少女の願い
城の中では無く、外を見に行ったのは虫が、いや、精霊が呼んだのかもしれない。
日が落ちるのが早くなり、薄暗くなった外を探すと中庭を見下ろす階段にエリセがいた。
…泣いていた。
膝を抱え、声を殺し…悔しそうにエリセは泣いていた。
「エリセ?」
私が声をかけるまで気が付かなかったのだろう。
「マリカ姉…」
ハッとした顔でエリセは顔を上げて、慌てて服の袖で涙で濡れた目元を擦う。
その横に、私は黙って腰を下ろした。
「あ、ごめんね。
黙って出てきて。ちょっと…そう、畑の様子が気になって…」
一生懸命自分の涙を誤魔化そうとするエリセの肩を、私はそっと抱きしめる。
「悔しかった…ね」
「…あっ」
私が、一言そう言った途端、エリセの心の堰が切れたようだった。
「うっ…うっ…うわああああああんん!!!」
エリセは泣き出した。
さっきまでの声を殺した泣き方ではない。
本当に、今まで溜めていた思い、全てが流れ出す様な、涙だった。
「くやしい。くやしい。くやしいよ…。
どうして、私にはギフトがないの? みんなの役に立ちたいのに。
マリカ姉みたいになりたいのに。
なんで、なんでアーサーやアレクにはギフトがあるのに、私にはないの…。
ずるいよ。くやしいよ…どうして、どうして…」
私の胸に顔を埋め、泣きじゃくる。
エリセの思いは理不尽で、我が儘で…でも…私にも覚えが確かにあるものだった。
同僚と同じか、それ以上に頑張っているのに認められるのは同僚だけ。
どうして、寝ないでがんばっているのに。
どうして、認めて貰えないの?
どうして、どうして?
そんな思いで、枕を濡らしたことが確かに在る。
今、思えば自分のミスや、不足もあったのだろう。
同僚だって努力していたのだと解っている。
でも、あの当時は同僚と自分を比べる度に悔しいと思った。
顔を合わせる事もイヤな程、憎いと思った。
そして、そんなことを思う自分が何より嫌だった。
このエリセはかつての私だ。
だから、私はその時して欲しかった事。
してもらって嬉しかった事をしようと思う。
「うん、そうだね。悔しいね…。
悔しかったね…」
それは、ただただ受け入れる事。
弱音を、思いを、何も言わず、聞いてあげること。
それだけでいい。
むしろ、他人はそれしかできない。
結局、嫉妬というものは、自分で、心に折り合いをつけるしかなくて、それができるのは自分だけなのだから。
心の滓を全て吐き出してしまうと、エリセも少し落ち着いたようだった。
「わたし…ね、マリカ姉みたいになりたかったの。
自分で、なんでもできて…、だれにもまけない…つよい女の子に…」
エリセの口調や、行動が随分と変わったことに、私も気付いていた。
アーサーやアレク、男の子たちに負けないように肩に力を入れ、私の真似をして子ども達の面倒を見たり、叱ったり。
片言しかしゃべらなかったエリセ。
自分より大きな男性に怯えていたエリセが、怯まず行動するようになった裏側にはエリセの強い思いがあったことも解っていた。
「おてつだい、いっぱいしたらマリカ姉みたいになれるかな?
がんばっておりょうりしたら、私もおにくがうごくかな、って…。
でも、ぜんぜんダメ…」
台所のお手伝いをしながら、肉を睨むエリセの姿は何度も見かけた。
微笑ましいと思っていたけれど、エリセの中ではどうやらかなり煮詰まっていたのかもしれない。
「ねえ、マリカ姉。
どうしたら、マリカ姉みたいになれるの?
どうしたら、ギフトが使えるようになるの? 私にはギフトないのかなあ。
私は、どんなにがんばってもマリカ姉みたいになれないのかなあ」
目元に雫をいっぱいに溜めて、縋るような目で私を見るエリセに、私はかける言葉を探した。
私は異世界から来た保育士だ。
成人もしているし、いろいろな教育も受けて来た。
子どもの形をしているけれど、精神は大人。
それと、正真正銘の子どもであるエリセを比べるのはあまりにも可哀想だ。
でも、エリセには私しかいない。
魔王城の住人に同性は私以外にいないのだ。
母親の記憶も無く、辛い思いをしてきたエリセにとって私は唯一、無二のモデルであるのなら、比べてしまうだろう。
自分と重ねてしまうだろう。
そうか。
やっと気付いた。
エリセの一番の嫉妬対象は、もしかしたら私だったのかもしれない。
私に手を伸ばして、でも届かなくて。
それでどんどん、先に進んでいく兄弟たちに劣等感を持った…。
「エリセは、エリセでいいんだよ」
私は、そっとエリセの頭を撫でた。
私の言葉では、解決にならないかもしれないけれど。
そう伝えることしかできなかったからだ。
「私達にはエリセが大事だし、他の誰も、エリセの変わりはできない。
私の真似をするんじゃなくて、エリセがやりたいことを見つけて、がんばれば、きっといつかギフトも目覚めると思う」
「私、やりたいことって、わからない…。
マリカ姉みたいになる、じゃダメ? マリカ姉みたいにはなれない?」
「無理に決まっています。
誰もマリカと、同じにはなれないんですから」
「フェイ?」
突然かけられた声にビックリして振り返ると、そこにフェイが立っていた。
銀の髪が月光を受けて揺れる。
魔術師の杖を持ってこちらを、氷にも似た冴えた瞳で見つめている。
ビクッと、怯えるようにエリセが身を固くしたのが解った。
私は、エリセの肩をそっと、腕を回し抱き寄せる。
「エリセ。
無理な夢を持つのは止めた方がいい。
エリセだけでなく、この世の誰もマリカと同じにはなれない。
目指しても決して届かない。
マリカはこの世界でたった一人の特別な存在なのですから」
「フェイ! 止めて」
エリセの顔が悲し気に歪んだ。
冷酷に冷徹に、フェイはエリセに宣告したのだ。
お前の願いは、決して叶う事は無いのだと。
それが、例え事実であっても、こんな形で子どもの夢や憧れを打ち砕くことは、私には許せなかった。
声を荒げた私に、けれどフェイは一瞥もしてはくれない。
「…でも、世界にただ一人のエリセには、なれるかもしれない」
「えっ?」
パチンとフェイが、杖を持たない手の指を鳴らす。
彼の手の中の杖が、虹色の光を帯びると同時
「きゃああ!」
エリセの胸元で同じ色の光が弾けた。
思わず目を閉じたエリセは、次の瞬間
「うわああっ!」
声を上げ、私の胸に縋りついた。
視線は虚空を右左と彷徨う。
何かの動きを追いかけているかのように。
「な、なに…これ?」
声は上ずり、私の胸に寄せた頭は離れない。
けれど
「すごい…キレイ…」
…エリセが見ているものは、恐ろしいものではないようだった。
むしろ、うっとりとした目でそれに魅入っている。
「どうしたの? エリセ? 何かが見えているの?」
「マリカも、見ますか?」
フェイがもう一度、指を弾く。
「わっ!」
目の前で光が爆ぜ、私も目を閉じた。
そして、もう一度目を開いた時、そこには違う世界が広がっていた。
「うわ~。妖精だ…」
私とエリセの眼前。
魔王城の中庭で、金色の妖精たちが光の中、楽しそうに踊っていた。
小さな羽根、愛らしい姿。
幼い頃、童話で見て憧れた、妖精の姿がそこにはあった。
くるくる、くるくる。
まるでバレエを舞うエトワールのように優雅に踊る妖精は、私達に気付くと深々とお辞儀をした。
そしてエリセの頬にキスを贈ると、また空に踊り出す。
くるくる、くるくる。
光の中を。
それは、本当に、夢のような光景だった。
「エリセ。精霊術の勉強をしてみる気はありませんか?」
「えっ?」
月が雲間に隠れ、精霊たちのダンスが見えなくなった後、ほう、と夢見る様な息を吐き出したエリセにフェイはそう告げた。
「君が首から下げている、マリカにもらったペンダント。
それは、僕の杖…シュル―ストラムの妹石。精霊が化身したものだそうですよ。
彼はその石が、君を気に入っていると言っています」
「このペンダントが、精霊が…私を?」
エリセが服の下からペンダントを引きだす。
フェイの杖と似た色のその石は、暖かく柔らかな光を放っていた。
「魔術師になることは、軽々には薦めません。
でも、精霊術士として精霊の力を借りて術を使う事は、杖や石があれば比較的容易です。
君がその気なら術の使い方を教える事はできます。
君はマリカにはなれない。
でも、この世でただ一人のエリセになることはできるでしょう」
優しく、微笑み諭す様に告げる兄を、エリセはペンダントを、ぎゅっと握りしめて見つめる。
「精霊術をべんきょうしたら、さっきみたいな精霊が、また見られるようになる?
フェイ兄と杖みたいに…私を気にいってくれたっていうこの石とおはなしできたり…する?」
「できない、とは言いませんよ。
全ては君次第ですが? どうしますか?」
「私、やってみたい。精霊術。
精霊さんたちとお話したり、力を借りたり、困っている事があったら、助けたりしてあげたい。
そして…いつか…」
エリセの思いが石にも伝わったのだろう。
また、ふんわりとした光を放つ。
エリセの手の中で。
「解りました。
でも、精霊術も学ぶ為には勉強がひつようです。
文字を覚え、呪文を覚え、発音を覚える。
焦らず、少しづつ進んでいきましょう」
「うん!」
風が雲を運び、月がまた顔を出す。
もう妖精たちの姿はどこにも見えないけれど、妖精たちはたしかにここにいるのだと思うと胸が熱くなる。
それは、エリセも同じようだった。
立ち上がって中庭を見るエリセの眼に、もう涙は無い。
しっかりと前を、目標を見つめる強い意思がそこには確かに生まれていた。
「ごめんなさい。フェイ兄…」
謝る私に、なんのことだか、とフェイは肩を竦めて見せる。
「僕はただ、妹を気にして煩いシュルーストラムの言う事を聞いただけです。
それに、妹を心配する兄の気持ちは解らなくもないですから…」
エリセには、誰かに自分が認められる、ということが必要だったのだろう。
それは、きっと私ではダメだった。
私ではエリセの思いの闇を晴らしてあげることはできなかった。
「はあ、まだまだ修行が足りないなあ…」
ため息をつく私に、フェイは何も言わず、ただぽんぽんと、頭を叩いて歩み去る。
私は一人っ子だったけれど。
それが本当の兄からの激励のように思えて、少しだけ…嬉しかった。
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