第四部 第四十二話 食堂にて
舞友の好物はそば。意外というべきか当然というべきか、宗次郎の好物と同じだった。
授業を終え、体育祭の準備に伴う会議を終え、お昼時というには少し遅い時間。人気が少なくない食堂へやってきた舞友は蕎麦を注文し、空いている席に着いた。
「はぁ」
せっかくの好物を前にして出てきたのは、小さなため息。
疲れている。
試験勉強に体育祭の準備、生徒会の仕事。やらなきゃいけないことが多いので体力的に削られていた。
そう話すと、嘘だと思われるかもしれない。削られているのは体力の方ではなく精神の方だ、と。
でも、それは違うという確信が舞友にはあった。
あの日。背中越しに兄の本音を聞いてからのことはよく覚えていない。泣いて、泣いて、泣いて。心はぐちゃぐちゃに掻き乱され、何も考えられないまま生徒会棟に戻ったのだろう。
あれ以来、兄のことは考えていない。考えたくもなかった。もはやいないものとして扱いたかった。
兄のことを考えなければ、精神的にはなんの不安もない。兄が試験に受かろうが落ちようがなんの関係もないのならば。
━━━やだなぁ。
何か別のことを考えようとして、次の授業を思い出してまたため息をつく。
次の授業で学ぶ活強は舞友が最も苦手とする実技科目だ。その分波動術の腕前については学年一と自負しているが、得意な授業ばかり受けるわけにはいかない。
「舞友、一緒にいいかしら」
「こんばんは、舞友さん」
「里奈、朱里」
食欲が湧かないままぼーっとしていたところで、生徒会副会長の数納里奈と会計の門之園朱里が話しかけてきた。
「珍しい気がします、舞友さんと一緒にお食事をするの」
「そういえばそうね」
朱里は生徒会メンバーの中で一番年下なので、よく面倒を見てあげている。憙嗣会計には悪いが、可愛い妹のように思っていた。
「里奈、あなたよく食べるわね」
「いいの。疲れてるから」
里奈が持っているのはトンカツ定食。メニューの中でもかなりハイカロリーなやつだ。同じく仕事で忙しいのでこのくらいなら大丈夫だろうという意図が見える。
舞友と里奈は同学年。実力が近いこともあって入学当初から仲良くていた。生徒会に入ってからも、役職は違えど公私共に仲良くしてきた。
親友。その言葉に一番しっくりくるのは、目の前に座る里奈だ。
なのに、こうして一緒に食事を取るのは随分と久しぶりな気がした。
「それで、何か用?」
「用というほどでもないけど、単刀直入に聞くわね」
とんかつにソースをかけながら里奈のメガネが光る。
「お兄さんとは仲直りしないの?」
「……本当に単刀直入」
気にしないようにしていた問題を突きつけられ、舞友は思わず顔を顰める。
宗次郎のあの発言は誰にも言っていない。ただ、舞友が宗次郎の勉強を見なくなり、距離を置いたことで周囲も何かあったと勘づいている。何も言ってこなかったが、まさか最初に里奈から言われるとは。絶対に角掛会長がお節介を焼いてくると思っていた舞友にとっては意外だった。
「悩んでいる人、放っておけないでしょ。それが友達ならなおさらよ」
「……里奈さん」
おろおろしていた朱里がつぶやく。
「ここ最近は顔も見てない。見たくもないし」
「……そう。こちらとしてはさっさと仲直りして欲しいのだけど」
「どうして?」
「苦情が来てるのよ」
苦情? と舞友は首を傾げる。
「誰から?」
「生徒から。最近、書記に話しかけづらくなった。雰囲気が怖い。ピリピリしてるって」
「……そんなに不機嫌そうにしてる?」
「そう、ですね」
朱里は答えにくそうに視線を逸らした。
「それはもう。だって舞友、お兄さんが来てから一度も笑ってないでしょ」
目の前に雷が落ちたような衝撃を受け、思わずそばを摘んでいた箸を落としかける。
思い返してみれば、思い当たる節しかない。言われてみればその通りだ。
「ごめんなさい。迷惑を掛けたわね」
「いいわ。掛けられたのは私じゃないから。何があったのか知らないけど、さっさと機嫌なおして頂戴ね」
「……」
「そうやって眉間に皺を寄せないの。もう、せっかく可愛いのに」
にこやかにする里奈に舞友も気を緩める。
「お兄さんのこと、お嫌いなんですか?」
朱里の優しい声に舞友は首を横に振る。
「さぁ。とにかく今は距離を置きたいの。この世にたった一人の家族だから、仲良くしたほうがいいのはわかってるんだけど」
頭では分かっていても、心と体がついてこないのだ。
あの発言を聞いてしまってからは、特に。
「気持ちはわかるわ。せめて朱里のお兄さんくらい妹を可愛がってあげていればねー」
「も、もう! からかわないでください!」
頬をぷくっと膨らませる朱里はそれだけで可愛らしい。
門之園憙嗣の妹への愛情は学院内でもよく知られていた。朱里も甘やかされている自覚はありつつもついつい甘えてしまうのだそうだ。仏頂面をしていても彼はちゃんと家族を思いやっている。
「家族って難しいわよね。舞友の気持ちもわかるわ」
「そう? 勢力の大きい貴族ほどではないでしょ?」
里菜の家族、数納家は穂積家より格上の貴族だ。本家や分家に別れ、親戚の数が覚えきれないくらいいるとなると問題も起きるだろう。
兄一人でこのあり様な舞友からすれば考えたくもない状況だ。
「……そうね。そうかも」
カレーをすくっていたスプーンを止め、里菜が遠くを見つめた。
「家族って厄介よね。近すぎるからこそ、誰にも相談できない。私も悩まされたわ」
「今は違うの?」
悩まされたと過去形で話す里奈に舞友は問いかける。
「もちろん。今はスッキリしてる」
「理由を聞いてもいいかしら」
「家族だからって無理に仲良くしなくていいってこと。所詮血が繋がっているだけの他人なんだから」
里奈の寂しげな表情に、これ以上プライベートについて突っ込むか話題をかえるか悩んでいると、背後から声がした。
「あっれー、舞友っちじゃん」
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