8-14 掌返し

 世暦せいれき1915年1月11日


 サンリガル沖から王国第四艦隊が退しりぞけられた事を知ったポーゼン上級大将は、これを機として東方戦線へある命令を下す。



「五日後、駐留艦隊との共同作戦を取り、敵背後に上陸、奇襲を仕掛ける!」



 再び第三軍団司令部テントへと集められた士官達に対し、プラウエン少将は上からの命令を告げた。



「敵背後に上陸したのち、その右翼に総攻撃を仕掛け、本隊と挟み撃ちにし、風穴を開けて戦線を崩壊させる。……と、いうのが総司令官ポーゼン上級大将及び第五軍団長ルール中将からの御達しだ」



 冷笑を浮かべ、肩を大袈裟にすくめるプラウエン少将。無理も無い。厄介者扱いされながら、アッサリとてのひらを返し、更に敵中に孤立する危険のある仕事を任せようと言うのだ。身勝手にも程がある。



「制海権が敵に奪い返された場合、我々は最悪退路を断たれる事になる。だから、ルール中将も総司令官からの司令に従い、更なる厄介払いに、我々に作戦を任せたのだろうな」



 冗談めかしてプラウエン少将は告げたが、作戦実行による危険性に士官達も盲目にはなれず、命令である以上、拒否も出来ないという事実も影を落とす。



「これより、速やかに作戦準備に取り掛かれ! 補給物資も忘れるな!」



 解散を命じ、散っていく士官達を眺めたプラウエン少将だったが、肩を落とした彼等の姿に、思わずには居られなかった。



「酷だな….…」



 二転三転する命令、上層部からのやっかみ、馬鹿げた指示、規律を重んじる軍隊でありながら私怨が蔓延する司令部、規律を盾に私怨を強制させる軍の現状。それ等に振り回される兵士達に、彼は怒るでも、呆れるでもなく、ただ一言だけをこぼした。



「軍隊には統率が必要である以上、規律は重要だ。だが……それを盾に自分事を押し付けられる部下達は溜まったものではない。まして……忠誠心を沸かさせてくれぬ皇帝、政治を引っ掻き回す貴族、働きに見合った褒賞もくれない祖国。こんなものの為に戦わねばならないとなれば、何と馬鹿げた話だろうか」



 多くの司令官、貴族と繋がりを持たぬ者なら誰もが一度は自問してしまう。「命を賭けて戦う価値が本当にあるのか?」と。



「俺の実家が貧乏で無ければ、とうに銃を下ろしていたかもしれんが……考えても仕方がないか」



 そうして、この議題を早々に打ち切ったプラウエン少将。結局、彼も他の者と同様、思うだけに留めたのだ。


 ある者が、「此処ここはどうあっても祖国なのだから」と、割り切った様に、


 ある者が、「金の為だからな」と、目的のみを見詰めた様に、


 ある者が、「思った所で仕方がない」と、目を逸らした様に、


 彼もまた、こびりついた不安の切除を諦め、目前の仕事のみを視界に入れたのだ。


 しかし、直ぐに引っ込められない者も居る。激情型ではなく、静かに湧き出す性格であったため、エルヴィンはより長い不満の吐露を始めていた。



「やれやれ……つくづく、面倒な事を押し付けられてしまうね」



 嘆息をこぼしたエルヴィン。最近、日を増す毎にその量が多くなっている様に思える。



「戦術としては、まぁ、分かるけど……やらされる方の事も考えて欲しいよ」


「膠着状態が続く以上、何か別の行動を取らねば現状は変わらん。長い間、自国を占領されるのも心穏やかでは居られんからな。総司令部では貴族共から催促されているだろうし、無視できる面は無視したのだろう」


「その無視出来るのが、兵士達の命という訳だ、ガンリュウ中佐……いや、上からすれば元々無視されてきたものではあるけどね」



 嘲笑をこぼしたエルヴィンに、ガンリュウ中佐からも鼻笑いがこぼされる。



「まぁ、戦術としては悪くない。無価値で無謀な突撃命令で殺されるより遥かにマシだ」


「そうだね。まだ、退路が断たれると決まった訳ではないし……ある程度は楽観的に物事を運ぶとしようか」



 無理を言っているのは重々承知している。王国第四艦隊を退かせたとは言え、補修が終われば戻ってくるだろうし、戦いに投入されている敵艦隊は残り三つもある。他の艦隊が交代に来る可能性も極めて高い。悲観的な根拠しか見えないのだ。


 ともあれ、自分達は命令に従事するしかないだろうと結論を導き出した所で、二人は部隊の下へと到着し、アンナと合流した。



「エルヴィン、何か良くない命令が下されましたか?」


「アンナ、よく分かったね……そんな湿った空気を垂れ流していたかい?」


「ええ、それは盛大に」


「そうか……まぁ、御明察の通り。敵の背後に上陸しろとの命令だ。制海権を再奪取される可能性がある状況でね」



 プラウエン少将と同じく冗談めかして苦笑し、肩をすくめるエルヴィンに、アンナも苦笑で返した。



「では、早速作戦会議ですね。ジーゲン大尉とフュルト大尉を御呼びしておきます」


「頼むよ。……あと、リーズスティーンツ地方東部の地図も用意しておいてくれないかな?」


「わかりました、手配しておきます」



 アンナに用事を頼んだ後、エルヴィンは自分のテントへと戻った。後顧の憂いを断つ様に、残っていた書類仕事を早々に終わらせるつもりだろう。


 そんな上官の背中を眺めつつ、ガンリュウ中佐は無愛想のままアンナの隣に並び立った。



「珍しく、やる気を出してくれましたね、彼奴あいつも」


「あの人は、仲間が危機におちいりそうな時やおちいった時には本気を出しますから。いつもアレで居てくれたら私も楽なんですけどね」


楽になるんですよ。自分も彼奴あいつが真面目にやってくれれば仕事が減りますので」



 笑みをこぼした二人。エルヴィンに対して中々に強い毒を吐いてはいるが、やはり何処どこか頼りにし、尊敬はしているのだと再認識していたのだ。



「今回も彼奴あいつが何とかしてくれるでしょう。自分達は忠実にその手助けをすれば良い」


「そうですね。差し詰め、私は頼まれた仕事やらないといけませんね」



 ガンリュウ中佐に会釈をし、その場を後にしたアンナだったが、離れて直ぐに一人の兵士が駆け寄って来た。



「フェルデン中尉、大隊長宛のお手紙が届いたのですが……」


「手紙ですか?」



 兵士から手紙を受け取ったアンナは、差し出し人を確かめる為に裏を見て、眉をひそめる事となる。



「ルートヴィッヒから? 戦場にわざわざ送るなんて珍しい……」



 内容を確認しようと封に触れたアンナだったが、直ぐに思い留まった。


 そもそも他人宛の物を勝手に確認するのは気が引けたし、何より、今はどうせ渡せない。


 余り重要な手紙の内容でも無いと考えられたし、それより出撃命令に対する準備に専念すべきだ。余計な事をして、エルヴィンに集中を切らされても困る。ひと段落して渡すべきだろう。


 こう結論付け、アンナは手紙をポケットに仕舞って、己が職務を遂行すべく歩き出す。


 "彼女が思うより深刻な内容であるなど、知る由も無く"

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