狂人達の宿

モンモン

プロローグ

夕暮れの中足元が雪で埋もれつつ足を運ぶ。なんとかして今日体を休めることのできる目的の宿を目指す。何故このような状況に置かれているかというと、とりわけ悲惨で特別な出来事があった訳ではない。ただただ昔の建物を巡っていたに過ぎない。その建物一つ一つに感慨深く浸っていたら時間の流れをすっかり忘れてしまい乗るはずだったバスに乗り遅れてしまい今日の便はもう無くなってしまった。一見極寒の中歩くなんてなかなか労力を費やすようで旅の中での失敗のように見えるが私は失敗とは思っておらず成功である。事前の計画通りに事を運ぶことも重要なことではあるが計画通りだと観光場所の空間にどっぷりと浸ることはできない。その場所で自分の感じることのできる視覚、聴覚、嗅覚そして触覚を十分に働かせ空間と一体化し、過去の人々の生活、思想などを想像し自分の好奇心を満たし幸福を感じる。このような過程に至るには少々時間を要する。したがってバスに乗り遅れることはいた仕方なくこの雪道を歩くことなど屁の河童である。けれどもはじめからそれも考慮して計画を立てるべきだと言われたら何も言い返せない。

さてさて随分と歩いたがまだまだ宿には着きそうにはない。少々舗装され辺りは雪が被さった木々に囲まれた坂道で小一時間同じ風景を繰り返し見ている。このような時は自分の世界に入れば寒さも疲労も辛くはない。何について考えてみようかな。



最近私は懐疑的になっている。あらゆる事柄の我々が真理と思い込んでいる真理は真理ではないのではないかと思ってしまう。まあおそらく教養がある人間であれば懐疑的にはならないだろう。何故そのようなことを考えたかというと宗教の影響である。例えば古代、中世などの人間がCOVID-19に感染したとする。そうした場合現代の我々の対処法はワクチンの開発や感染者隔離など科学的に基づいた行動をするが古代、中世の人間は神に祈るだろう。何故人が倒れていくかがわからないからだ。我々から見たらあまりにも非合理的な行動なように見えてしまうが彼らからしたら最もな合理的な行動だ。その当時はウイルスの存在は知らずウイルスという存在を除いて理由を考えてみれば神という言葉が出てくるのはなんら不思議ではない。何故人が倒れていくのか、神が怒っているから、だから神は怒りを鎮めてもらい人々が倒れないようにするために祈りを捧げる。

現代は科学技術が発達しているため、解決法として祈る人だけという人は少ないと思うが結局何を解決しなければいけないかというと人が倒れないことだ。我々はウイルスに感染して倒れないように外出自粛したりしているがその反面経済的に倒れてしまう人もいる。人々が倒れないようにすることが真理とすれば真理に到達していない。現代の人間が古代の人間の行動を見たら非合理的かもしれないが未来の人間から現代の人間の行動を見たらあまりにも非合理的かもしれない。未来の科学技術がさらに発達してウイルスにも経済でも人間が倒れることはなくなっているかのしれないからだ。だが現代人からしたらまっとうな行動であり正しいと思いこむ。

だが時代を直線上で考えると非合理的だと過去に対して思うこともあるかもしれないが、直線で考えず区域のように考えると全くもって指摘も何もない。その区域にはこのような対処法、つまり知の限界が存在しそれぞれ合理的な行動をしている。なので絶対価値を共有することは難しく相対的になる。

それにしても私は今の時代に生まれてよかったと思う。奴隷制や騎行など私の身近には知る限り存在しない。仮に全世界が相対価値を完全に許容しそしてその世界の中に存在するあるコミュニティーの中では絶対価値の共有を強制的に誓約させる事物があれば虫唾が走る。価値を覆すことは大方の人は疑うことは面倒なので自発的に変わることは難しく、外的から大きな影響が加わらない限り価値を覆すことはなかなかないが、その両方を封じてしまった世界はとても恐ろしい。人殺しを娯楽として許容する世界が生まれてしまう可能性があるからだ。



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