第32話 消えた恋人たち

 2007年7月14日土曜日12:49。

 京都新京極喫茶店「ハイウェイスター」。


 真新しい門構え。内装はヴィレッジヴァンガードを彷彿とさせる感じ。

 そんな喫茶店で僕と杉田は薄いアメリカンコーヒーを飲みながら話し込んでいた。内容は当然、タイムリープについてだった。


「……なるほど。分かる範囲だけど事情は把握した。未来の嫁と一緒にタイムリープね。随分とまぁ、ややっこしいことに巻き込まれたもんだ」


「すまない、杉田。こんなことに巻き込んでしまって」


「さっきも言ったろ。俺の彼女の名前を思い出せないってことは、俺も関係している可能性が高い。むしろ、巻き込んじまったのは、俺の方かも」


 すまない、と、僕に杉田の方が頭を下げる。

 こっちが知恵を貸して貰うつもりが、なんだか妙な話になったものだ。


 やがて顔を上げた杉田がその丸刈りの頭を撫でた。

 一センチもない短い髪をかきむしって彼は、うーんとうなり声を上げる。

 こうなると、杉田は長い。


 僕は杉田が考え終わるのを、少し冷めたコーヒーを飲みながらしばし待った。


「……ダメだな。情報が少なすぎてこれっていう筋が読めない」


「そんな。やっぱり杉田でもダメか」


「あきらめんな、まずは情報整理だ。例えば、今起こっている中で確かなことはこの四つだ」


 そう言って、杉田は自分の鞄から紅色の大学ノートを取り出す。

 何も書かれていないページを開くと、彼はそこに文字を書き込んだ。


 1. 鈴原篤・西嶋千帆の二人は2021年からタイムリープしている

 2. タイムリープの開始日時は2009年7月13日7時

 3. 鈴原たちはなぜタイムリープしているのか理由を忘れている

 4. 杉田の彼女の名前が、未来の鈴原たちの記憶から抹消されている


 たった四つだけ、と僕が杉田に問う。

 それに対して杉田は、自信満々という感じにあぁと頷いた。


「確かなのはこの四つだけだ。ループは発動条件がわからない。もしかすると、今後起こらないかもしれない。同じく、ループに付随して起こる話も同様だ」


「再現性がないってことか」


 厳密には違うが、これはバグの追跡の発想に近いものがあるな。

 確実に起こる再現性のある事象にフォーカスを絞り、何が起こっているのかを検証するのは、確かに障害解析的だし同時に有効なアプローチに思えた。


 こいつ高校生の頃からこういう思考ができたんだな。

 彼が優秀なシステムエンジニアになれた理由が分かった気がする。


「じゃぁ、この確実に起こっていることに対して、掘り下げて考えていくの?」


「それが一番確実かな。何度でもループできたらもう少し情報を得られるが。そんな都合はよくないだろ。時かけも、最後にカウントが無くなってただろ?」


「……そうか。そうだったね」


「……そうだな、もう一つ言えることがある」


 5. タイムリープが終了する条件を鈴原たちが理解していない


 それだけ書き出すと、杉田はまた唸って後頭部をかき乱した。


 テーブルの上に置かれた大学ノートを眺めて考える。

 だが、何も思いつくことはない。ソースコードの解析ならば、長年の感覚で怪しい所が見えるのだが、この列挙された情報からは何も見えない。


 ほんと、発想力が僕は貧弱すぎる。

 ふがいなさに僕が頭を小突いたそのとき、前で杉田がいきなり頷いた。


「やっぱりおかしいよな」


「何が?」


「あきらかに、タイムリープが失敗するあるいは長引くように情報が奪われてる。確定している情報の半分以上が、知らない・忘れていると情報の不足に関するものだ」


 確かに。

 3番以降すべて、知らなくてはいけないものを知らないという内容ばかりだ。


 けれどそれは前提でどうにでもなる気もする。

 例えば、何者かのタイムリープに巻き込まれたのなら、タイムリープの理由と終了条件を知らないのは、どうしようもないのではないか。


 いや――。


「4番の項目があるから、僕たちが頭を弄られてるのは間違いない。だったら、一緒に3と5も操作されている可能性がある」


「そういうことだよ。というか当然操作はするだろう。お前達はそいつの目的遂行に邪魔なんだから。問題は、なぜ俺の恋人の名前を忘れさせたのか。しかも、いなかったことにすればいいのに、わざわざ思い出せないなんて痕跡を残したのか」


 6. 何者かが鈴原たちのタイムリープを邪魔している


 杉野がノートに書き込んだ矢先、僕の中に一つの可能性が浮かびあがった。


「もしかして、僕たちの邪魔をしているそいつは、杉原とその恋人がくっつくのを邪魔しているんじゃないかな?」


「オーソドックスな推理だな。して、根拠はなんだ?」


「杉原に恋人が居たっていう情報は残して起きたいんだよ。おそらく、犯人はそこに自分か、あるいは自分に都合のいい人物を当てはめたいんだ?」


「なに? 俺の恋人の座が争われているってことか?」


「そういうことなんじゃないかな」


「……気分は悪くないが、動機としては弱いわな。そもそも、俺の恋人の座が入れ替わったくらいで、お前らがタイムリープすることか? 巻き込まれたにしてもわざわざ消す必要あるか? いろいろと雑な推理だ」


「……あぁ、まぁ、確かに」


「俺の恋人の情報を操作するのに妥当な理由が欲しい。そもそもそんなことをするメリットはなんなんだ。別に恋人なんて、変わったところで何も……」


 待てよ、と、杉田が黙る。

 何かに気づいたみたいだ。


 左手で自分の口元を隠して、右手で机をノックする。彼が何かに気づいた時の思考ルーティンの一つだ。何か、核心を突く内容に思い至ったのだろう。


 やがてノックの音がやむと、彼はペンの尻の方を僕に向けた。


「鈴原、タイムリープ前の俺の近況で変わったことはないか?」


「特には――って、確か長期休暇を取ってたな?」


「理由は?」


「理由――思い出せないな。もしかして、これも消されてる?」


「あぁ、おそらく。ちなみに、お前らがタイムリープしたのはゴールデンウィークの前なんだよな?」


「そうだね」


「俺はその長期休暇をゴールデンウィークとまとめて取得してたか?」


 それは、確か取得していた。

 というかいくらなんでも休み過ぎろう。

 いったい何日休むのさ未来の杉田ってば。


 そんなに休んだら流石にみんな怒る――。


 あれ、おかしいな。

 全然怒っていなかったぞ。


 課長も確かに僕に愚痴ったけど、アレは怒っているというよりネタにしていた。本当に怒っていたら、もっと真面目なトーンだろう。


 とすると。


「気づいたか、鈴原?」


「杉田の長期休暇は会社のメンバーから許容される内容だった。そんな休暇と言ったら――病気以外でひとつしかない!」


「あぁ、恋人じゃなく結婚相手の名前を書き換えるのなら話は別だ。雑に記憶を書き換えやがって。まったく、モテる男はつらいぜ」


 おそらくこれも記憶を消されたのだろう。

 杉田は近々、結婚予定だったのだ。


 取得した杉田の長期休暇は――おそらく結婚旅行なんだ。


 つまり、タイムリープで彼の婚約者の座を奪おうとする奴がいる。

 僕たち二人は自ら望んでタイムリープしたのか、あるいは巻き込まれたのか分からないが、杉田の本当の婚約者を知っている。そのため未来との違いに気がつく可能性があった。だから僕の頭の中から、杉田の恋人の記憶を消したんだ。


「確か、俺にその恋人ができるのは、時期的にもうすぐなんだな? 鈴原?」


「うん……待って、それじゃもしかして?」


「たぶん、今日、本来ならばその俺が結婚するはずだった恋人と、知り合う切っ掛けになるような何かが起きるんだろう。そして黒幕は、そこに自分が収まることを望んでいる。おそらくタイムリープの終了条件は俺に恋人ができること。前回のループでは俺に恋人ができず、仕切り直しで世界がループした――ってとこかな?」


 あくまで、現状の知識からの推測だ。

 とはいえ、そういうことならば、僕たちの今の状況に説明はつく。


 流石、杉田だ。

 やっぱり、頭の出来でこいつには敵わないな。


「おそらく、この線で動いて問題ないんじゃないかな?」


「だったら話は早い。俺が本来の恋人とくっついちまえば万事解決よ。鈴原、その俺の名前が消された恋人について、何か他に心当たりはないか?」


「ないかって言われても――」


 千帆とダブルデートできるくらいに仲がよく。

 僕たち全員が共通の知人である。

 くらいしか情報は無い。


 いや、待て、逆に考えるんだ。


 それだけ親しくしている相手だ。僕も知り合いのはずだ。そして杉田とは逆で、彼女の方は杉田の名前を思い出せなくされているはず。


 つまり、未来で恋人はいるのに名前を思い出せない女性が、彼の恋人だ――。


「……いる。恋人の名前が思い出せない知り合いが」


「誰だ? 間違いない、そいつが俺の本当の恋人だ」


「いや、けど、お前、これは……」


 その人と杉田が恋人になる姿がまるで想像できない。

 いや、水と油とかそういう性格の不一致ではない。

 もっと根本的な所。


 その女性はちょっと神がかった才能を持ち、余人にはない雰囲気を持っている。けれど、いざ話してみると乙女な心の持ち主だからだ。


 そう――。


「天道寺さん。天道寺文さんだよ。彼女も未来で彼氏がいるのに、その名前が思い出せない。しかも杉田と同じで、今年の夏から彼氏と付き合い始めてる」


 杉田が目を見開いて絶句する。

 無理もない。相手が相手である。


 学園一の美少女。完璧な乙女。

 そして、中身はとってもキュート。

 さらにはこの後、長じて有名な小説家となり、海外に暮らす自立した女性。


 そんな彼女と、どうして阪内の中小企業のシステムエンジニアが恋に落ちるのか。

 いろいろと腑に落ちないところはあった――。


「……だ、大丈夫かい杉田?」


「……無理。いくらなんでも天道寺は予想外だよ。えぇ、何をどうやれば俺があんな美少女と付き合えるの? 百回生まれ変わっても無理だと思うんだけれど?」


「そういいながらめっちゃいいえがお」


 けれども、一番腑に落ちていないのは当の本人だった。

 いやこれは浮かれているのか。


 驚愕からのすごいにやけ顔。

 モテたいモテたいと言っていたのでそりゃこうなるのは仕方ないにしても、先ほどまでのキレにキレた推理をする名探偵はどこに行ったのだろうか。

 杉田は天道寺さんが未来の彼女と聞いて、即座にダメになってしまった。


 杉田が、ゆっくり顔を上げる。

 ようやく受け止められたのかなと思ったが、全然彼の顔からはにやけが取れていない。まだどこか夢心地のようだった。


「うぅん、やっぱり実感湧かないな。なんかこれも罠なんじゃないの? 実は、他にも共通の知り合いで、恋人の情報消されている人がいるとか?」


「他にそんな友達なんていないよ。そもそも、君が言ったようにダブルデートの条件自体が厳しいからね」


「そうかもしれないけれど。けど、うぅん……」


「何がいったい引っかかっているっていうのさ」


 なんだか煮え切らない杉田。


 まぁ、もし間違いだったら赤っ恥も良いところだものな。

 慎重にもなるか。


「そのさ、まぁ、いいんだよ。天道寺が恋人なのは別に。というか、そんな言い方したら罰が当たるよ。俺みたいな奴があの美少女と付き合えるだけ幸せだっての」


「俺みたいってことはないと思うよ? 杉田は杉田でいいところがあるし。まぁ、天道寺さんって競争倍率高いから、他の男子に申し訳ないってのも分かるけど」


「そう、天道寺と付き合うってのは嬉しいんだ。嬉しいんだけれどさ」


「けれど?」


「……どうして俺ら、付き合いだして十年も経つのに結婚してないの? というか、今更結婚するの? なんかちょっと、複雑な事情を感じない?」


 それは確かに。


 うぅん、なんで二人が結婚しなかったのか、そこまでの記憶は持ってないな。

 いくら親友とはいえ、そこまで込み入った事情は知らない。


 けれども一方で、杉田の名前を消された彼女と、天道寺さんの名前を消された彼氏が、別れたり険悪になったりしたという情報もない。

 二人は十年間結婚こそしなかったが、ちゃんとお互いを大切に扱っている。


 なら別に、その関係を不安に思うことはないと思うけどね。


「事情はわかんないし、何が杉田にとって不安なのかも分かんないけれどさ、ちゃんと十年間続いた関係ってことをもっと信頼するべきだと僕は思うよ」


「そうかなぁ。俺がだらしなくってとかじゃないのかなぁ」


「いやそれはないよ。同僚の僕が断言する」


「仕事は出来ても家庭がダメな奴なんてよくいるじゃん。そんなだから、十年間も結婚が延びたとかないかな?」


「君、意外と面倒くさい性格してんだね」


 繊細か。童貞か。恋愛経験なしか。思春期か。

 そう思ってから、そういえば彼は今、高校生なのだということを思い出した。


 てっきりと僕と同じ精神年齢かと思っていたけれど違う。

 目の前の彼は、恋人もできたこともなければ、彼女とそういうやりとりもしたことがない、純粋な少年なのだ。


 となると、ここは大人として迷える少年にアドバイスするべきかな。


「えっと、たぶん普通に天道寺さんのこと好きだよね、杉田って?」


「当たり前だろ! あんな美少女好きじゃない奴なんていねえよ!」


「いや、女の好み的に。君、金髪女子好きでしょ?」


「な、なんでそれを!」


「スクランの沢近みたいな彼女欲しいって言ってたじゃん?」


 あぁ、これも前のループの話か。

 まぁ別に、そこで聞かなくても知ってるんだけれど。


 杉田の奴ってば、割と好みがそのまま天道寺さんなんだよな。


「まぁ、細かい好みは省くけれどさ、君って自分の中にしっかりとした、好きな女の子の像がある訳じゃない?」


「……いや、誰でもあるんじゃねえの、そんなの?」


「あるね。僕もある。けれども実際の女性は違うじゃない。生身の女性は漫画のヒロインみたいに良い面ばかりじゃない。理想通りにはならない。けど、そういうのを乗り越えて一緒に居ることを選ぶってのが、つまるところ結婚だと僕は思うんだよ」


「……そんな、もんかなぁ?」


 まぁ、結婚してないと実感ないか。


 僕も幼馴染の千帆と結婚したけれど、僕の求める理想の女性像とは随分剥離していたように思う。おまけにここ十年でスケ――人妻としてレベルアップした。


 全然僕が思い描いていた、昔の理想の結婚相手とはかけ離れている。


 まぁ、その理想の結婚相手のベースも千帆だったんだけれど。


 想像していたようには人間成長してくれないよね。

 そんなもんだよ。


 けど、それでも僕は千帆と結婚したいと思ったし、実際結婚した。

 ありのままの彼女がいい。彼女と乗り越えていくと選んだんだ。


「そういう自分の理想と折り合いを付けて、未来の君は彼女と結婚しようと思った訳だよ。それだけ君は彼女のことを愛しているんだ。もちろんこれは僕の恋愛観で推測だ。けど、天道寺さんを選んだ未来の自分を、もう少し信じてあげなよ」


「……そうか。そうだよな」


「あと、そんな君を受け入れてくれた天道寺さんもね」


 黙り込む杉田。


 杉田が握りしめるのはアイスコーヒーが入った銅色のカップ。

 ブリキかそれとも銅か。なんにしても少し高めの食器だ。力を入れたのだろう、野球部で鍛えた握力に、ミシっという音がした――気がする。


 黒い液体の中に浮かぶ四角い氷。純度が高いのだろう、注文してからしばらく経つのにほとんど溶けていない。それを、コーヒーと共に煽ると杉田はかみ砕いた。


 どうやらようやく自分の未来を受け入れたらしい。


 飲み終えてカップを杉田がテーブルに置く。

 顔はすっかりはればれとしたものになっていた。


「そうだな。天道寺を選んで、さらに射止めてみせた未来の自分を信じなくちゃな」


「そうそう、その通りだよ」


 未来では完全に自立し、同世代の数歩先を行っているできる男。

 けれども、そんな彼にも、こんな風に迷う時代があったのだ。


 友人として、未来ではなにも――ということはないがしてあげられることが少ないことを僕は負い目に感じていた。けど、迷える彼に言葉をかけれたことで、ようやく僕は彼との長年に渡る友情に応えられた気がした。


「……ちなみにさ、どこまで知ってんの?」


「は? どこまでとは?」


「しらばっくれんなよ。そこまで話したってことは、俺が天道寺となんとか接点つくろうと、あくせくしてんのも知ってるんだろ?」


 それは知らない。

 なんの話だろうか。


「気づいてるんだろ! お前に天道寺の友達紹介してもらおうとしたり! 彼女に用もないのに話しかけたりとか! そういうの! くっそ、勘弁してくれ! まさか付き合えるなんて思わなかったから、全然なりふり構ってなかった! 恥ずかしい!」


「……杉田、お前って」


 僕が思っていたよりよっぽど、かわいらしい奴だったんだな。


 高校時代の友人の秘めた恋心に、僕はちょっと吹き出しそうになった。


 まぁこの様子なら、十年結婚しなくても、その恋人生活は楽しかったんじゃないかな。なかなか、そこまで好きになれる相手も、好きになってくれる人もいないよ。

 僕はそんなことを思ってアイスコーヒーを飲んだ。


 アメリカンコーヒー。水出しのそれは、なんか絶妙にまずい。けど、目の前で友人の甘ったるい青春の一幕を見せられては、それほど苦にはならなかった。


 そのとき、僕の携帯電話が鳴る。

 時刻は14:13分。まだ、千帆達と合流する時間まで30分、天道寺さんと合流する時間まで45分以上の余裕があった。


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