魔王城の来訪者…死と再生…

 俺はガルフ。

 長い事、商人をしていた。

 小さいが王都に食料を扱う店を構え、確かな顧客にも恵まれ悪くない生活をしていた。


 …全ては過去形だ。

 俺は今、たった一人で森を歩いている。




 隠すつもりは無いので正直に言おう。


 今、俺は、死ぬ為の場所を探して歩いている。



 勇者が魔王を倒し、全ての人間が不老不死を得た勇者歴元年から今年で五百年になる。

 俺も五百と数十歳。細かい数字はもう忘れてしまった。


 飢えも乾きもせず、全く衰えない身体を世界中の人間が得て五百年。

 憧れた不老不死に喜ぶことができたのは、最初の十年も無かったろう。

 今では誰もが知っている。

 全ての人間が、不老不死を得ているということは、世を覆う不平等が永遠に続くということなのだ。と。


 世界の幸福の総数は決まっている。

 幸せになれる人間はごく僅か。圧倒的多数の敗者の上に、一握りの勝者が君臨するのが世の習いだ。


 それでも、かつては世界が巡っていた。

 勝ち組も世代交代し、最初は負けていてもいつか、上に昇れる可能性が、誰にでも、限りなく低くても残されていたのだ。


 けれども今は、それはない。

 勝者は永遠に幸福の椅子に座り続け、敗者は永遠に搾取され続ける。


 そして、命以外のものを殺され続けるのだ。




 俺はかつて店を構えていた。

 と言った。

 食料は、誰もが必要とする消耗品。

 丁寧に商えば食いっぱぐれはないと思ったし、事実そうだった。



 全員が不老不死を得た世界で、ある日、誰かが気付くまでは。

「食料を、摂取する必要はもう無いのではないか?」



 その日から、食料品を扱う店は無用の長物となった。

 食料を作っていた農家は換金手段を失った。

 料理人は仕事を失くした。


 一つの産業の消失は世界の歯車を狂わせる。

 混乱と狂乱の日々が過ぎ去った後に気付けば、勝者と敗者の差はもう決して覆せない程に強固になっていたのだ。



 職を失った俺は同時に家族も失った。

 妻は俺を捨て、望まれた富豪の元へと去っていった。


 最下層で五百年を生きた。

 そして…もういいと思ったのだ。



 このまま永遠に最下層で生き続けるくらいなら終わりにしよう。

 そう思って俺は死に場所を探した。


 最下層の者達の間で、噂話のように語られる魔王の城。

 荒れ狂う渦と波と崖に囲まれ船などでは決して足を踏み入れる事はできないが、この世のどこかに1カ所だけかの地に届く転移の門があるのだという。



 噂話と伝説を辿り、その祠に辿り着いたのは昨日の事。

 俺は確信する。

 この土地なら、俺は死ぬことができるだろう。

 と。

 遠き彼方、白亜の城が美しく聳えていた。




 俺は、死に場所を求めて歩き続ける。

 道の無い山道を進みながら、ここでナイフで胸を突けばいい。

 と何度も思った。


 それで終わる。

 亡骸は獣が腹に片付けてくれるだろう。


 けれど、歩き続ける自分の浅ましさに笑えてくる。

 どうせなら、せめて人間らしい場所で死にたい。



 やがて俺の我が儘な願いに応えてくれたのか、廃墟の街が見えて来た。

 ここで、死のうと決意する。


 一軒の家に入り、崩れた石を足場に梁に紐をかけた。

 輪を作り、首を通す。

 空に飛び、足場を蹴ればこれで、終わりだ。


 意を決してジャンプする。

「ぐ…あっ…」


 縄が喉にかかり、首を絞めつける。目の前にチカチカとした火花が跳んだ。

 意識が遠のき、目の前が真っ白になり、真っ黒になる。


 ああ、これで終わる。

 ようやく終わるのだ。

 そう思った時。


「お止めなさい! リオン!!」


 聞こえたのは澄み切った声と


 ダン!!

「うああっ!!」


 地面に落ちた自分の身体が立てた叫び。



「がほっ、ごほごほごほ…」

 喉に空気が一気に注がれる。

 我に返った俺の目の前に


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


 女神、いや少女が俺を見つめ佇んでいた…。




「…あ、お、俺は…」


 酩酊する意識に翻弄されなが、俺は少女に手を伸ばす。

 その瞬間、蒼いナイフが俺の手を弾いた。


「動くな! 彼女に触れる事は許さない!」


 冷えた金属の感触に俺の意識はやっと覚醒した。


 ナイフを構えているのは黒髪の少年。

 まだ子どもだ。

 けれど、こちらをキツく睨む様に隙は無い。

 動けば、確かに喉元を裂かれると解っていた。


「止めなさい。リオン。

 ああ、ご無事で何よりです。どうかご無礼をお許し下さいませ」


 少年を退けさせて、先ほどの少女が前に進み出た。

 深く丁寧なお辞儀をする様、整った身なり。清潔ですんなりと伸びた手足。

 知性と意志を湛えた目元。


 どこから見ても『子ども』だが、今まで見て来た『子ども』とは一線を画す。

 貴族、いや王侯の娘と言っても不思議はない気品を彼女は持っていた。


「お前は…誰だ?」



「彼女に対して、お前とは無礼な。よほど死にたいようですね」

 長い杖が、俺と彼女を遮った。

 仰ぎ見れば、今度は銀の髪の男が、俺を氷のような眼差しで睨んでいる。

 こちらも子ども。

 だが、見ただけで解る。

 言う通り、こいつは自分を簡単に殺せるし、殺すだろうと。


「フェイも止めるのです。

 失礼いたしました。私はマリカ。この島を預かるものでございます」


 優雅にお辞儀をして、彼女は俺に微笑みかけた。


「ああ、いけない。

 お客様をおもてなしもしないなんて、なんてご無礼を。

 どうか、お許し下さいませ。今、お食事をお運び致します」

「食…事…?」

「姉さま。お待たせいたしました」


 呆然とする俺の後ろをまた、子どもがすり抜けた。

 目の前の連中よりなお小さな娘が差し出したトレイを受け取り、少女は俺の前に置く。


 俺がさっき蹴り飛ばした石の上に。



「これは…なんだ?」

「食事でございます。粗末なもので申し訳ありませんが、お疲れでございましょう?

 どうか、召し上がって下さいませ」


 小さなカップに入れられた薄桃色の液体。

 白い皿に乗せられた、黄色の焼き物には肉片らしきものが貼りついている。


 ごくり、と喉が鳴った。

 鼻が香ばしく、甘い香りを運ぶ。

 ああ、食べ物の匂いを嗅いだのは、一体何百年ぶりだろうか?

 この身は、食物など必要としない、と解っているのに、身体が、心が空腹を思い出して、俺は知らず知らず、手を伸ばしていた。


 ごくりと、桃色の液体を喉に通す。

「ああっ!!」

 鮮烈な甘さが、身体を奔りぬけて行く。


 あとはもう止まらなかった。

 カラトリーを持つのももどかしく、俺は焼き物を掴み、頬張る。

 甘さ、しょっぱさ、やわらかさ、歯ごたえがまじりあって身体に染み込んでいく。

 俺は無言で、ただひたすらにそれを食べる。


「…おいしい…」


 涙と共に、思いが零れた。

 その言葉を紡いだのも、きっと何百年ぶりだ。

 もうとうに忘れてしまった、と思っていたのにこの思いを伝えるたった一つのふさわしい言葉を、どうやら身体は忘れていなかったようだ。


「良かった。たくさん召し上がって下さいませ」


 少女はそんな俺の姿を、幸せそうに見つめていた。




「何故、貴方ほどのお方が死を選ぼうとなさったのですか?」


 俺が食事を終えたのを見計らう様に、少女が問いかける。


「貴方ほど…って、俺は、最下層の元商人にすぎない。

 どこのご令嬢かは知らんが、あんたにそんなことを言って貰えるような相手じゃない」

「いいえ」


 顔を背けた俺を、彼女は即座に否定し手を握りしめる。


「私には解ります。貴方様は素晴らしい方です。

 唯人には見つけらぬ道を辿り、ここまで辿り着いたのですもの。

 どうか、お話をお聞かせ下さいませ。

 私にできることは、小さいかもしれませんが…お力になりとう存じます」



 重ねられた手は小さくて暖かい。

 人に触れられる感触も、本当に何百年ぶりかだ。

 そして俺を見つめる紫水晶のような瞳を前に、


 俺は

「俺の名は…ガルフ」

 いつしか語っていた。


 過去の全て、思いの全てをぶちまけるように。

 少女は俺の決して短くはない話を、口を挟まず、ずっと、静かに聞いてくれていた。


「だから…俺はもう、どうでもいいと、思ったんだ。

 もう、どうでもいい。オレには何もない。だから…死のうと思った」

「そうですか…お辛い思いをされてこられたのですね」



 俺の話を聞き終えた彼女は祈るように手を組むと、目を閉じる。


「ガルフ様」

「!」

 名前を呼ばれた。

 ただ、それだけなのに心臓を掴まれたような衝撃が走る。


「本当に、辛く、苦しい道を歩んでそれでも生きてこられた貴方様を私は、尊敬いたします。

 そして、感謝いたします。ガルフ様と出会わせて下さったことを」

「お、俺と…」

「ええ、貴方と」


 彼女が祈ると同時、梁に揺れていた紐が、粉のように弾けて散ってしまった。


「ガルフ様の道のりは、間違っていません。

 今までの困難、苦難はここに辿り着くための試練だったのです。

 私たちには貴方が必要だった。だから精霊は貴方をここに導いてくれたのでしょう」


 そうして、跪く。

 俺の前に。俺に向けて。


「マリカ様!」「マリカ!!」

 側近たちの静止も気にせず彼女は俺に向かい合う。


「ガルフ様、強き意志と魂を持つ尊きお方。

 我々にお力をお貸しくださいませ」



 俺の手を取り、膝を折り深く頭を下げる。

 最上級の礼が、偽りの無い思いが込められていると…解った。


「俺を…必要と…してくれるのか?」

「はい、心より…」




 俺の眼の奥と、胸が熱を帯びた。

 こんな、最下層の人間に膝を付けて、礼を捧げてくれる者がいるなんて。

 俺を、必要だと言ってくれる者が、いたなんて…。

 胸が躍る思いだった。


 最下層にいた俺が、誰かに必要とされるなんて。


 遙か彼方、数百年の昔に置いてきてしまった熱い思いが、情熱が蘇る。

 ああ、どうせ一度死んだ身だ。

 このクズのような身を、誰かに預けるのに、何を躊躇う必要があるだろう。


 目の前の少女が神であろうと、魔王であろうとも、俺を必要だと言ってくれるなら、全てを捧げてもなお余りある価値がある。




「…あっ」

「マリカ…様」

 俺は立ち上がり、膝をついてくれていた少女を立たせた後、跪いた。

 彼女が俺にしてくれたように。


「俺は薄汚い、場末の商人に過ぎません。

 ですが、貴方様が俺を必要だと言って下さるなら、全身全霊でお仕え致します。

 この命の全て…貴方様に捧げましょう」


「ありがとうございます。頼りにしています。ガルフ」





 最下層の商人ガルフは魔王城の島で死んだ。



 そして、マリカ様に仕える者。

 商人ガルフがここに、生まれたのだった。

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