第一部 第二十九話 剣(つるぎ)なしの姫君 その4
宗次郎の捜索は、思っていたほど時間がかからなかった。
もともと割り当てられた範囲がそれほど広くないのと、祭りの騒ぎにかこつけて外出をしている家が多かったため、聞き取る機会が必然的に減ったからだ。
聞き取り自体は最初こそ緊張したものの、燈からもらったやる気のおかげでなんとかなった。
ある初老の老人には振られた恋人に未練がましくつきまとうストーカーと勘違いされたが、なんとかごまかした。
━━━もうこの先は別荘か。
時刻は四時を過ぎている。五時間にも及ぶ調査の結果はシロ。シオンを見かけた人間は誰もいなかった。
結果だけ見れば徒労に終わってしまったとしても、宗次郎は自分ができることをやった。
燈との約束は守ったのだ。
「あ」
靴紐がほどけている。歩き回ったせいだろうか。
宗次郎はしゃがんで靴紐に手を伸ばした。
「ワン! ワン!」
「のわ」
前方から鳴き声がしたかと思えば、犬に抱きつかれた。
「あれ? この犬━━━」
容赦なく顔を舐めまくってくる犬に、宗次郎は見覚えがあった。
神社で出会った老婆が連れていた犬だ。
「ごめんなさーい」
案の定、遠くから老婆が小走りにやってきた。
「あら、あなた。無事だったのね」
頭に包帯を巻いている。宗次郎はニュースで、老婆が怪我をして入院をしていると報道されていたのを思い出した。
「どうも。運が良かったみたいです」
頭を下げると、再び犬が抱きついてきた。
「ごめんなさいね。病み上がりだからついリードを離してしまって。でも珍しいわね。ブンちゃんが会って二回目の人にこれだけ懐くなんて」
「そうなんですか」
初対面では地べたに寝そべっていたブンちゃんは、今では尻尾を千切れんばかりに振り回りながらスリスリと身を寄せている。
せっかくの機会なので、宗次郎はしゃがんでブンちゃんを撫でた。ふわふわの毛並みが気持ちいい。
「かわいいですね」
「ふふふ、そうでしょう。ね、あなた。お名前は?」
「穂積宗次郎と言います」
「私は
怪我を感じさせない元気な笑みを浮かべている。
━━━一応、聞いておくか。
毎日街を散歩しているのなら、もしかしたらシオンを見かけているかもしれない。
宗次郎は端末を取り出して写真を見せようとすると、老婆が堰を切ったようにおしゃべりを始めた。
「あなたは無事だったの? よかったわ」
「ええ。おかげさまで」
「世の中、物騒になったわよね〜。昔は設備不良を起こすような神社じゃなかったのに」
「そうなんですか?」
「そうよ。昔は藤宮さんて宮司がいたんだけど、それはもう立派な方で━━━」
ピロピロピロと、話を遮るように端末が鳴り出した。
「失礼」
「ええ。忙しいようだから、私はこれで」
まだ話し足りなさそうにしながら、老婆は犬に引っ張られていった。
宗次郎は手を振って、宗次郎は懐から携帯端末を取り出した。
相手は燈だった。
「もしもし」
「出るのが遅いわよ。何かあったの?」
「なんでもないよ。それより要件は?」
「進捗確認よ。聞き取りはどう?」
「一通り終わったよ。目撃情報は特になかった。そっちはどうだ? 見つかりそうか?」
「まだ気配はないわ。人気の多い場所では来ないのかしら」
燈は自分を囮にしてシオンをおびき出すつもりだ。昨夜の会議でも、自分が担当するエリアと捜索する順番を周りに伝えていた。裏切り者からシオンに情報が伝わっているのなら、仕掛けるタイミングは早くて今日だ。
「とりあえず、別荘にいる練馬さんに報告してくる」
「そうね。もし練馬から指示があったら私に報告しなさい」
「わかった」
「お疲れ様。それじゃ」
「ああ、また」
電話を切ると、自然とため息が出た。
疲れよりも心配が先に来る。燈は大丈夫なのだろうかとつい思案してしまう。
もちろん宗次郎が気にかけたところでどうにもならない。燈とシオンの戦いに割って入っても、燈の足を引っ張るだけだ。
わかっているのだ。頭では。
「はあ」
モヤモヤを抱えたまま帰路につく。
「ん?」
郵便受けに手紙が入っていた。
━━━今時メールで済むのに、手紙なんて出す奴がいるのか。
呆れながら宗次郎は手を伸ばした。
「……マジか」
手紙に差出人の名前はなかった。否、名前を書く必要すらなかった。
裏面には、丸印の中に天の文字が刻まれたマークがあった。
━━━またかよ!
間が悪いどころか、ここまで縁があると何かの呪いなのではと勘ぐりたくなる宗次郎。
「いや、嘆いている場合じゃない」
端末を取り出して燈に電話する。リダイヤルすればすぐだ。
「もしもし。宗次郎、何か伝え忘れたの?」
「違う。そうじゃない。ポストにシオンからの手紙が入ってた」
「まあ」
まあ、で済ませるあたり燈は冷静だ。うなだれている宗次郎は自分がなんだかあほらしくなる。
「どうする?」
「……これから現在地を送るから、手紙を私のところへ届けなさい」
「わかった」
電話を切り、懐に手紙を忍ばせる。すぐにメールで燈のいる現在地が送られてきた。
端末で移動時間の目安を図ると、徒歩で二十分らしい。
━━━結構遠いな。
宗次郎は森山愛用の自転車を拝借して、別荘を飛び出した。
幹線道路を渡って市の反対側に向かう。多くの人が行き来する姿を見ながら、ひょっとしてシオンはいないかと探す。金髪の女性はそれなりにいるが、堂々と昼間に歩いてはいないようだった。
━━━燈の読み通り、か。
四日間に及ぶ捜索で尻尾をつかませなかったシオンは、燈が外出した途端に行動を開始した。
自分を囮にした燈の作戦は大成功を納めたのだ。
もしかしたら裏切り者なんていないかもしれないという宗次郎の甘い希望も粉々に打ち砕かれてしまったが、それはそれだ。
ペダルを漕ぎ続け、宗次郎は急いだ。慌てすぎて人にぶつかりそうになりながら、なんとか燈のいる裏路地へたどり着いた。
「こっちよ」
「悪い。待たせた」
「いいから。手紙」
自転車を降りて、懐から手紙を出して燈に渡す。
燈は封を切り、取り出した中身をじっと見つめた。
「何が書かれていたんだ?」
宗次郎の疑問に答えるように、燈は手紙を返した。その内容は、
『
いたってシンプルだった。
「これだけか?」
「そうみたいね。公園の場所は知ってる?」
「いや、この辺りはほとんど来ないから。調べてみる。」
鹿角公園は市のはずれにある公園のようだ。南東にある別荘から見て市の反対側にあった。
「ここからなら近いみたいだ。徒歩十分だってさ」
「行きましょう。二人乗りはできるわよね」
「え」
「あら。私に運転させるつもり?」
すでに燈は自転車の荷台に腰をかけていた。楽する気満々だ。
二人乗りどころか、基本歩きで出かける宗次郎にとって自転車の運転は久しぶりだ。
━━━まあ、やるしかないか。
宗次郎に拒否権はない。諦めてハンドルをしっかりと握りしめ、サドルをまたぐ。
「じゃあ、よろしくね」
「ああ」
二人分の体重を支えるサドルを漕いで宗次郎は発進した。
土地勘がないので、何度か立ち止まりながら先へ進む。見兼ねた燈は端末を片手に後ろから指示を出してくれた。おかげで苦労なく目的地周辺に着いた。
「あれ?」
地図には酒屋の隣に公園の入り口があるとされているが、公園が見当たらない。
「道を間違えたかな」
「違うわ。ここでいいの」
首をひねる宗次郎をよそに、燈は自転車から降りて歩き出した。自転車を押しながら燈の後を追う。
「ん?」
薄い膜を通り抜ける感触があり、気づけば公園の入り口が見えていた。
「人避けの結界ね。結界自体の
入り口の両脇には波動符が貼られていた。どうやら場所を隠して、波動師にしかわからないようにしているらしい。
中は当然のように人がいない。宗次郎は適当な場所で自転車を止めた。
「罠が仕掛けられてないか見てくるから、ここでじっとしていて」
「わかった」
燈はそう言うと公園の周囲を探索した。
一人になった宗次郎は公園を見渡す。公園にしてはかなり奥行きがあり、靴をずらすと砂のジャリジャリした感触を味わえた。面積は広いのに遊具の数は少ない。今日ほど晴れていればさぞ子供達が楽しくはしゃいでいただろうに、使われていないままピクリとも動かない様は暮石のようだ。
結界に遮断されているから外の喧騒も入ってこない。この一帯だけゴーストタウンと化していた。
喉が渇いて給水機の水を飲む。緩いそれを飲み干して、宗次郎は時計を見る。
━━━三時半、か。
手紙に書かれた指定時間は午後六時。あと二時間半で、燈とシオンの戦いの幕が上がる。
宗次郎は身震いした。
「お待たせ。罠はなかったわ。シオンも粋な決闘場を選んだものね」
燈は戻ってくると近くにあったベンチに腰を下ろした。子供が怪我をしないよう、角が丸められている。
宗次郎の所感では、燈はいつもより少しだけ朗らかそうに見えた。シオンとの勝負で勝ちを確信しているというより、探す手間が省けてホッとしている感じだ。
「あなたはどうする? ここに残ってもいいし、帰ってもいいわよ」
戦いが始まればもちろんこの場から立ち去るしかないが、それまでは自由にしていいらしい。残りの時間。燈、シオン、儀式を楽しみにしている国民全員の運命が決まるまでの時間。
宗次郎はどう過ごすかと問われれば、それはもちろん。
「残るよ。何もできないことに変わりがないなら、最後まで関わりたい」
「それがいいわね。あなたも毒の波動符について文句の一つでも言っておきたいでしょう」
「ああ」
燈もわかっているのだ。宗次郎がこのまま別荘に戻っても、これから始まる戦いが気になってしまうのだろうと。そうなれば挙動不審を練馬に心配されてしまい、宗次郎は嘘がつけずにこの決闘をしゃべってしまうに違いない。決闘に間に合うよう練馬は小隊を集結させるだろうが、そうすればシオンはこの場に現れないかもしれない。
せっかく手にしたチャンスを無駄にするわけにはいかないのだ。
「天斬剣のありか、わかるといいな」
「あら、いい心がけね」
「?」
「あなた、私が負けるとは考えてないでしょう」
「そりゃあ」
当然だ、と声を大にして言いたかった。
負けは燈の死を意味する。波動師の決闘なのだから当たり前だが、シオンは燈に強い殺意を持っているのだから尚更だ。
負けるなんて考えるだけでもおぞましかった。
「隣、座っていいか」
「どうぞ」
宗次郎もベンチに腰を下ろした。ちょうど端っこ同士に座っている形になる。
━━━俺は、燈を信じる。
宗次郎は拳をぎゅっと握りしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます