世界を変える者 …皇国にて

 本店の人の流れは速い。

 開店は一の風の刻なのだけれども食数が定められているので、二刻。

 二の水刻まで持った試しがないのだ。




 だから、私は人気の少なくなったお店の中で、売り上げ計算をしている。

 店のテーブルで勉強に勤しむ皆の様子を見ながら。


「マリカ。この計算は、これで合ってるか?」

「見せて貰ってもいいですか? あ、おしい。ここまでは合ってるんですけど、ここの繰り上がりを忘れてますね」

「あ、そうか。しまった」

「考え方は合ってますからそのままで。後は間違えないように慎重にやりましょう」

「解った。ありがとう」


 席に戻ったイアンを見送りながら私は部屋を見る。

 勉強会の参加者も増えたものだ。

 最近は本店だけでなく二号店や三号店の人も大人も子供も、閉店後、勉強会にやってくるようになった。

 みんなきっかけがあれば、できるし、やれたんだなあと素直に思う。


 と、そんなことを考えていると店の裏扉が開いた。


「ただいま。屋台組も戻って来たぜ」

「全員無事、問題なし。私がついているのだから当然だけれどね」

「ティラ様、アル。おかえりなさい」


 私は立ち上がり、二人を出迎える。

 護衛騎士のティラ様は、私の往復の護衛の無い時間は屋台の護衛を手伝って下さっている。

 アル一人だと侮られるし、屋台二店舗を一人で見るのも大変だった。

 ティラ様が来て下さったおかげで、随分と販売計画がスムーズに進む様になった。とてもありがたい。


「あの…マリカさん?」

 見ればその後ろに屋台組の従業員たちもいる。

 伺うような様子の彼らに、私は声をかけた。


「あ、みなさんも勉強会に参加なさいます?」

「いいでしょうか? 今日は計算練習の日でしたよね。せっかくなので覚えたくて」

「勿論です。どうぞ」


 私は彼らを空いている席に促し、木札と、数字の一覧、それから掛け算九九の書いてあるボードを渡した。


「まずは数字を書ける様になること。数字と数を一致させることを練習して下さい。

 それからこの表を、丸暗記でいいので覚えてること。これは計算の基本ルールなんです。

 これを覚えれば、いろんな計算がぐっと楽になりますから」


 店員たちは頷きあい、席に座る。

 仕事が終ったら帰っていいのに、頑張ってるなあ。


「…ねえ、マリカ?」


 どこか伺うようなティラ様の声に、私は思い出す。

「あ、すみません。ティラ様。

 アル。ここを願いしてもいい? 今、厨房に行ってアルの分も昼食頼んでくるから」

「了解。頼むな」

「行きましょう。ティラ様」




 ティラ様を貴賓室に促し、私は厨房から本店自慢の日替わりプレートを貰って来た。

 ガルフの店は、従業員にも賄いがある。

 自分の店で売るものに愛着を持ってもらいたいからなのだけれど…


「お待たせしました。

 今日のメニューはベーコンパンケーキとオランジュのジュース、それからサーシュラのサラダです。

 デザートはビスコッティ。お口に合えばいいのですが…」

「これこれ、これが食べたかったのよ! 噂に名高いガルフの店のパンケーキ!

 今までの料理も勿論どれも美味だったけれど、パンケーキはいつ出るのか、と楽しみにしてたの」

「小麦粉の収穫の見通しが立ってきたので、お出しできるようになりました。

 それまでは備蓄の関係上、二週間に一回のスペシャルメニューだったんです」

「そうよね。その日にはいつもの倍の速さで行列ができると聞いていたわ。

 では、いただきます!」



 まーさか、貴族の奥様、もとい護衛騎士様まで賄いにハマるとは思わなかった。

 大きめに一切れを切って、ティラ様はパンケーキを頬張る。



「うーん、これこれ。

 焼きたてでふんわり、暖かくてほの甘いパンケーキに薄切りベーコンの塩気と油が不思議に合って…本当、幸せの味、って感じよね」


 口の中に入ったまましゃべる、なんて不作法はしないけれど、本当に美味しそうに食べて下さるのはとても嬉しい。


「はあ、オランジュのジュースも身体に染みるわ。

 街も地月に入って日差しが強くなってきたから、喉が渇くのよ。美味しいわ」

「ありがとうございます。貴族の方のお口に合うとしれば、厨房のスタッフも喜ぶことでしょう」

「できれば、早く貴族区画にも商業展開、して欲しいと思うのよ。

 貴族も使える高級店もあると聞くけれど。それでも下町に足を運べる貴族はそう多くありませんからね」

「…そうですか? ここに頻繁に足を運ぶ皇子様とか、身分を隠して賄い食べてる皇子妃様がいると思うのですけれど…」

「あら、言ってくれるわね」

「ヴィクス様がおっしゃっていましたよ。お二人を普通の貴族と思うな。お二人を基準にして貴族に接すると首が飛ぶぞ、って」



 我ながら気が緩んでいるというか、無礼なことを言っていると思うけれど、ここ数日、護衛という名目で下町にやってきていろんな意味で無双してらっしゃるティラ様。

 護衛期間中、二組の襲撃者と、一組の屋台狙いのゴロツキを蹴散らしている。

 本当に、貴族、皇族の貴婦人とは思えない。



「まあ、それは事実ね。あの人もそうだけれど、私も他の貴族の貴婦人とは違う自覚はありますから」

「他の貴婦人は、下町に変装して降りてきたりはなさらないでしょう?」

「勿論。貴族区画から出る事はまずないわね。城に住んでいる他の皇族方々は城から出る事さえ稀な筈よ」


 うん、やっぱりお二方は特別なんだ。

 私達庶民には、その方が親しみ持てるけれど。


「城や貴族区画に籠って皆様は、何をしていらっしゃるんですか?」

「宴に、器楽、ダンス、刺繍に遊興。騎士資格を持った者は城の警備や仕事もあるけれど、貴婦人方は殆ど家の中に籠り切り。

 本当に良く飽きないものだと思うわ」


 何百年のもの間、不老不死ということは色々な事ができるように思えるけれど、実際はそうでもないらしい。

 ティラ様じゃないけれど、同じ日々の繰り返しは飽きないのだろうか?




「ねえ、マリカ? ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」

「はい、何でしょう?」


 最後の一切れになったパンケーキをフォークに突き刺したまま睨むティラ様の、いやティラトリーツェ様の目が急に真剣な光を帯びる。


「この店では砂糖を、随分とふんだんに使っているわね?

 ベーコンには胡椒の風味も感じるわ」

「あ…ふんだんに、では無いですけれども。一応一日、一店舗の使用量は厳密に計算して使っているので。

 貴重品ですから」

「それは解っています。砂糖も胡椒もプラーミァの特産品ですからね」


 あ、そうなんだ。

 確かにどちらも南国原産の筈だし納得できる。


「食が世界に必要とされなくなっても、砂糖も胡椒も需要が無くなった訳ではないから今も生産されているの。

 生産国として素材の使用方法は熟知していたつもりだったけれど、砂糖を溶かして作る飴細工や、砂糖を固めた角砂糖を戦士が携帯するくらいでね。

 こんないくつもの材料と組み合わせる『料理』は知らなかったわ」


 貴重な香辛料や砂糖をふんだんに使って濃く味付けするのが貴族の『豪華な』料理らしい。



 心臓がバクンといやな音を立てる。

 だとしたら、生産国の…多分…王女様の前でやりすぎたかもしれない。


「それにね、胡椒はともかく貴女、この間館でパウンドケーキの作り方を教えてくれた時に言ったでしょう?

 使っている砂糖が違う、って。

 お土産のケーキの時も感じたけれど、ここで使われている砂糖はプラーミァの砂糖ではないと思うの。

 砂糖はプラーミァが生産の八割、隣国のエルディランドが二割のシェアで、他では作られていない筈なのよ。

 しかも作り方も原材料も二国は同じ、味はほぼ変わらないわ」



 ヤバイ、完璧にやり過ぎた。

 しかも、雑談を聞き流してくれなかったよ。この人。


 最後のパンケーキを飲み込み



「では、この店の砂糖はどこから手に入れているの?

 答えなさい。マリカ」



 彼女はそう問いかけてくる。

 

 護衛騎士、ティラから、第三皇子妃 ティラトリーツェに戻った貴族の追及に、私は、深呼吸して息を整えた。

 できるだけ、ニッコリと笑顔を作って悠然と…賭けに出る。



「企業秘密、です」

「マリカ」



 問い詰める、厳しい眼差しだけれども、怯まない。


「砂糖の秘密は、この店の命運を左右する重要なものです。

 いくら奥様のご命令でも、簡単には明かせません。

 奥様にはご理解いただける筈です」

「まあ、それはそうね」


 ティラトリーツェ様は、私が言うのも不遜だけれども頭が良い方だ。

 そしてライオット皇子の奥さんだ。なんだかんだで優しい。

 こちらの事情を無視して、貴族の地位を盾にゴリ押しするような方ではないと思う。


 ここで、私は子どもです~と、逃げる。

 ガルフに任せる。

 徹底的に誤魔化す、方法はいくつかある。


 でも、私が選ぶ、選びたいと思う選択肢は違う。


「これから、食が広がれば香辛料は勿論ですが砂糖の需要は否が応うにも上がります。

 プラーミァ国にとっては既得権益商品である砂糖の流通に対抗商品が出れば不安かとも思いますが、多分、今後いくらあっても足りないくらいになると思うのです」


 本当にこれは賭けだ。

 第二のこの世界に向けたプレゼンテーションと言ってもいい。


「今年の冬には、多分アルケディウスで砂糖の生産が始まると思います」

「アルケディウスで採れるものなの?」


 まだ皇子にも告げていない重大な秘密を明かす。

 驚きに目を見開くティラトリーツェ様に私は頷いた。



「はい。ですが期間限定。しかも手間と時間が尋常じゃなくかかります。

 できれば私達もプラーミァからの砂糖を購入したいくらいなのです。ですから…取引など、いかがでしょうか?」

「取引?」

「ティラトリーツェ様から、よろしければプラーミァ国に砂糖の増産をお勧め下さい。

 今の取引先が買い取り切らない量は、全てこの店で引き取ります」

「金貨の、それも数百枚から千枚単位の取引になるわよ」

「構いません。元は十分に取る自信がありますから。

 そしてプラーミァが望むなら、その砂糖の商品価値を高めるレシピなどを売ることもできます。

 そうすることで砂糖の単価そのものは下がるかもしれませんが需要は広がり、結果として利益は上がると思うのです」


 パンケーキなどは小麦粉がないとできないけど、砂糖さえあればできるものは山ほどある。

 砂糖を固めたキャンディに果汁を混ぜてみたり、タフィー、ファッジ、キャラメルなどを売りだせば十分に需要がある筈だ。


「レシピを売る、って店の利益が減ってもいいの?」

「構いません。私達の目的は利益ではないので」

「利益ではないなら、何?」

「世界を変える事。もっと言うなら世界中の子ども達が幸せに生きられる環境を作り、この不老不死世界に抗うことです」


 言った。はっきりと言った。


 絶句したティラトリーツェ様の驚くものを見るような表情が胸に痛い。


 当然だ。

 こんなことを言う子どもはいない。

 子どもが皇族に向けて砂糖の流通についてプレゼンテーションするなんて絶対にない。

 例え、教育を受けた大人であろうと無理だろう。

 不審に思われる、子どもと扱って貰えなくなる。解っている。

 適当に、私は子どもですよ~。難しい事、解りません~。と誤魔化すのが多分、正解だった。

 でも、私はこの方に嘘はつきたくない、と思ったのだ。


 

 もしティラトリーツェ様が、神の側の存在で、私達を危険な存在として訴えれば、それで終わり。


 でも、この方はあのライオット皇子と500年連れ添った奥方。

 不老不死世界でも輝く、強い光を放つ方。

 私という手札を全部等晒して、チップを全て乗せて彼女の協力を得る為に全てを賭ける。


 世界の歪みを、改善したいという思いを、この方は理解してくれると信じて。



 

 沈黙が場を支配する。

 短いような、長いような息を呑む空間は


「マリカ」

「はい」

「貴女、私の娘にならない?」

「へ? 娘?」


 唐突に、なんの脈絡も無く振って来た提案に緊張感ごと粉々に砕ける。

 確か前にもこんなことがあったような…


「貴女。ライオットの隠し子でしょう? 

 自分の隠し子をライオットがガルフに預け、養育させている。という噂を聞いた時には半信半疑だったけど今の貴女を見ていて納得したの」

「違います、違います。絶対に違います!」


 私は全力で否定する。

 ライオット皇子の名誉の為にも、ここで奥様に変な納得をされるわけにはいかない。


「隠さなくてもいいのよ。髪飾りの石も小指のカレドナイトも普通の貴族では用意する事もできない。

 城の他の皇子方々は、下町どころか城から出る事さえない。下町の子どもにしては賢すぎるし、精霊術も使ったでしょう?」

「…違います。理由は言えませんが、本当に違うんです」

「店主のガルフ抜きで取引を行う判断ができ、店員に教育を施せる立場。

 ただの料理人じゃないわよね。

 ガルフは誰かの指示と支援で店を始めたと聞いているけど支援者がライオットで、貴女を育てる為というなら辻褄も合うわ」

「奥様…」

「…何よりも、ライオットと同じ思考をしているもの。

 不老不死世界をもたらした者でありながら、誰よりもこの世界を嫌って変えようとしているあの人と同じものを見ている」


 柔らかく、寂しげに奥様は微笑む。

 胸が詰まる。

 この世界で孤独だった皇子をたった一人で、理解し支えた妻の眼差しで…、同時に何かを思い、哀しむ眼差しだった。


「…私はね、あの人の子どもが欲しかったの。

 だから、貴女のような娘ができるなら本気で可愛がるのだけれど。

 ついでに娘なら、レシピを聞き放題だしお金もかからないしね」

「あ、その辺は、例え親子になったとしても、割引や手心は加えませんが」

「あら? 残念」


 深刻な空気をワザと軽い口調で切り替えてくれたティラトリーツェ様に感謝しながら、私は彼女に真っ直ぐに向かい合った。


「私は、皇子の隠し子ではありません。

 宝石も、カレドナイトも、知識も、精霊魔術も、皇子とは別の所に由来します」

「そう…それでも構わないわ。私は、貴女を認めたのだから」


 合わせた目は真剣な光を宿している。


「マリカ。

 私はね、あの人とは違う理由で、今の世界、貴族社会、不老不死世界を恨んでいるの。

 壊したいと思うくらい、憎んでいるわ」

「奥様…」


 …静かで、噛みしめるような呟きが零れた。

 この瞬間、私は自分が賭けに勝利したことを確信する。

 やっぱりこの方はライオット皇子の奥方。私達の仲間。


「私は貴女達に協力します。だから、貴女達も協力して頂戴。

 貴族社会を、この国を、世界を変えていく事に」


 ならば、協力は当然のことだ。


「私達にできることなら喜んで」

「ありがとう」




 手が差し出される。私の前に真っ直ぐに。

 保護する騎士と、保護される娘ではなく、対等な仲間として、私達は手を握りあう。


 私は、この世界の挨拶は知らない。

 騎士が差し出す手は、自らの信頼と友愛の証だと。

 剣持つその手を相手に預けるという意味なのだと、知るのはずっとずっと後の話だ。



 最初から奥様は、私を信じてくれていた。

 その上で、私の本当の顔を引きだす為に、ワザと脅迫めいた追求を仕掛けたのだろう。

 多分、私があくまでしらばっくれて子どもを演じたら、追及を止めて普通の子どもとして接してくれたのではないかと後から考えると思う。


「さて、マリカ。

 では、本格的な商談交渉といきましょうか? 砂糖と胡椒の販売について。

 私は他国に嫁いだ者だから、あまり大きな権力はないけれど、兄王に提言と提案くらいはできるわ」

「はい、よろしくお願いします」


 結局、その後の交渉も、終始奥様のペースで事は運ばれたけれども、後悔はしていない。




 私は、私達は心強い仲間を、同志を手に入れたのだから。

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