4-6.『あちらのお客様からです』

「――っと、悪い。少し外す」


 スマートフォンの振動バイブに気付き、アルバートはアナスタシアの話の途中で安酒場を出た。


 すっかり日は暮れ、夜のとばりが辺りの景色を薄闇の色に染め上げている。

 月明かりも届かない店の裏手へ回って画面を確認すると、表示されていたのはロゼの番号。


 アルバートはバーガーショップで彼女に連絡メールを入れ、アナスタシアの素性を探るよう依頼していた。

 連絡が来たということは、なにか進展があったのだろう。


「俺だ。なにか分かったか?」

「ねぇアルバート、そのは本当に、アナスタシア・リーガンって名乗ったのよね?」


 女々しい調子ながら野太い声は、なにかをうたぐるようにくもっていた。


「そうだが……どうかしたのか?」


 答えながら、脳裏で会話を反芻はんすうする。

 あのとき、嘘をいているようには聞こえなかった。ここに来るまでも、なにかをいつわっていた様子は無い。

 もしこちらをだまそうとしているのなら、嘘を毛嫌いするワイスがあれほどなつくはずがない。


 うなるような吐息のいくつかが、通話口から漏れ聞こえる。

 まるで、伝えようと口を開いて――しかし言いよどんで閉じるような。


「どんな些細ささいなことでも良い。なにか分かったなら教えてくれよ」


 釈然としない態度に業を煮やして語勢を強める。

 ロゼから返ってきたのは、諦めて開き直るような大きな溜め息だった。


「……分かったわ。いい? よく聞いて――」



◆◇◆◇◆◇



 アルバートが席を外してから数分も経たない間に、ワイスとアナスタシアの隣にはそれぞれ見知らぬ男が座っていた。


 酒場のすみにある丸机を囲んでいた身綺麗な二人だ。

 どうやら不用心に残された美女たちを見て、だと思ったらしい。


「君、ほんと無口だねぇ。実は俺、ミステリアスな女の子がタイプなんだ」

「…………」

「お嬢ちゃん、こういう場所は初めてだろ? 俺が手取り足取り教えてやるよ」

「あ、はい、あの、お気持ちだけ頂きますね……」


 一貫して無視を決め込むワイスに、右隣の金髪は聞いてもいない自分語りを始める。

 その横でアナスタシアは、左からしつこく絡んでくる坊主頭をやんわり断ろうと試みていた。


『このあと、四人で飲まないか?』

『君たちみたいな美人と飲めたら最高なんだがな』


 などと言いながらも――

 ワイスの隣の金髪は、キャミソールからのぞく胸の谷間や、ホットパンツから伸びる太ももを。

 アナスタシアに絡む坊主なら、ブラウスに包まれた控えめな胸元や、タイツに包まれた細脚を。


 五秒に一回くらいチラチラ見てくる。

 こいつらは一緒に酒が飲みたいのではなくて、酔わせてお持ち帰りテイクアウトしたいだけ。

 奴らはお世辞と建前を、さも本心のようにかたる大嘘つきだ。


 ――無論、ワイスも異性から見られることへの理解はある。


 十歳を超えた辺りから身体が女性らしく変化していくにつれ、“家族”の男連中が何故か余所余所よそよそしい態度になったのを覚えている。

 こちらは何気ないスキンシップのつもりでも、アランなんかは分かりやすく狼狽うろたえたりしていた。


 気になってドロシーにたずねたこともあった。

 そのとき返ってきた答えに……男とはなんて単純バカな生き物なんだと幼心に呆れたものだ。


 それを微笑ほほえましく思えたのも昔の話。

 今となっては、露骨に性衝動リビドー丸出しの視線を向けられると虫唾むしずが走る。


 すぐ隣に人間大の害虫がいるような気分だ。数年前の自分なら、間違いなく喉を掻っ切って黙らせていた。


 極め付けは、酒精アルコール麻薬コカの混じった吐息と、火照ほてった身体からただよおすの体臭。

 鼻が曲がりそうな空気をしのぐためにちびちび飲んでいたコーラはもう底を突いたし、ストローの先を噛み続けるのもいい加減に飽きた。


「…………はぁ」

 

 我慢の限界ピークに達したワイスは嘆息たんそくひとつ。

 狼狽うろたえていたアナスタシアの肩を抱き寄せると――


「ワイス? 急にどうし――んぅ」


 噛み付くように唇を奪った。

 啞然あぜんとする男たちに魅せ付けるように、さらに舌を入れてむさぼる。


「ぷぁ、は……」


 唇の間から覗く舌先に、糸引く唾液が橋を架ける。

 扇情的せんじょうてきな光景に鼻の下を伸ばしていた男たちは、


残念ざんねーん。この、あたしが先にから」


 優越感と敵愾心てきがいしんを乗せたあおい流し目を受けて、顔をしかめ席を立った。

 離れていく背中へ向けて、ワイスは舌を出しあざける。

 ――ヤリモクは引っ込んでろ、バーカ。


「なん、なんな……なにを……ぉ」


 ふわふわ上擦うわずった声に振り向くと、アナスタシアは顔を真っ赤にして目をぐるぐる回していた。

 老バーテンが気を利かせて差し出した水を一息に飲み干すと、眉を八の字に下げる。


「……ごめんね。私をかばって嘘ついてくれたんだよね」

「いーよいーよ、役得だったし。それに、あたしは嘘なんか吐かないよー。だし、ナターシャにってのも本気だし」

「……え? あ、ワイスってもしかして」


 困惑の表情に波紋となって広がっていく理解の色を、ワイスは首肯する。


「ん、レズビアンだよー。……ナターシャは嫌だった? あたしとするの」


 今度はワイスがしゅんとした表情になり眉を下げる。

 頭の上でぺたんと垂れた犬耳を幻視し、アナスタシアは慌てて両手を振った。


「ぁ、いや、ち、違うの。ちょっと意外だっただけで……別に嫌ってわけじゃ……その、こういうの初めてで、慣れてないから、びっくりしちゃって……」


 もごもごと喋りながら、人差し指を突き合わせてうつむいてしまうアナスタシア。

 桜色に染まった頬と耳朶じだを見たワイスの肌に、うず嗜虐心しぎゃくしんが甘いしびれとなって走った。


「手っ取り早く慣れるにはー、のが一番だよーぉ?」


 さりげなく顎先に触れてこちらを向かせ、顔を近づけようとして――


 二つのカクテルグラスが、視界の端に音も無く滑り込んできた。

 アナスタシアがそちらに気を取られ、あと少しで奪えた唇がそっぽを向いてしまう。


「――あちらのお客様からです」


 喧騒けんそうの中でもよく通る老バーテンの穏やかな声。

 舌を打ったワイスはそちらへ振り返り――


「ッ!?」


 目をいて椅子を蹴立てた。

 二人から別の客まで、五人ほどの空席がある。  

 決して短くないその距離を、の細いカクテルグラスで綺麗に滑らせたのだ。

 おまけに一滴もこぼれていない。まさに熟練の妙技。


 しかし碧眼へきがんが釘付けになっているのは、しわまみれの手で示された先。


 そこに座っていたのは、この安酒場にまったく似つかわしくない――だった。



◆◇◆◇◆◇



「……おいロゼ、いつから偽の情報でぼったくるようになった?」


 きっと酔いが回って気が大きくなっているのだろう――アルバートの口から滑り出た皮肉は、自分でも意外なほど刺々とげとげしい響きだった。


「バカおっしゃい、情報屋は信用が命なの。今までアタシがガセネタ流したことあった?」


 それに釣られて、剣呑けんのんな声が返ってくる。

 その言い分ももっともだ。情報屋の価値を決めるのは信用――取り扱う情報モノの精度はそこに直結する。


「じゃあ……本当なんだな?」


 つまり、語られたのは真実の一端。

 その信じがたい内容を、アルバートは震える声で復唱する。


「アナスタシアが――






 ってのは」

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