第一部 第三十話 剣(つるぎ)なしの姫君 その5

 夕暮れと真昼の中間程度の日差しを浴びながら、燈は隣に座った男を横目で見つめた。


 宗次郎は本当に素直だ。触れたら葉を閉じるオジギソウのように、こう反応するだろうと予測して行動すると、その通りにする。からかい甲斐の塊のような男だ。


 燈自身、シオンとの戦いで負けるだなんて微塵も思っていなかった。


 燈の属性は氷。放出すれば物体を凍らせ、大気中の水分から氷を具現化する。本気を出せば広範囲を凍結させられる強力な属性である。


 もちろん万能ではない。冷気のコントロールが難しく、下手に大技を放つと周囲にも被害が及んでしまう。


 神社での戦いではその欠点が露呈し、不覚を取ってしまった。


 しかし、この公園は別だ。神社のように破壊してはいけない建物も、巫女のように傷つけてはいけない味方もいない。


 ━━━必ず勝利を掴んでみせる。


 手紙の内容に偽りはないだろう。裏切り者が情報を流しているのであれば、燈は言うに及ばず、宗次郎の動きもシオンに筒抜けだ。宗次郎が別荘に戻るタイミングを見計らって、あえてわかりやすいように手紙を投函することだってできるだろう。シオンは宗次郎を前にも利用しているのだ。今回も同じ手を使う可能性は高い。


 であれば、手紙の通り六時に現れる可能性もまた高い。この街にいる八咫烏のほとんどは押し寄せる観光客の交通整理に出払っている上、この公園は屯所とんじょから遠い。人払いの結界を張ってあれば、多少大暴れしたところで住民には気づかれない。


 天斬剣てんざんけんに関しても、問題はない。仮に協力者が剣を持ち出そうとしても、検問に必ず引っかかる。波動を遮断する金属を探知する技術はすでに確立されているため、その金属自体が検問の対象になるのだ。


 シオンがこの場に天斬剣を持って来ればよし。持ってこなければ、波動を辿って拠点を洗い出して捜索をすればいい。残り二日もあれば見つけるのはたやすい。


 ならば、あとはシオンとの決闘に備えるだけだ。波動によどみはなし。体調も万全。負ける要素はない。


 問題があるとすれば、それは、


 ━━━暇だわ。


 公園の中央にある時計が秒針を刻むスピードに耐えられないことだ。


 遅い。あまりにも遅すぎる。


 燈がこの世で嫌うものは二つ。物分かりの悪い人間と退屈だ。特に後者は天敵で、何度教育係から座して待つことの重要性を解かれたかわからない。


 無駄な時間は楽しみに費やすのが燈のポリシーだ。いつも通り他人をからかって遊べば良い。そう、ちょうど隣には遊べるおもちゃがいるのだから。


「宗次郎、何か面白い話をしなさい」


「えぇ……」


 宗次郎は突然の無茶振りに困り果てている。その難色は燈の嗜虐心を刺激し、なんとも言えない快感を与える。


「無茶言わないでくれ。ただでさえ緊張して震えてるんだから」


「どうしてあなたが緊張してるのよ。あなたは私が守る。そう約束したでしょう」


 宗次郎はちゃんと約束を守って、自分にできることをしつつ燈に忠誠を誓っている。


 ならばちゃんと宗次郎を守る。王族である前に人として、交わした約束は守る。


「いいからなんでも話してみなさい。もし私を楽しませたら、その首輪を外してあげる」


「わかった。わかったよ」


 宗次郎は観念してうなだれた。そう、それでいいのだ。


 この困惑こそ愉悦である。調教の秘訣はギリギリ達成できない課題を与え、その褒美として相手がもっとも望むものを提示することだ。そうすれば相手が必死に頑張る様と、褒美を得られずにもがく様の両方を楽しめるのだ。一石二鳥である。


 燈は話の内容に期待していない。なぜなら土手で聞かせてもらった宗次郎の身の上話がすでに貴重で、凡俗とはかけ離れたものだったからだ。それ以上の面白さを求めるのは酷であろう。


 うんうん唸る宗次郎は、腕を組み、天を仰いで考えまくっている。どんな話が飛び出すのか少しだけ楽しみになってきた。


「そうだ。前から聞いてみたいと思っていたことがあるんだ」


「あら、私に話させるのね」


「……ダメか?」


「しょうがないわね。首輪を外さない代わりに聞いてあげるわ。何が知りたいの?」


 あっさりと燈は応じることにした。


 この作戦が終われば宗次郎とはお別れだ。なら質問くらい答えてもいいだろう。


「どうして、初代国王を超える王になりたいんだ」


「え」


 どうせくだらない内容だろうとタカをくくっていたら、とんでもない反撃を受けてしまった。


 宗次郎には悪意が一切感じられない。純粋に知りたいと思っている。


 だからこそ燈にはダメージになる。


 ━━━本当にこの男は。


 この男の教育係にデリカシーのなんたるかを教えるよういいつけてやると心に誓い、燈はぶっきらぼうに応える。


「別に他意はないわ。目標は高ければ高い方がいいでしょう」


「……そうか」


 燈は間違いなく事実を口にした。


 目標は高い方がいい。その言葉に偽りはない。


 なのに、なぜか燈の胸中には謎の敗北感があった。


 ━━━ああ、もう。


 なぜこの私が、第二王女である皇燈が、この男に心乱されなければならないのか。少なくない怒りが湧き上がる。


 この怒りも敗北感も、自分の夢をたった一言で済ませてしまった自分自身に対しての感情だ。また、なぜこの男に説明しなければならないんだというプライバシーに関わる部分も含まれている。


 とはいえ、時すでに遅しであり自業自得である。非は舐めてかかった燈にあり、いかに無礼な質問とはいえ答えないのは逃避と同じだ。


 第二王女として、初代国王を超える王になる人間として、逃避は許されない。


「誰にも言わないと約束できる?」


「もちろん。約束する」


「そう。私の夢は、妹との約束なの」


 どうということはない、と自分に言い聞かせながら燈は話を始める。


「燈にも妹がいるのか」


「ええ、四つ下のね。血の繋がった兄弟は妹だけ。腹違いなら十人以上居るわ」


「そんなにか」


 ええ、と燈は小さく嘆息した。


「母上は数多くの妃の中で唯一、庶民出身だった。波動師として非常に優秀だったから貴族の位を得て、父に嫁いだの」


 燈の母、皇穂花は当時の十二神将にも引けを取らないほど強かった。三塔学院を飛び級で卒業し、王国主催の武芸大会では並み居る強豪を押しのけ、初出場で初優勝を果たした。


 その大会が、王子として観覧していた父との馴れ初めの場となったそうだ。


 通称、炎の斬姫ざんき。それが母の異名だった。


「小さいとき、よく庭で母と遊んだわ。父もよく政務をほったらかして、私たちと一緒にいる時間を作ってくれたの」


 少なくはあったが、幸福な家族の時間は確かに存在した。色とりどりの花で彩られた庭で父と母と三人で遊んだ記憶。


 何も考えずにただ遊べた、子供の頃の良い思い出だ。


「私が氷の波動に目覚めると、母上はとても喜んでくださった。それから熱心に教育を施してくださったの。『他の兄弟に負けないよう、よく遊びよく学びなさい』が口癖だったわ」


 母なりの愛情だった。自分と同じ、いやそれ以上の才能が娘に芽生えたのだ。自分の持つ全てを伝授し、持ち得ないものはその道のプロに頼んで稽古をつけてくれた。


 武道については波動の使い方、剣術、活強による格闘術。学問については算術、読解、地理、歴史、芸術、帝王学に至るまで。


 燈もまた母の教育に全力で応え、自己研鑽に全ての時間を費やした。自分の成長がとにかく楽しかったし、何より母や父が喜んでくれた。


 スポンジが水を吸収する勢いで成長した燈は、兄弟たちの中でも周囲から一目置かれるようになった。


「英才教育ってやつか」


「そうよ。自分の力を試したくて、柳哉りゅうやお兄様とはしょっちゅう喧嘩をしていたわ。双六や将棋で勝負を挑んで、よく負けたもの」


柳哉りゅうやお兄様って、皇柳哉すめらぎりゅうや補佐官? あの仮面の」


「そう。王位継承権第一位。私が一度も勝てなかった兄上よ」 


 皇柳哉。皇王国において首席補佐官を務める第一王子である。顔にある傷を隠すため仮面をつけているものの、齢二十七にして国王を凌ぐ政治・軍事的手腕と判断力を兼ね備えている。その能力と温厚な性格もあってテレビへの露出も高く、次期国王は彼だと国民の間でももっぱらの噂である。


 今でこそ兄弟の中はギスギスしているが、幼少期は権力や後継とか、難しいことは考えずに遊んでいた。その中であって柳哉は例外で、本気で挑んでも勝負にすらならなかった。燈には超えられない壁であり、現時点であっても人脈形成や政治力は完全に向こうが上だと思っている。


「燈にも勝てない相手がいるんだな」


「ええ。何度も兄上に負けて、悔しくして仕方がなかったとき、父上が妹を連れてきてくれたの」


「え? ずっと一緒じゃなかったのか」


「妹の眞姫まきは体が弱くてね。ずっと病院にいたのよ」


 眞姫まきは生まれつき体が弱く、足が不自由だった。長く病院で過ごしていたこともあり、燈は自分に妹がいると知ったのは十歳になってからだった。


「妹って不思議よね。それまでずっと上ばかり見て努力していたのに、ずっとほったらかしにしていたのに。顔を合わせただけで、全てが変わったの」


「……」


 今でもよく覚えている。車椅子に座りながら、怯える瞳で自分を見上げていた栗色の髪をした少女を。


 初めて守りたいと思った。何に変えてもこの少女を守ると誓った。誰の強制でもなく、ただそう決意したのだ。


「それから二人でずっと一緒にいたわ。本を読んだり、花を育てたり。本当に、幸せな時間だった」


 まるで埋め合わせをするかのように、稽古や自己鍛錬に使っていた時間や他の兄弟たちの時間を減らして、妹と一緒に過ごした。


 母や兄弟たちは最初こそ戸惑っていたものの、離れ離れだった姉妹の仲睦まじい様子を見て、そのうち何も言わなくなった。


 燈はそれほど眞姫を溺愛していたのだ。


「あなたにも妹がいるからわかるでしょう」


「まあ、な」


「ふふ」


 気の無い返事をする宗次郎をよそに、燈は空を見上げた。


 姉妹二人きりで過ごした時間の中で一番の思い出は、眞姫の寝室だった。


 暗がりに紛れて部屋からこっそり抜け出し、妹の部屋を訪ねるのだ。見つかったらどうしようというスリルと妹の喜ぶ顔が燈の足を運ばせた。


 そこで燈は毎夜毎夜、読書が好きだった眞姫から朗読をせがまれた。


『お姉様、この本を読んでください』


 大人用の枕を二人で占拠しながら、燈は眞姫に読み聞かせをした。習得した演説のやり方と演技力を駆使して、眞姫を空想の世界へと誘いざなう。誰にも邪魔されない、至福の時間だった。


 ある日、燈は『王国記』をリクエストされた。


 一ヶ月以上かけて『王国記』を読み終え、二人で感想を言い合う。英雄たちの活躍と初代国王の話で盛り上がっていると、不意に眞姫は口にした。


『お姉様は、大人になったら王さまになるのですか?』


『ええ、そうよ』


 間髪入れずに燈は答える。


 燈が国王になると決まっているわけではない。国王の選出は当代の国王が直々に指名する決まりだ。


 父上はまだ健在なので、よほどの事態が起きない限り選ばれることはない。


 咄嗟の嘘をついたのは、眞姫のまっすぐな瞳を汚すような否定はできなかったからだ。


『じゃあ、しょだい国王様みたいにりっぱな王さまになりますね』


 眞姫は眠たそうにしながらも、にっこり笑ってそういった。


 その笑顔に、燈の矜持きょうじが刺激される。根拠のない自信がふつふつと沸き上がり、強気な自分が目を覚ます。


『いいえ、眞姫。わたしは初代国王を超える王になるわ。約束する』


 はっきりと言い放つ燈に、眞姫は目をパチクリとさせ、再び笑った。


『はい。約束です。お姉様』


 月明かりが照らすベッドで姉妹は拳を突き合わせ、約束を交わした。


 たわいもない、本当にたわいもない約束。それもきっかけは、我ながらどうかしてると思うほどの強がりだ。それでも、


「大切な約束なの。私にとっては何よりも重要な、ね」


 燈の人生が定まった瞬間だった。


 それからというもの、燈はより鍛錬に打ち込むようになった。自分に恥じないよう、また眞姫との約束を果たせるように。


「人生をかけるだけの夢、か」


「そうね。でも、一度だけ諦めかけたことがあったの」


 目を見開いた宗次郎に燈はふふ、と笑った。


 

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