第三部 第五話 波動庁 その5
「あ”〜、疲れた」
宗次郎は情けない声を上げながら布団の上に寝転んだ。
疲れの蓄積した体をふかふかの布団が包んでくれている。まるで全てを受け入れてくれるようだ。
ここは首都にある宿の一室だ。波動庁には宿泊施設はなく、王城には明日向かう。玄静の屋敷はここから遠い。なので、四人で一泊することにしたのだ。
二人が寝泊まりできるこじんまりとした部屋は年月の経った畳と木の独特な匂いがする。窓の外はすでに薄暗く、曇り空と星あかりが見事にマッチしていた。
夕飯は宿の人が用意してくれたさつまいもご飯が最高に美味しかった。お風呂も広くのんびり入れたので、あとは寝るだけだ。
「お疲れ宗次郎。つっても自業自得だけどね」
「うるさいぞ玄静」
ちょうど風呂から出てきた玄静を恨みがましく見つめる。
玄静のいう通り、この疲労感も全ては自業自得だ。逮捕権がないにも関わらず、庁舎で脱走した囚人に暴力を振るってしまった。本来なら問答無用で刑罰に処されて然るべきだ。
それを、
職員が人質に取られ緊急を要していたこと、
大ごとにならず極秘裏に処理できること、
そして何より現場に居合わせた職員たちが宗次郎を庇ってくれたために、囚人の暴挙自体を闇に葬った。
起きなかったことにしたのだ。
こうして宗次郎には正式に処罰されはしなかった。
まぁ、代わりに燈から死ぬほど怒られたが。
「いいじゃないの。波動庁の職員はみんな宗次郎に感謝してたんだし」
「そりゃ、な」
燈の説教から解放されたあと、助け出された女性職員のみならず多くの八咫烏から感謝された。おそらく百人以上はいたと思う。
「ちょっといいかしら」
「いいよー」
ノックに玄静が軽い返事をする。
宗次郎が布団の上であぐらをかくと、風呂上がりの格好をした燈が入ってきた。長い銀髪をまとめ上げていて、いつも見えない首筋と頸に視線が吸い寄せられる。
━━━なんか、風呂上がりの格好っていいな……。
八咫烏が着る黒い羽織姿の燈ばかり目にしているせいか、薄着だと妙にドキドキしてしまう。
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
雑念を振り払うように頭を振ると燈に心配された。
「それで、何しにきたのさ」
「明日の予定について、最終確認に」
「ふーん」
玄静は燈と宗次郎の顔を見比べて、よし、と言った。
「じゃ、僕は外の散歩に行ってくるよ」
「お、おい」
「んじゃ、ごゆっくり〜」
玄静は手をひらひらとふり、部屋を出て行ってしまった。
「なんだってんだ?」
「さぁ、気遣いのつもりなのかしら」
ため息をつく燈の手に握られている紙の束に宗次郎は冷や汗をかいた。
装甲車の中でずっと睨めっこしていた、皇王国の要人についてまとめた資料だ。
「あー、俺も散歩に行こうかな」
「……」
無言の視線は青い瞳と相待って氷の如く冷たい。冷凍庫にある氷に手を突っ込んだような寒気が宗次郎の全身を襲った。
「お手柔らかにお願いします」
「もう、しょうがないわね」
どこか呆れたような燈の声は、少しだけ柔らかさがあるような気がした。
燈が最後の仕上げをしてくれたおかげで、どうにか要人の顔と名前は一致してきた。
「やっぱり燈は教えるのが上手いよな」
「そうかしら? 宗次郎の物覚えが悪くないからよ」
資料の置かれた丸い机を挟んだ向かい側に座る燈。優雅な微笑むよりも組んだ足の艶かしさが、なんか、すごい。
━━━俺、今日どうした?
宗次郎は内心で自分を叱責する。
やたら燈が色っぽく見えてしまう。緊張しているのだろうか。
「どうかした?」
「いや、なんでもないよ。それより━━━」
高ぶる感情をどうにかすべく、宗次郎は頭を思考で満たした。
「今日は波動庁に連れてきてきれて、助かった。ありがとう」
「別に感謝するほどでもないわよ」
「それでも、さ。今日は明日の事前準備だったんだろう?」
「……あなた、そういうところは気がまわるのね」
燈は感心しているのか呆れているのか、よくわからない顔をして足を組み直した。
宗次郎の経歴は特殊だ。この一年は記憶をなくし、療養に励んでいた。
燈は、今まで大勢の人間と挨拶を交わす機会がなかった宗次郎を、いきなり王城へ連れて行くのはまずいと判断したのだ。
だから前もって、多くの人と関わる機会を宗次郎に与えた。
現に、宗次郎は多くの職員から声をかけられた。囚人の脱走という想定外のトラブルを解決する前から、だ。
燈はこの状況を予測して宗次郎を波動庁に連れてきたのだ。
「明日はもっと多くの人から声をかけられるんだろうな」
「どうかしら。数は少ないと思うけど……」
「けど?」
「私に敵対心を抱く人間もくるわ。それは心に留めておいて」
燈は貴族を快く思っていない。また、兄弟である他の王族とは王座を狙って争う間柄だ。
「だろうな。そういえば、明日はどんなスケジュールなんだ?」
「朝一で王城へ行って、式典用の衣装を揃えるわ。お父様への謁見は午後から。夜には妖の討伐を記念して、簡単な式典が執り行われるそうよ」
「ふぅん」
宗次郎は視線を窓の外へと向ける。
上空に漂う闇の帳と地上の家屋からあふれる光の境界線。その向こうに、一つの巨大な石垣がそびえていた。
石垣の高さは三十メートル以上あり、その上に白亜の城が立っている。堀にある湖を含めれば
大皇城。
宗次郎たちが明日訪れる、皇王国の中心地だ。
「……」
「……やっぱり、思うところはある?」
「そりゃ、な」
宗次郎は視線を戻さず、短く返事をした。
王族である燈と違い、宗次郎は大皇城とは無縁の生活を送ってきた。外から見たことはあっても中に入ったことなどない。
なのに、感慨深さとなつかしさ、ほこらしさが混ざったような感覚が宗次郎の胸の中にあった。
その理由はただ一つ。
宗次郎が、初代王の剣と呼ばれる英雄その人だからだ。
今より千年前。天修羅と名付けられた魔神が宇宙より飛来した。天修羅は人々を妖という化け物に変え、その強大な力で大陸の七割を支配してみせた。
その魔神を討ち果たした英雄こそ、初代王の剣。その名の通り、皇王国を建国した初代国王、皇大地の剣として戦った戦士だ。
英雄譚『王国記』においてその強さは、「その神速の動きは何者もとらえることができず、その斬撃はあらゆるものを両断した」とされている。
━━━あの当時は、まさか自分が歴史に登場する英雄になるなんて思ってもみなかったな……。
時間と空間を操る宗次郎は十三歳のときに波動を暴走させ、千年前の過去にとんだ。そこで皇大地と出会ったのだ。妖との激しい戦闘のせいでなし崩し的に行動を共にするうち、宗次郎と大地の間に硬い信頼関係が生まれた。
宗次郎は、「英雄になる」という夢を。
大地は、「誰もが幸せに暮らせる国を創る」という夢を。
互いの夢に後をかけて戦ったのだ。
結果として八年にも及ぶ長い戦いの末、宗次郎は天修羅を倒した。自分の夢をかなえ、大地の夢の足掛かりを作ったのだ。
つまり、向こうに見える城はかつての友、皇大地が夢をかなえた証なのだ。
━━━そうだ。あいつは夢を叶えたんだ。なのに……。
それに比べて自分は。そう思いかけて宗次郎は思考を止める。
宗次郎は千年前、天修羅を倒し、英雄になるという夢を叶えた。
そして、現代へと戻ってきたのだ。
時間の波動を駆使し、体内時間を停止させ、千年間の眠りについて。
うまくいくかもわからず、結果記憶と波動を失っても。
主である皇大地や、共に命をかけて戦った友と別れを告げてまでも。
なぜ現代に戻ってきたのか思い出せないせいで、こうして自責の念に苛まれる。
さらに悪いことに、宗次郎は大地と別れる際に約束をしたらしいのだが、その内容すら思い出せていない。
━━━いや、待て。焦るな焦るな。
宗次郎は自分の落ち着かせるため、深く息を吸い込んだ。
記憶については徐々に戻りつつある。焦ったところでどうにかなるものでもない。
今果たすべきは、燈と交わした約束。大地との約束については燈の剣になってから考える。
「とにもかくにも明日か」
「……えぇ」
いつもてきぱきとし、無駄のない行動を好む燈の返事が、少し遅れる。
その変化を、王城をずっと見つめていた宗次郎は気づかなかった。
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