8-11 獣人の少女と仲間達
エルヴィンとガンリュウ中佐が、他の士官達と共にプラウエン少将から待機命令を聞かされていた時、シャル達衛生兵小隊の面々は既に、前線から送られて来る負傷兵達の治療に追われていた。
「誰かこっち手伝え!」
「包帯が切れた、持ってこい!」
「こっちは終わった! 手が足りてない所は
教会に設置された仮設病院。野戦病院と役割は大差無いが、ベットの質や野晒しに近い場所ではないという条件下、暖房器具が完備されているなど、設備面に関して正に天国であった。外でテント暮らしを強いられている者達より環境は良かったかもしれない。
とはいえ、負傷兵は怪我で苦しみ、衛生兵や軍医も治療に駆け回らなければならないのだから、苦労という意味では誤差の範囲内であったろう。
「メールス一等兵、こっち手伝ってくれないか?」
騒々しい声や効果音が建物内を満たす中、治療技術に優れるシャルは、当然、仲間達に頼りにされ、今回も衛生兵小隊隊長イェーナ軍曹に呼ばれた。
「
「わかりました!」
救急箱から消毒液と包帯を取り出し、治療すべく、ベットでグッタリとする負傷兵に触れたシャルだったが、その負傷兵に突如、手を払われた。
「汚い獣人が俺に触るな!」
怪我で弱々しいにもかかわらず、怒気に溢れた声量と眼光を叩き付けて来る負傷兵に、シャルは弾かれた手を
「ちょっと、あんた!」
「軍曹! 良いんです……」
負傷兵への怒鳴り声をシャルに止められたイェーナ軍曹は、やり切れなさそうに口元を不愉快に歪めた後、別の兵士にこの場を任せ、やはり肩を落とすシャルと共に別の負傷者の下へ向かった。
「メールス一等兵、今日、拒否されたの何度目だ?」
イェーナ軍曹の問いに対し、シャルはギュッと救急箱を抱き締め、俯く。
「わかりません。もう……数えるのを止めました。到着して、この箱から包帯は一ミリも無くなっていませんから……」
いつも
「メールス一等兵、大丈夫か?」
「大丈夫です、慣れてますから……そうですよね、これが普通なんですよね。獣人の私が笑って居られる事自体が、異常なんですよね……」
痛々しく、嘆かわしいシャルの言葉。しかし、イェーナ軍曹が周りを見渡して目にした光景こそ、彼女の言葉の根拠であり、証拠であった。
まるで汚物を見る様に、泥に塗れた犬を眺める様に、より悪くて、害虫がそこに居るのだと言う様に、負傷兵や衛生兵、軍医達がシャルへ冷たい視線を送っていたのだ。
「なんで
「あんな汚い手で治療されて、傷が悪化したらどうすんだ!」
「誰だ! あんなのを衛生兵にしやがった馬鹿は!」
口々に罵声を飛ばす帝国兵達。この場の衛生兵には獣人は一人足りとも居ないが、隅に追いやられながらも、負傷兵には当然、獣人も居た。治療される側か、治療する側か、でも嫌悪の許容範囲に大きな違いが生まれるらしい。
獣人を治療するなら我慢出来るが、獣人に治療されるのは我慢出来ない、というのが獣人差別主義者の主張であり、これでもまだ軽い方であろう。最悪、「一時的にでも戦えなくなった獣人など処分してしまえ!」と主張する者まで居るのだから。
獣人という理由による敵意で出来た茨を進むシャルだったが、二人組の男達とすれ違い様にぶつかってしまう。
「あっ、ごめんなさい!」
「チッ、痛ってぇ〜なっ……ゲッ、しかも獣人かよ!」
ぶつかった男は、シャルが触れた場所を、汚れでも付いたかの様に手で払った。
「この軍服はもう駄目だな、変な菌が付いちまった!」
「そいつは最悪だ……弁償させなきゃ駄目じゃね?」
「そうだな。おいっ、ワンコロ! こいつの弁償代払って貰うからな!」
難癖を付けてシャルに絡む男達。ゲラゲラと笑っている様子で悪意しか感じられない事により、イェーナ軍曹が彼女を庇いながら彼等を睨み付ける。
「ぶつかったのはお互い様でしょう? しかも、軍服は支給品じゃない! この子が弁償する必要はない!」
「あ? 人間様と獣人じゃ扱いが違うんだよ! 人間様に迷惑掛けたんだから獣人がそれに合った誠意を見せるのは当然だろうが! 人に不快な思いをさせておいて何も無しに出来る権利は
またゲラゲラと笑う男達に、怒りで拳を握り振り上げようとするイェーナ軍曹の手を、背後からシャルが両手で包んで止めた。
「もう良いです、小隊長。私は本当に大丈夫ですから」
「でも!」
「お願い、します……」
震える手で訴える獣人の少女に、イェーナ軍曹は煮え切らない怒りに口元を歪めながらも拳を解いた。
「こんな事に慣れて良い筈はないんだ……」
イェーナ軍曹の呟きにシャルが少し諦めたかの様に目を逸らした後、男の一人が彼女の頭の犬耳から尻尾の先まで舐める様に見渡し、下衆な笑みを浮かべる。
「おい!
「おいおい、マジかよ! なら、身体で弁償して貰うってのもアリだな!」
「いや、流石に俺は獣人とは無理だぜ……? お前はそんな趣味あんのか⁈」
「上玉なら
「なるほどな、そういう考え方もありか!」
舌舐めずりしギャハハハと笑う男達に、少し怯えるシャルと、睨み付けるイェーナ軍曹。
「じゃあ、早速、俺達のテントで……」
「おいっ、テメェ等……うちの天使に何チョッカイ掛けてんだ?」
「「ああっ⁈」」
背後から聞いた声に、せっかくの楽しみを邪魔された男達は、睨みを効かせて声を掛けた奴の方を振り向いた。
しかし、直ぐに目や態度は
何故なら、複数人の男達が、鬼や獅子やらの形相で、拳を鳴らして睨んで来ていたのだから。
「おいっ、このカスったれ野郎……俺達の天使を穢そうとするとは、良い度胸だな!」
殺意剥き出しで、二人の男を取り囲む五、六人の男達。シャル達と同じ衛生兵小隊所属の、ボーフム軍曹を中心とする仲間達が、二人の男に猛烈な恐怖心を植え付け、震え上がらせる。
「さて、テメェ等……今回は天使の目の前っちゅう事で暴力沙汰は勘弁してやるが、次やったら……分かってるよな?」
否応無しに素早く頷かされる二人の男。
「分かってるなら、さっさと
「「はぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ‼︎」」
脱兎のごとく逃げていく男達に、ボーフム軍曹達は「「ザマァみろ!」」と鼻息を鳴らした。
この様子に、ボカァンッと固まっていたシャルだったが、自分が助けられたのだと分かると、直ぐに感謝を仕草と共に表した。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます!」
御礼として律儀に頭を下げるシャルに、ボーフム軍曹達は、先程の怒りの形相とはうって変わって、デレデレなちょっと気持ちの悪い笑みで表情を緩ませた。
「いやぁ〜、それ程でも〜……」
「男として、女性を護るのは当然の事だ」
「ずりぃ、それ俺が言おうとした台詞!」
「馬鹿、早いもん勝ちだよ」
我先にと天使から御褒めの言葉を貰おうとガヤガヤ騒ぐボーフム軍曹達に、シャルはキョトンとどう反応すれば良いか分からず立ち竦み、イェーナ軍曹が咳払いとひと睨みによって黙り込ませた。
「お前等……
「「「はっ!」」」
強制力抜群のイェーナ軍曹の命令。姉御肌があるからか、彼女の言葉には妙な迫力があるらしく、ボーフム軍曹達はそそくさと自分の持ち場へと戻っていった。
「まったく……」
ポーフム軍曹達の背中を眺め、呆れて嘆息を
「小隊長……私はやっぱり、この部隊が好きです。こんな私を受け入れてくれて、仲間として扱ってくれる、あの人達が好きです。私を認めてくれた皆んなの為に、もう少し頑張りたいって思えます!」
華やかな笑顔を浮かべて素直に言葉を紡いだシャルに、イェーナ軍曹の口も
「それは良かった。だが……一つだけ言わせて貰う。あんたは形容詞に、"こんな"、が付くような子じゃない。だから、二度とそんなものは付けなくて良いんだよ」
イェーナ軍曹の言葉に虚を突かれたシャルだったが、口元は直ぐにまた緩やかな形状へと変えられた。
「はいっ!」
改めて、自分は不幸ではないのだと知らされたシャルの、それは精一杯の、満開に咲き誇った綺麗な笑顔だった。
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