皇国 見えない少女

 事情は分からない。理由は解らない。

 でも、一つだけ解ったことがある。

 あの男は敵。

 路地裏で、子どもであるセリーナに、あんなことをする者が正しい人間である筈はない。



 バサッとも、ドンともつかぬ音と共に地面に押し出されたセリーナは、やっと解放された喉に息を荒く取り込む。


「明日、明日が最後のチャンスだ。

 明日、ここに木板を持って来れなかったら、お前の妹は殺す。

 お前の目の前で殺してやる。お前はまた闇に沈めて死ぬまで使い潰してやろう。

 だが、持って来れたらその場でお前達、二人を開放してやる。

 優しい俺に感謝し、必ずやりとげろ…。いいな!」


「…はい、解りました…」


 ふらつきながらも跪き頭を垂れたセリーナを男はふん、と見下げるとそのまま、振り返りもせずに去ってしまう。

 男の姿が完全に消えたのを確かめて、セリーナは立ち上がるとよろめきながら寮の方へと戻っていく。


(セリーナ!)

「ダメよ。マリカ」


 ティラ様は私に命令する。

 小さな、小さな、私の耳にだけはいるような小さな。でも決して逆らうを許さない強い、声だった。


「セリーナは、このまま寮に戻るでしょう。

 私達はガルフの所に戻り、今回の対策を立てなければ」

「でも!」

 

 やっと解放された口で私は深呼吸より先に、ティラ様への反論を紡ぐ。

「ティラ様もお聞きになったでしょう?

 あの男はセリーナを脅しているのです。しかも、人質をとって殺す、と!

 早くなんとかしないと、人質が…」

「解っています。だからこそ、今、ここで対策を間違える訳にはいかないのです。

 落ち着きなさい。セリーナと人質を助ける為にも、今は落ちつくのです…」


 冷静に、聞こえるけれどティラ様の青い瞳が固く光る。

 刃のような、氷のようなそれは冷たい、怒りに満ちた輝きだった。


 さっきの言葉はきっと、私だけでなく自分自身にも言い聞かせているのだと気付けた時、


「解りました。

 どうか力をお貸しください。セリーナと人質…多分妹を助ける為に」


 私はティラ様を真っ直ぐに見つめ、そう願っていた。

 この方は、決して私達を見捨てたりしない。

 助けてくれる、そう信じて…。


「勿論です。行きますよ。マリカ」



 私達が家に帰りついたのは二の風の刻をかなり過ぎた頃だった。

 周囲は真っ暗。

 扉を開けた私を青ざめた顔のアルとリードさんが出迎えてくれた。


「マリカ! ティラ様。良かった、無事だったのか?」

「一体こんな時間まで何を?」

「ごめんなさい。リードさん。心配かけて。

 ガルフ様は、戻っていますか? 大事な話があるんです」

「今、旦那様はラールから相談と報告を…」

「マリカが帰って来たのか? だったら奥の部屋に連れて来てくれ。アルとリード。もし可能ならティラ様も、だ」


 私の気配を感じたのだろう。

 奥の部屋から放たれたらしいガルフの声がエントランスに響いた。

「解りました。今行きます。

 ティラ様。遅くなってしまいますが、どうかお付き合い下さい」

「もちろんよ」

「どうぞ、こちらへ」

 私の手を繋ぎ、ティラ様は進んでいく。


 リードさんに先導されて私達は1階の奥の部屋。

 来客などと商談をする応接室に入る。そこにはリードさんが言った通り


「マリカ?」

「ホントにラールさん。何があったんですか?」


 ガルフの店の一号本店料理主任、ラールが立っていた。


「そうか、君はガルフの家に引き取られているんだったな。

 実は旦那様に、今日の木板の件を報告していた。

 前々から気になっていたこともあったから」


 木板の事。

 つまり鎖に繋がれて持ち出し禁止だった木板が壊され、持ち出せる状態になっていたことを伝えてくれたのだろう。


「ありがとうございます。報告の手間が省けました。

 でも、気になること、とは?」

「旦那様にも言ったが、木板を狙っていたのはセリーナではないかと思うんだ」


 びっくり。

 ラールさんの言葉に、本当に驚く。

 ほんの今さっき、私達が見て来て知ったばかりの事を何故ラールさんが知っているのか?


「どうしてだか、伺ってもいいですか?」


「セリーナは、厨房での仕事は真面目に取り組んでいた。

 私はこれでも眼をかけていたんだ。ところが、時々、フッと姿が見えなくなる時があった。

 見えなくなる、というかいることが感じられなくなる時、だな。

 そんなことはある筈の無い事。

 厨房から人が出た気配はないし、呼べば返事をしてそこにいる。

 だけど、どうしてもいるように見えない。

 ある日私は本当に注意して、意識を向けてセリーナの姿を追った。

 そしたら皆の視線がホールからの注文に向かっているとき、食器の片付けに忙しい時などを狙う様に、セリーナが書棚に向かってレシピの木板に触っているのが解ったんだ」


 時間にしてほんの僅か、木板に触り何かをして離れる。

 その繰り返しが何十回も続くうち、最初はレシピを覚えたいのかと思っていたラールも不審に気付く。

 昨日の閉店業務の後、最後に厨房を出た後、最終点検をした彼はそこで木板の異常に気付いたのだという。


「ラールさんは気付いておられたんですか?」

「ああ。セリーナが木板を持ち出す瞬間を捕えないと意味がないと思い、そのままにしていた。

 まさか、ティラ様が手に取られるとは思っていなかったから」

「ごめんなさいね。でも、流石ガルフが信頼する料理主任。優れた洞察力と判断力をお持ちだこと」


 ラールさんを褒めるとティラトリーツェ様はガルフの方に視線を向けた。

「実はね、さっきマリカが気になるというからセリーナの様子を見に女子寮に行っていたの。

 そしたら…」


 私の代わりに私達が見たこと、セリーナを脅していた男の存在をティラ様は話して下さる。

「結論から言うと、セリーナは人質を取られて、大祭までにこの店のレシピ。

 特におそらくはパウンドケーキのそれを盗んでくるように言われているようよ。

 話の様子からして裏家業の者。

 情報を吹き込んだ存在や買い取り確定者はいるようだけれども、貴族や商人が自分達で使う為、では無くそれらに売る為に入手したがっているようなの」


「セリーナを、子どもに暴力をふるってたんですよ!

 しかも入手できなかったら人質を殺すって、入手したら開放するって言ったけれど、あれは、絶対嘘!

 入手してもまた店の情報盗みに使われるか、酷ければ闇に連れていかれてしまう。

 そんなの、私、許しませんから!」


 子どもを傷つける者、絶対許すまじ。

 逆にそいつらを地獄に叩き落す。

 あ、不老不死だから死にはしないだろうけど。


「マリカ…」


 私が本気で怒っているのが解ったのだろう。

 皆、なんだか引いている。

「落ちつけ、マリカ。焦って突っ走っても助けられないぞ」

「でも、こうしている間にも人質の多分妹は酷い目に合され、セリーナは苦しんでるんだよ!」


 早く助けてあげたい。

 まだ12歳なのだ。中学生になったかならないかの女の子が背負うには辛すぎることだ。


「とりあえず、騎士団には連絡、あの場近辺に見つからないように控えさせておきます。

 あと、首謀者の正体についても可能な限り調べてみましょう」

「お願いします。ティラ様」

「レシピはどうします?」

「渡しましょう。子どもの命には変えられません」

「…即答ね」

「当然です。子どもの命以上に大事なものなんてないでしょう?」


 ケーキのレシピなんて別に今すぐ、世界に無料公開したって構わないのだ。

 私のオリジナルでも無いし。

 そも、お金儲けしたいなどとは最初から思っていない。

 食を世界に広めるのも、世界の環境を整えるのも、全ては子ども達が笑顔で生きられる世界を作る為、なのだから。


「解った。セリーナを呼び出して、事情を聞いたうえでレシピを渡すか、それとも泳がせておくか…」

「ラールさん方式で現場を押さえましょう。その上で事情を聞いて協力を申し出ます。

 話を聞いて、セリーナがどうして木板を壊せたかもなんとなく解りましたし」

「え、どうして? 何故なんだい?」

 ラールさんは眼を瞬かせると私の方に眼を見開く。

 他の三人の大人も同じだ。



「その点については、話すと事が別方向に難しくなるので後ほど。

 …アル。セリーナの確保、頼んでいい?」

「解った」 

 アルならきっとセリーナを見逃したりしない。


 私は一歩前に出て皆に一礼する。


「皆さま、どうかセリーナとその妹救出にお力をお貸しください。

 ティラ様には最後の最後でご迷惑をおかけしますが…」


「気にしないで。王都の治安を守るのは騎士団ちょ…いいえ、騎士としての…私の務めです」

「店を守る為にも必要な事ですから」

「セリーナの事は前から気になっていました。

 助けられるなら、助けたいと思います」

「店の者は家族も同然、守るのも当然だ」


 頼もしい仲間の返事を胸に、私は家族を守る為の相談を開始したのだった。



 そして、翌日。厨房の入り口から私達はそっと中の様子を伺った。

 朝の仕込みでバタバタの厨房はみんな忙し気だ。


「…アル、どう?」

「大丈夫、ちゃんと見えてる。マリカは?」

「解るよ。多分、消えてる訳じゃなくって、意識されないだけなんだね。

 ラールさんが言ってみたみたいに」


 そんな中、セリーナはやはり不審な動きが見える。


 後かないから、だろう。行動はかなり大胆。

 何日もかけたであろう前回と違い、かなり積極的に書棚に足を運び、木板を壊しに行っている。

 それでも、ラールさんと多分私達以外には気付かれていないのは…多分。


「あ、やったな」

 

 セリーナの顔が安堵を浮かべたのが解った。

 スカートの中から同じくらいの大きさの木板を取り出し入れ替えている。

 ちょっと見や数を数えるだけでは解らないように。


「よし、行くぞ」

「うん」


 明るい笑顔で、私は厨房の扉を開ける。

「おはようございます。すみません、ちょっと急な賓客が入って、給仕に手伝いが欲しいんです。

 誰か…セリーナさん、手伝って貰えますか?」

「え、私、ですか? その、あの…」


 私は躊躇う様子のセリーナの手を引いた。


「大丈夫です。悪い様にはしませんから。妹さんも、必ず助けます」

「!」


 その言葉に凍りついたセリーナに、微笑って見せる。

 少しでも安心できるように。


 できるかぎりの、思いを込めて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る