群狼を置き去りに肉薄してきた〈セーレ〉。

 対し動いたのはワイス。一瞬速く反応した彼女は、迷いなく前へ踏み込むと同時に左の縦拳一閃ストレートリード――しかし伸ばした腕はなかばから、〈セーレ〉の顔ではなく隣の虚空を貫いた。


 風圧で金糸の髪を揺らしながら悠然と笑む。〈セーレ〉。

 断たれた肘先が落ち、血が噴き出すのに舌を打つワイス。


 錆びた鉄柵のそばに立つ幻影に転換スイッチ――切り替わった先の視界でその様を目にしたアルバートは次の瞬間、


「――本物ミスター


 〈セーレ〉の貫手ぬきてに腹を貫かれ、その身体を鉄柵に叩き付けられていた。

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