8-17 アドリアン・アベリーン

 目の前に現れた美形の青年。穏やかながら、何処どこか獅子にも似た印象を持つ彼の顔を見て、アンナはエルヴィンに耳打ちする。



「エルヴィン、もしかして……」


「うん。さっき話していた彼だ」



 アンナでも一目で、エルヴィンが話した印象と、目の前の青年の姿が一致した。


 しかし、途端に二人からは少し警戒感が滲み出る。


 噂していた人物が偶然、目の前に現れた。数ヶ月以上も前に遭遇した相手なら偶然だとまだ納得出来るが、出会ったのはこの戦いの直前、更に言えばすれ違っただけの相手で、彼方あちらから接触して来た。少々、出来過ぎである。



「そう、警戒せんでも良いよ。貴族内のゴタゴタとは縁遠いのでね」



 肩をすくめる青年に対し、エルヴィンとアンナは尚も警戒感は崩せぬまま、姿勢は戻した。



「警戒しなくても良い、とは言うけど……突然、話し掛けられたら動揺はしてしまうよ。まして、貴族に関する事で警戒している、と間接的に指摘したなら尚更……」



 エルヴィンは確かに貴族だが、外見的特徴からはそう見えず、話題にも余り上がらない。例え彼が貴族であると知っていても、彼の姿から貴族という単語が直ぐに出る事はない。


 それに気付いたのだろう。青年は不敵に笑みを浮かべると、軽く笑いをこぼす。



「確かにそうだ。出会って早々、貴族という名詞を出せば警戒は強められるな。いや、失敬……」



 あはは、と笑いをこぼし続けた後、仕切り直して、彼は上官に対する礼もまだだったと、敬礼をエルヴィンへ向ける。



「第三三二砲兵大隊隊長代理、アドリアン・アベリーン大尉だ。気安く接してくれると有難い」



 アベリーン。その姓を聞いたエルヴィンは少し怪訝に眉をひそめた。


(アベリーン……聞いた事が無い家名という事は、貴族ではないのか。てっきり、侯爵辺りの家の出かと思ったけど……。いや、そうか……)


 貴族のゴタゴタと関わりが無いという彼の発言が本当である確証はない。なら、彼が嘘を吐いていないという保証も無い筈だ。エルヴィンは鋭い視線をそのままにし、これに青年もまた不敵に穏やかに笑みを浮かべる。



「いや、実は貴官の話はグラートバッハ閣下から聞き及んでいる。《霧の軍師》という異名もね。だから一度、会ってみたいとは思っていたのだ」



 グラートバッハ閣下。その名が出た瞬間から二人の警戒は多少緩められた。自分の上官なのだからアベリーン大尉の事は直ぐに確かめられるし、何より自分達がグラートバッハ上級大将直属の部隊であるのは周知の事実。わざわざ、その名を嘘に使うなどしない筈だ。


 しかし、ブリュメール方面軍の総司令官殿は一体、どんな人脈を持っているのだろうか? ガンリュウ中佐といい、アベリーン大尉といい、若い士官ばかりの様に思える。まるで事前投資をしている様だ。



「グラートバッハ閣下か……あの人、結構口が軽いな。私が名を売りたくないのは知っているだろうに……」



 溜め息をこぼすエルヴィンに、アベリーン大尉は再び笑いをこぼす。



「聞いていた通り、面白い男だな、貴官は……名が売れれば得られる人脈の幅も広がるだろうに」


「貴族の嫉妬と引き換えに、ね。更に言えば、それで作れる人脈も薄っぺらいものにしかならない。群がってくるのは名声にのみに惹かれた欲まみれの面倒者達。利権を吸い取るだけ吸い取って、後は知らん振りする様な連中だよ。私が欲しいのは窮地に助けてくれる様な人脈。友とまではいかずとも、利を見て動いてくれる者達だ」


「なるほど、一理ある。人の輪は大事だが、輪に入れる者は見極めねば、脆い所から団結が食い千切られるからな」


「百人の友より、一人の親友。欲しいのは数以上に質なんだよ」



 ペラペラと話してしまっているが、全てを曝け出す気はエルヴィンにはない。やはり、少しは警戒すべき相手なのだと、貴族としての感が告げていたのだ。


 実際、話を聞いている間、アベリーン大尉の瞳は何度かギラついていた。



「ふむ……なかなかに貴官も謀略家の様だな」


「謀略と呼べる代物でも無いよ」



 肩をすくめたエルヴィンは、ふとまだ食事の途中だったと麦粥にスプーンを突っ込み、口に含むが、やはり寒さでぬるくなってしまっており、げんなりと表情を落とした。


 そんな彼の横顔を眺めながら、アベリーン大尉は口元に笑みを浮かべると、何かを決断したかの様に頷いた。



「よし、決めた! フライブルク大佐、明日からの行軍に我が部隊も随伴して良いだろうか?」



 アベリーン大尉の提案に対し、エルヴィンは少し驚きはしたが、迷いも無く頷いた。常時多少の警戒感を持たないとならないにせよ、別段断る理由も見受けられなかったし、何より兵力が増えるのは有難かったのだ。



「別に構わないよ。今回、仲間は、多過ぎない範囲内で出来るだけ欲しいからね」


「感謝する。明日からは宜しい頼もう、フライブルク大佐」


此方こちらも宜しく頼むよ、アベリーン大尉」


「出来れば、この戦いの後、良き友人となれれば嬉しいがな」



 良き友人。そうなれれば良いとはエルヴィンも考えていた。良き友人なら多いに越した事はないし、人脈を広げるという自分の目的にも沿っているからだ。


 しかし、今の段階では無理だろう。


 何故なら、エルヴィン自身、アベリーン大尉という青年について、所属部隊以外、何も知らないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る