5-8.『ロマンティックで好きなんですよ』

「あー、マジ最悪ー……」


 伸ばしたジャケットの袖で口許を押さえながら、開けっ放しのドアにだるそうにもたれ掛かるワイス。


 鼻がく彼女には、部屋の中に漂う残り香でさえ劇臭なのだろう。

 胃のむかつきを堪えるようなしかめっ面とともに、あおい視線が『今どんな感じ?』と問うてくる。


「お前のおかげで、簡単に吐いてくれたよ」


 答えると、ワイスは顔面蒼白になり廊下まで後ずさった。


「えっ……?」

「そっちじゃねぇ駄犬バカ


 呆れの息を吐きながら、ガムテープ越しに喚く金髪を見遣る。


 ――『良い警官・悪い警官』という尋問じんもんテクニックがある。


 まず『悪い警官』役が、高圧的な態度や暴力、侮辱などで、対象に恐怖と反感を植え付ける。


 『良い警官』役は、『悪い警官』をなだめたり、時には振るわれる暴力から対象を守る。

 また、対象が『悪い警官』に抱いたマイナスの感情への理解や共感を示す。


 すると、対象は『良い警官』を味方と考え信頼する。

 協力関係を結べると思い込み、結果として色々な情報を話してしまうのだ――


 情け容赦ないらしによって、金髪男の目にはワイスが『悪い警官』に見えたらしい。


 ワイスがトイレへ駆け込んだ後。

 アルバートが形だけの同情や共感を示すと、すっかりおびえてしまった彼はすがり付くようにペラペラ喋り始めた。


 聞かれていないことまで洗いざらい……それはもう、嘔吐ゲロのような勢いで。


 自分たちは懸賞金目当てではなく、依頼を受けてアナスタシアを取り返しに来た。


 高速道路ハイウェイとモーテルの安酒場で襲撃してきたのは同じ組織の若頭で、跡目争いを巡って対立していた。


 バーガーショップでのフラッシュモブの仕掛け人と、腐れ弓兵アーチャーについては知らない。


 情報をあらかた聞き出したあと、『これで助けてくれるんだよな?』としきりにいてくるのが鬱陶うっとうしくて口を塞いだ。

 残るは依頼主クライアントの名前と依頼内容の詳細を聞き出すだけ。


「――まぁ、ざっとこんなもんだな」


 バカでも分かるよう噛み砕いて説明する最中さなかにも、相棒バカはしきりに部屋中を見回していた。


「ねぇバート、近くで誰か?」


 険しい顔をしたワイスが、伸ばしたジャケットの袖でまた鼻を押さえる。


「お前……話聞いてないな?」


 うっすら勘付いてはいたが……がっくり肩を落としたアルバートもまた、部屋のあちこちへ視線を飛ばす。


 ――が、部屋に充満しつつある。

 やがて二人の視線が行き着いたのは、オフィスチェアに磔にされたマグナスだった。


 両の眼を見開いた鬼気迫る表情の上には、結露した窓のような大量の汗。

 喚く声はときおり不自然に裏返り、アルバートの耳に届く心拍数は加速度的に上昇していく。

 まるで恐慌状態ヒステリーにでも陥ったようだ。


 そしてよく見れば、鼻の穴から、眼窩がんかから、口を塞ぐガムテープの隙間から――が上がっていた。


「おい、一体どうし――」


 近寄ってガムテープを剥がし――口の奥に見えたものに目を見開く。

 瞬間、後ろから襟を引っ掴まれた。


「下がれバートッ!!」


 ワイスの怒声の直後、男の身体が爆散。

 血肉の霧を吹き飛ばして極彩色の光が炸裂し、けたたましい破裂音の連鎖が部屋中を埋め尽くした。



◆◇◆◇◆◇



 跳び退すさるワイスに引き摺られて廊下に出たアルバートは、尻餅を付いたまま呆然としていた。


 部屋の中を埋め尽くし廊下にまで溢れた血霧の向こう――マグナスは首が吹き飛び胸郭がえぐれた無惨な状態になっている。


 血と火薬と焦げた蛋白質たんぱくしつの混じった悪臭に咳き込む相棒を尻目に、湧き出るいくつもの疑問を無理やりまとめていく。


 ガムテープを剥がしたあのとき。

 口の奥に見えたものは、だった。


 奴は本気でおびえていた。自決用ではない。

 口封じのために始末されたと見るのが妥当だとうだ。


 問題は誰の手によるものか――アルバートは既にその見当を付けていた。

 を前に見たことがある。そう、確かあれは——


「――いやぁ、綺麗でしたねぇ。楽しんでもらえましたか?」


 記憶通りの飄々ひょうひょうとした声。

 目を向けた廊下の奥。薄らいだ白煙の中から現れたのは、金髪碧眼の白タキシード――


「〈セーレ〉……ッ」

「あぁ、無事で良かった。心を込めたサプライズプレゼントで相手に死なれたら、寝覚めが悪いですもんね」


 『近くに良いものがあったので』とひとりちる。

 肩をすくめるようにして掲げられた彼の両手には、安いライターと花火セットの袋がそれぞれ握り締められていた。


「バラエティ番組でよくあるでしょう? 大好きな彼女へ向けて、。ロマンティックで好きなんですよ、試しにやってみたくて」


 それらをゴミ同然に放り投げながら、〈セーレ〉は無邪気な少年のような顔で饒舌じょうぜつに語ってみせた。


「花火は口に入れない、人に向けないのが常識だろう。取扱説明書トリセツを読まないタイプか?」

「サプライズで彼女の頭ぶっ飛ばすとか、さいてーのクソ男じゃーん。早く殺そ?」


 立ち上がったアルバートは顔をしかめて吐き捨て、立てた親指を下に向けながらワイスがその隣に並ぶ。

 〈セーレ〉は二人の言葉に冷笑を返すのみ。


「最近はの相手ばっかでさー……あいつらもろいから退屈で、ストレス溜まってんだよねー」


 ワイスのどこか浮ついた声音と、が耳に届く。


「あんときは『警察署ハエども』に邪魔されたからノーカンってことで。ここなら商会だれにも邪魔されないしさ……とことんろーよ」


 一歩前へ。太ももに巻き付いたホルスターから大振りなコンバットナイフを抜き放つワイス。


「ふふ、なんて熱烈なラブコール。……これはこたえなければなりませんね?」


 切っ先を向けられた〈セーレ〉はくすぐったそうに笑う。敵意や殺意は放っていないが、まとう空気がわずかにヒリついた――臨戦態勢に入ったか。


 悪い予感が的中したことを悟り、アルバートは重い溜め息と共に目を伏せた。


 アナスタシアの居場所を知っているのは〈セーレ〉だけだ。最初ハナから説得でどうにかなるとは思っていなかった。


 しかしワイスの言ったとおり、今いるのは商会ギルドの手が届かない緩衝地帯グレーゾーン

 以前のように、第三者の乱入で勝敗が有耶無耶うやむやにはならない。


 誰の邪魔も入らないということはつまり、であの怪物を攻略しなければならない。


 ふと、鼻をひくつかせたワイスが振り返ってくる。


「なにビビってんのバート。大丈夫だって」

「いつも不思議なんだが、その根拠の無い自信はどっから湧いてくるんだ?」

「根拠? そんなの――」


「待って……っ!!」


 言葉の続きをさえぎって、声が響き渡る。

 焦燥しょうそうで震えるすずの方へ首をめぐらせ、アルバートとワイスは揃って目を見開いた。

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