第四部 第四十一話 向き合う為に

「……おい? 宗次郎?」


「はっ、すみません。先生」


 正武家と一対一の授業中、ついぼーっとしてしまった。


 ━━━またやってしまった。


 前も正武家との授業中にぼんやりしていた。宗次郎は頭を振って意識を取り戻す。


「別のことを考えていたな、宗次郎」


「すみません」


 宗次郎は正直に頭を下げた。集中しているつもりでも、ここ最近はこうして注意されることが多い。


「気持ちはわかるがな。妹のことだろう」


「……はい」


 宗次郎の失言により、舞友との仲はこれまでではないかと思えるほど悪化している。


 一気に冷え込んだ兄妹仲は周りにも伝わっていた。生徒会の面々や鏡たち生徒に至るまで宗次郎や舞友を心配そうに見つめ、気にかけていた。


 何かあったんじゃないか、早めに謝ったほうがいい、などなど。


「仕方がない。何があったのか話してみろ」


「いいんですか? 授業中なのに」


「そんな状態で授業を受けても時間の無駄だ。さっさと話せ」


 ぶっきらぼうな口調ながら、正武家は姿勢を正して宗次郎を正面から見据えた。


 無愛想なこの女性が教師を務めているのはこの誠実さゆえかと納得した宗次郎は一通り話した。


 普段の舞友の様子。そして眞姫との出会い。漏れた本音。


 最後まで話を聞いた正武家は腕を組み、うめいた。


「それは、うむ」


 困り顔の正武家に宗次郎も申し訳なくなる。


「謝ったのか?」


「それすらできていません。というか、顔も付き合わせていないです」


 失言、というより本音を聞かれてから宗次郎はすぐに舞友を追いかけた。


「流石にあれはないわ〜」


 というシオンの呆れ顔と。


「……」


 ゴミを見るような目で見てくる燈と。


「宗次郎さん、ちゃんと謝ってくださいね」


 心底悲しそうな目をする眞姫に見送られて。


 だが植物園を出た舞友の行方は杳として知れず、日が落ちたあとになって舞友が生徒会棟に戻っていると燈からメールをもらった。


 やがて宗次郎も生徒会棟に戻ったものの、舞友とは会話するどころから顔すら合わせられず。


 明らかに避けられていた。


 舞友から勉強を教えられることもなくなった。その分燈や正武家から教わる時間が増え、どうしてもわからない場合は端末で眞姫に質問する日々が続いていた。


「といっても、何を話せばいいのかもわかっていないんですが」


 宗次郎は深くため息をついた。


 謝らなきゃいけないのは当然として問題はそれ以外だ。


 舞友がなぜあんなにピリピリしているのか、宗次郎はいまだに理解できないでいた。


「宗次郎は舞友とどうなりたいんだ?」


「普通に仲良くしたいです。たった一人の家族ですし」


 宗次郎は即答した。


 確かに九年もほったらかしにしていた事実はある。でもわざと舞友の目の前から消えたわけじゃない。あれは事故だ。


 急に変わり果てた家族と再会して戸惑うのもわかる。急に仲良くなれるなんて宗次郎も思っていない。


 なら時間をかけてでも話し合って距離を縮めればいいのに、なんであんなに距離を取ろうとするのだろう。


 宗次郎にはまったく持って理解できなかった。


「そうか。では質問をしよう。周りにいる仲のいい兄妹はどんな感じだ?」


「それは……」


 口をつぐむ宗次郎。


 仲のいい兄妹というと思い浮かぶのはやはり、燈と眞姫だろう。燈は眞姫を命より大切にしている。眞姫もそれに応えるように姉を思っている。


 他には生徒会会計の門之園兄妹もそうだ。兄の憙嗣は妹の朱里を溺愛している。角掛会長は憙嗣をシスコンシスコンとからかっている。


 無理もない。この前朱里が怪我をしたと知ったら、重要な会議をすっぽかしてまで保健室に駆けつけていた。


 それに比べたら、


「……俺、ダメ兄貴だ」


 九年もほったらかしにして、記憶も何もかも失って。穂積家の当主も妹に押し付けて。しかも成績が悪くて年下の学生より学力がない。


 記憶を取り戻してから宗次郎は舞友を対して意識していなかった。王城で第三王女の彩から話を聞いても、学院で出会うまで舞友を綺麗さっぱり忘れていたのである。


 それで眞姫みたいな妹が欲しいなんていった日には、もう。


「仲良くなりたいなんて虫が良すぎる……嫌われる要素しかない」


「そう落ち込むな。少なくとも無関心ではないんだ。これから修復していけばいいさ」


「無関心の方が悪いんですか?」


「それはそうだろう。無関心で意識すらされていなかったら、喧嘩すら起きない。文字通り何もない無だ」


 ふぅと一息ついて正武家が背もたれに体を預ける。


「私のように天涯孤独の身からすれば、喧嘩する家族が有るだけましというものだ」


「……」

 その発言は卑怯すぎる、と宗次郎は口をへの字に曲げた。


 何をどう言い訳にしても嫌味にしかならない。


 それは同時に、兄妹は仲良くしてもしなくてもどちらでもいいという気遣いも含んでいたのだが、宗次郎には届いていなかった。


「そうですね。父も母もいない今、妹はただ一人の家族ですから」


 逃げるわけにはいかないのだ。と宗次郎は両頬をぱんと叩く。


「その意気だ。陰ながら応援している」


「ありがとうございます。……その、すみません」


「何がだ?」


「先生の家族のことまで話させてしまって」


 宗次郎はペコリと頭を下げた。


 生徒と教師がする会話ではない。プライベートの中核を抉るような内容に正武家は苦笑した。


「いいさ。こんな機会でもないと話さないしな。慣れたよ」


「慣れた?」


「あぁ。私が一人になったのは学院に入る前だ。もう二十年以上昔の話だよ」


 正武家は遠い目をしてポツポツと話し始めた。


「父も母も研究者で、学者としては優秀だったらしいんだが、お金に疎くてね。とても貧乏な少年時代だったよ。この学院に入っても学費は奨学金で賄った。けれど、私は両親を尊敬していたんだ。自分たちの使命を全うしていたからね」


「使命?」


「あぁ。我が一族が代々負ってきた使命があったんだ」


 ふふ、と軽く笑う正武家。


「どうして、そんな話を俺に?」


「可愛い生徒だから、と言うのは半分冗談でね。私にも妹がいたからさ」


「!?」


 驚く宗次郎に正武家は続ける。


「ま、色々あったんだよ。色々。もう会えないけどね。そういう訳だから、話す機会があるだけ前を向けるだろう?」


「……そうですね。善処します」


 その励まし方に思うところはあれ、宗次郎に口を挟む余地はない。黙って頷いた。


「そんな辛そうな顔をするな。私は大して気にしていないんだ。妹についても、もう会えなくてよかったと思っているよ」


「え?」


「家庭の事情、というやつさ。さっきも言っただろう? 歴史が古いせいか、色々とあるんだよ。使命ってものがね」


「会いたいとかは思わないんですか?」


「……思わないな」


 諦め切って正武家が肩を落とすと、授業の終了を告げるチャイムが鳴る。


 そして、トントンと扉を叩く音がした。


「どうぞ」


「しっつれいしまーっす!!」


 扉をぶち破らんばかりの勢いで入ってきたのは生徒会会長の角掛明。テンションがハイになっているのか、スキップしている。


 角掛会長の後に続くのはいつもの通りクールな門之園兄だ。正武家の存在に気づいて頭を下げている。


「先生、お疲れ様です」


「お疲れ。どうかしたか?」


「宗次郎、今いいか?」


「なんです?」


 人懐っこい笑みを浮かべてこちらを向く角掛会長に宗次郎は警戒した。


「体育祭の件でね。宗次郎、体育祭の競技には参加しないんだってな」


「まぁ、そうですね」


「しかしだ」


 角掛会長が指をクルクルと回しながら部屋をうろうろし出した。


「せっかく学院にいるのに行事に参加できないのは、生徒会長としてどうかと思うんだよ。それに生徒からたくさんの要望書が来てるんだ。宗次郎を参加させて欲しいってさ」


 三塔学院の体育祭は全校生徒を四つの班に分け、個人競技と団体競技で競い合う。日程は二日に分けて行われる、学園祭と並ぶ二大イベントの一つだ。皐月杯のように直接的な戦闘はせず、あくまで波動を使った競技が中心になる。


 宗次郎が入学した時期に班分けは既に行われていた。天斬剣の持ち主、かつ十二神将に匹敵する宗次郎を入れると班のパワーバランスが崩れてしまう。


 ━━━俺じゃあ手伝いはできないしな。


 得点の記入や小道具の運搬、生徒の移動などは生徒会及び体育祭運営委員が行う。


 角掛会長は宗次郎をなんとか出場させるよう働きかけてくれたのだが、当の宗次郎が勉強と部活に明け暮れていてそこまで体育祭に興味を持てていなかった。


 ぽっと出の宗次郎が参加しても足手纏いだ。そのため見る専になるつもりだったのだが。


「そこで!」


 バァーンと効果音が出そうなほど大袈裟に両手を広げ、角掛会長がこちらを向いた。


 孔雀かな、と思ったが口には出さず、宗次郎は黙って聴く。部屋の隅でやれやれとため息をついている門之園兄との対比がすごい。


「俺なりに頭を働かせ、新競技を考えたんだ! これを見てくれ!」


 三枚程度にまとめられた紙を受け取り、内容に目を通す。


「この競技なら班のパワーバランスを考えなくていいし、見る側も楽しめるだろう? 体育祭運営委員と教師陣の許可は取り付けた。あとは宗次郎、君だけだ」


「……嫌なら嫌と言っていいぞ。明の思いつきに付き合う必要はない」


「おいツグ、そこは応援してくれよー。宗次郎の青春がかかってるんだぞ?」


「競技に参加するだけが体育祭じゃない。運営側の手だって足りてないんだぞ」


「そーだ! 宗次郎に競技の解説をしてもらうのはどうだ!? 絶対に面白いぞ!!」


「……」


 このひらめきはもしかして俺天才かと顔を綻ばせる角掛会長に、声にならないため息を吐く門之園兄。


 周囲を動かせるエネルギッシュさと周りのサポートに徹する冷徹さ。いいコンビだなーと他人事のような感想を抱く宗次郎に、角掛会長のウインクが飛んでくる。


「体育祭に参加するとなると、俺たちと打ち合わせをしないといけないしな」


「……」


 ━━━ほんと、この人は気遣い上手というかお節介というか。


 宗次郎は自分の力不足を恥じた。


 体育祭の準備で忙しくしている舞友と話す機会もあるだろう、と。角掛会長はそう言っているのだ。


「わかりました。この新競技と解説、やりましょう」


「そうこなくっちゃな!! よぉし、早速手配してくる! 夜にまた話し合おう!!」


「……失礼します」


 嵐のような男たちが風雲急を告げて部屋を出て行った。


「さすがだな。あの男は」


「全くですよ」


 宗次郎は椅子に深く腰を下ろした。


 宗次郎を体育祭に参加させたい。その対価として舞友と仲直りする機会を与える。


 側からはそう見えるかもしれないが、そうではない。


 宗次郎に学院生活を楽しんでほしいのだ。角掛会長の真意はそれだけだ。


 だから体育祭にも参加してほしいし、妹とも仲直りしてほしい。


 対価ではなく、相乗。これが角掛明という男なのだろう。


 自分より年下でありながら人間ができている生徒会長に宗次郎は感心するばかりだった。

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